聞いてください。

松下景

聞いてください

私は、あの人を殺しました。

しかし、私が殺したのではありません。


これを読んでいるあなたは、何だこの手紙は、と感じているところでしょう。

私は今あの有名なミステリ作家殺しの罪を被せられています。

しかし、江戸川乱歩の『夢遊病者の死』のように本当に殺した感覚も記憶もないのです。

でもなぜか、罪の意識はあるのです。

かといって、周りの人が見ていたわけでも、現場の動画などの証拠があったわけでもありません。

ただその作家と関係があっただけなのです。


しかし、警察はある一本の映像を見せてきました。

殺風景な取調室に音が響くほどの音量で。

映像をみて私は絶句しました。

そこには私が写っていたのです。

「わたしはあの作家を殺しました。彼のいる部屋に火をつけ、私は殺しました。」


一人の警察がこれはお前ではないのか、というような目で見てくる。

確かにこれは私です。

いや、誰だこいつは。


私があの作家を疎んでいたのは確かです。しかし殺すほどの恨みや動機はないのです。


頭を悩ませていた頃、私はまた警察に呼び出されました。


この前の殺風景な取調室で警察が私に見せたのは、あの映像の続き。


「これは私の罪の告白ではありません。

これは“文章の朗読”です」


そう。

私はあの映像で罪を告白していたのではない。

誰かが書いた文章を、読んでいただけでした。


その文章の題名は

『私は、あの人を殺しました。』


私の背筋が凍る。

冷たい風が鼻の奥を吹き抜ける。


あの作家は、

“読者を犯人にするミステリ小説”を書いていた。


文章を読んだ人間が、無意識にその内容を

自分の記憶として上書きされる

という実験的小説です。

私は、あの作家からその原稿を渡され、

「声に出して読んでみてほしい」と頼まれたのだ。


私はその小説を何の疑いもなくカメラの前で堂々と読み上げたのでした。


私は、あの人を殺しました。


その瞬間、

私の脳はそれを「自分の体験」として記憶したのです。

そのため、殺した感覚もなく、あの映像を撮った記憶もなかったのです。


しかし――

実際に火をつけ、

作家を殺したのは誰か。


それは、

その文章を最初に書いた作家本人だった。


あの作家は、自分がこれから行うことを、

他人の脳に“コピー”したのだ。


つまりは、あの作家の殺人に見せかけた自殺。

彼はミステリ小説よりも面白い、ミステリ事件を作りたかったのです。


だから私は今、あの作家の思惑どうり

本気で自分を犯人だと思い込んでいます。


私は、なぜあの作家を殺したのか、

どうしても思い出せない。思い出せるはずがない。


なぜなら、私は殺していないからだ。


この手紙を最後まで読んだあなたは、もう気づいているところでしょう。


この文章は、

人の記憶を書き換える。

そう、あの作家の書いた文章です。


私は、あの人を殺しました。


今、その一文を、

あなたの脳も読んでしまった。

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聞いてください。 松下景 @msc-8710

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