ひまわりの背中

てるる

第1話 ひまわり令嬢

 ひまわりエリー──エリシア・ロズモンド子爵令嬢を、人々はそう呼ぶ。

 ある者は、その顔のそばかすを嘲笑するように。

 ある者は、その天真爛漫な笑顔を賞賛して。


 背筋を伸ばして、まっすぐに太陽を見つめる彼女の本心に、誰も気付かない。

 カイルは小さくため息をついた。


「今、なんと」

 こんな時でもエリシアはひまわりのような笑みをたたえている。

 対して、その婚約者──たった今、『元』がついたが──俺の護衛対象は眉を顰める。

「だから、君との婚約はなかったことになる。心配せずとも君の妹が私の婚約者になるのだから、家同士のつながりはなくならない」

 あっさりと言ってのける雇い主に、エリシアはなおも食い下がる。

「ですがセラフィン様」

「くどいな。君は私の婚約者ではなくなったのだから、そう呼ばれる筋合いはないはずだが」

「……失礼しました、デュモン公子」

 ひまわりに影が射す。

 エリシアの少し焦った声がセラフィンの執務室に響いた。

 しかし、十年以上も婚約関係にあったセラフィンでも、そのことにほとんど気づかなかっただろう。

「君のその、能天気な顔が神経に障るんだ」

 その証拠に、この発言だ。

「申し訳、ございません」

 エリシアが俯く。

 いつも穏やかに輝く空色の瞳が、わずかに揺れた。

「帰れ。もう来なくていい」

「はい……あの、デュモン公子」

 なんだ、と苛立ちを隠しもせず、セラフィンは手元の書類から顔を上げた。

「妹を、どうかよろしくお願いいたします」

 セラフィンが呆気に取られているうちに、エリシアはぺこりと頭を下げ、執務室の重い扉から出て行ってしまった。

 俺は急いでその後を追う。


 エリシアは門の方へ向かって歩いていた。

 栗色の髪が、陽の光を受けて淡く輝く。

「エリシア嬢」

 太陽に向かうその背中は、俺がずっと見てきたものだ。

「カイ、あ、えっと……ローレンス様」

「カイルのままで構いません。俺はあいつと契約を結んでるだけなんだから」

「でも、もう十年以上デュモン公子の騎士様だから」

「君との友人関係だって、十年以上だ」

 ふふ、とエリシアが笑う。

 努めて普段通りに振る舞う彼女だが、その目には困惑が浮かんでいる。

「大丈夫ですか」

 思わず口走っていた。こんな聞き方をしても、彼女は大丈夫と答えるに決まっているのに。

「大丈夫」

 失敗した、と後悔したところで、エリシアは続けた。

「ただちょっと……どこがダメだったんだろうって、考えてるだけ」

「あなたに悪かったところなんて、ひとつもない」

 外交の要であるロズモンド子爵家の令嬢として、内政の名門であるデュモン公爵家時期当主の婚約者として、重すぎる責務を背負いながらその立場に恥じない努力を続けてきたエリシアが思い出されて、否定の言葉が口をついて出た。

 そんな俺の様子に、エリシアは笑う。

「あはは、ありがとカイル。でも、それじゃあ、しかたないね」

 悪いところがなくても、婚約破棄されてしまったのなら。

 何と声をかければいいのか分からずいると、エリシアは自嘲っぽく続ける。

「それに、イザベルはお継母さまに似て大人っぽくて美しい子だから、私なんかよりよっぽど公爵家にふさわしいし」

 たしかに彼女の妹も美しい女性ではあるが、花の美しさに上も下もない。

 ひまわりも芍薬も百合も、みなそれぞれに美しいし、俺はエリシアがデュモン公爵家にふさわしくない人物だと思ったことは過去一度もなかった。

「エリシア嬢、俺は」

「あっ、慰めないでね、カイル」

 エリシアは今日一番の笑顔で、俺の言葉を遮った。

「きっとデュモン公子にもお考えがあるんだと思う。それを否定して、あなたの立場を悪くしないで」

 ね? と念を押すように彼女にそう言われると、俺はますます何と言えばいいか分からなくなり、口籠もるしかなかった。

 何とか口を開いて出た言葉は、

「送って行きます」

 というぶっきらぼうな一言だけで、自分という人間がいかにつまらないかを思い知る。

「こうして送ってもらうのも最後かぁ。イザベルのことも、どうかよろしくね」

 眩しいほどの笑顔でそう告げるエリシアことを思うと、胸が張り裂けそうだった。

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