十二月のプロンプト
三号
第一話 だって約束よ
「おめでとう、沙織」
自分でも驚く程に素直な言葉だった。敦賀不由は自分が口にした言葉をしばらく反芻する。祝いの言葉を伝えられた沙織はベンチから立ち上がろうとするが、不由は片手で制した。身重な体に立たせるのは申し訳ないと思ったのだ。
「不由、久しぶりだね。来てくれてありがとう」
座り直した沙織は不由を見上げる。羽根木伸介から玲子という名前を教えてもらった子供が沙織の隣で不由に怪訝な目線を向けながら座っている。
子供に好かれる性分ではないのだから特に困ることはないのだが。
「そんな目で見ないの」
沙織が我が子を窘める。すると玲子は少しだけ俯いてから顔をあげて、
「ごめんなさい」
と、不由に謝った。謝られる理由などない不由は苦笑で返す。
「久しぶりだね、私と不由と、伸介さんで会うのは」
「大学の頃は毎日のように会ってたのになあ。学生時代は良かった」
こちらへ向かって歩きながら羽根木が昔を懐かしむ。それに関しては不由も同感だった。
不由と沙織、羽根木ともう一人いた男子学生は同じ教授のゼミに在籍していた。同学年は四名だけの小規模なゼミ、学生生活ではその四名で居ることが自然と多くなったのも無理はない。サークルの類に所属していなかった不由にしてみれば、大学生活といえば彼らの顔が真っ先に思い浮かぶ。
「あの頃は、不由が警察に就職するなんて想像もできなかったわ」
沙織が微笑みながら、現在の不由に大学生時代の不由を重ねているように思え、面映ゆく感じる。
誰にで青春というものがあるとすれば、不由にとってみれば学生時代のあの一時期が青春と呼べたのだろう。
振り返ってみれば判る。
ただ、失ってみないと分からない。
自分は貴重で大切な何かを失くしてしまったのだと思い込んでいた。
羽根木と沙織は夫婦となり子供ができて、また新たな家族を迎えようとしている。不由にはない家庭というものを築いて幸せを育もうとしている。
実際、二人は幸せなのだろう。
翻って、自分はどうだろうか。
「まあた、難しいこと考えてるでしょう?」
上目遣いの沙織に冷やかされた不由が「別に」と応えるも、羽根木の声にかき消される。
「不由はさ、恐らく沙織とはもう会えないんじゃないか、僕らが過ごした青春は取り戻せず、失われてしまったものだと勘違いしていたのさ」
「相変わらず……」
鋭いね、と言いかけて口を噤んだ不由は、代わりに棘のような視線を羽根木へ向けた。羽根木は意に介さず、言葉を続ける。
「しかしこうして、僕らはこうして会おうと思えばいつでも会えるわけだ。いつでも、そう、いつでも」
「そうだね、玲子や今度生まれてくる子供にも会って欲しいな」
母親と子供。
不由はここ数週間で出会った二人の母子に思いを馳せる。選択さえ違わなければ、彼女たちもまた羽根木や沙織のように幸せな家庭を営むことができたのだろうか。仮定することの虚しさを感じつつ、不由は考えざるを得ない。
羽根木は考え込んだ不由の心中を察してか、口を閉じている。沙織は隣に座っていた玲子がベンチを立って近くの遊具で遊んでいるのを、たおやかな微笑みで見守っている。
不由は三人を見渡してから、空を見上げた。
先ほどまで空を覆っていた雲はいつの間にか消え、大学生のときに見た青空と同じ空が広がっている。
同じだと感じるのは、きっと傍に羽根木と沙織がいるからだろう。
視線を戻した不由は「そうだね、また会いに行くよ」と二人に伝えた。羽根木は軽やかに頷く。沙織が両手を胸元で合わせて微笑んだ表情は、風に揺れる花のようだった。
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