宇治十帖を持つ女

増田朋美

宇治十帖を持つ女

寒い日であった。本当に寒い日であった。東北の方では大雪が降って、何でも道路が塞がってしまったというニュースで騒いでいた。幸い、この静岡では、雪は降らず、道路が雪で塞がれるということもないのだが。

その日、杉ちゃんたちは、用事があって、潤井川を通っている潤井川大橋を歩いていたのであるが、そこで一人の女性が、欄干に手をかけて川を眺めているのが見えたので、

「おい、こらちょっと待ちたまえ!お前さんはそこで何やってるんだ!」

と、杉ちゃんはでかい声で言って、彼女を呼び止めた。

「お前さんは、今川に飛び込もうとしたな。大変なことがあったのかもしれないが、自殺だけはいかんぞ。」

「一体、どうされたんですか。なにか大変な事があったんだろうとは思いますが、そのことで一番大事なものを投げ出すのはまずいですよね。」

ジョチさんはそう彼女に言った。

「まあ、外にいては寒いし、どうせお前さんは行くところもないんだろうから、製鉄所でのんびり語ってもらおうか。」

「製鉄所?鉄を作るんですか?」

杉ちゃんがいうと、彼女はそういった。

「いや、そんなことはありません。ただ施設名として製鉄所と言っているだけです。鉄を作るように、心も作り直してほしいということで製鉄所と呼ばれるようになった福祉施設です。」

ジョチさんはそう説明して、すぐにスマートフォンで小薗さんに連絡した。本来二人はバスで帰る予定だったが、バスの本数が少ないため、小薗さんに迎えに来てもらうことにした。

小薗さんの運転するワゴン車に乗って、杉ちゃんたちは、製鉄所に帰った。製鉄所では、いつもと変わらず、利用者たちが勉強したり仕事したりしている光景が繰り広げられていた。利用者は、会社に勤めているものもいれば、通信制の学校に通っている女性もいる。どのようなワケアリの女性であっても、皆居場所がなくてここに来ているのは間違いなかった。

「じゃあ、ここに座ってください。それであなたがなぜ、あそこで自殺しようとしていたのか、理由を話してもらいましょうか。」

ジョチさんは、彼女を食堂へ通して、椅子に座らせた。その前に、杉ちゃんが、

「悪いことを考えるやつは、大体腹が減っているんだ。なのでカレーを食べろ。」

と言って、カレーを出してくれた。女性は、カレーを初めはいらないと断ったが、あまりにもうまそうだったので、スプーンを受け取って食べてしまった。それを食べると、なんといううまい味なんだろうかと言って、女性は泣き出してしまったくらいだ。

「それで、お前さんの名前なんて言うの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「大山と申します。大山和菜です。」

と彼女は答えた。

「はあ、大山さんね。それでどうして、自殺しようと思ったんだんだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「あたし、人殺しですもの。」

と、和菜さんは答えた。

「なんの罪もない人を殺してしまったんだもの。」

「はあ、随分縁起でもないことをいいますね。なにか、怨恨でもあったんでしょうか?それで、その時に使った凶器などは持っているのですか?」

ジョチさんがこういう事件の話は慣れているようにそう言うと、

「いえ、具体的にそうしてしまったわけではありません。凶器は強いて言えば餓死でしょうか。あたしは、なんの罪もない姉を餓死させてしまいました。だから、申し訳なくて、死んでしまいたいと思ってしまったんです。」

と、和菜さんは言った。

「そうなんですか。餓死させたというのもただ事ではありませんね。もう少し、具体的に何があったか話してみてください。あなたには、お姉さんがいたのですね。」

ジョチさんがそう言うと、和菜さんはハイと言った。

「本当に恥ずかしい話ですが、姉が、うちの会社の従業員だった男性と結婚する予定だったんですが。」

和菜さんは話し始める。

「それなのに、その人は、姉ではなくて、私と結婚することになりました。それが本当に原因なのかはわかりませんが、姉は体が大きかったので、それが嫌だったらしいのです。それで姉は私が結婚した翌日から食事を取らなくなってしまって、先日、衰弱して死んでしまいました。だから、みんな私が悪いんだと思って、姉のことを、申し訳なく思いました。」

「はあ、それで、潤井川大橋から飛び降りようと思ったのか。なんか、古典に出てきそうな話だな。宇治十帖に似たようなものがある。だけどさ、それで本当に死んでしまうのは、いけないことだぜ。やっぱりさ、人間は、生きてる以上、それを全うしなくちゃいけないと思うんだ。」

杉ちゃんがそう言うと、和菜さんはそうですよねと言って、涙をこぼした。

「でも私、姉を追い詰めてしまったのは、自分のせいだという思いがどうしても抜けきれなくて、それで、もう死ぬしかないと思ってしまったんです。」

「そうなんだねえ。お姉さんは、結婚相手に捨てられちまったようなもんだからな。それでは確かに、傷つくよなあ。誰が悪いって言うわけでも無さそうだし。その、結婚した男性は、そんなに悪い人でもないんでしょう?」

「ええ。そうなんです。父が選んだ人だけあって、やはり、よく働いてくれますし、仕事ぶりも高く評価されている人です。だから、私としては、ワガママも言えなくて。姉の方へ行ってということもできなかったし。私は、完全に、言いなりになるしかありませんでした。」

「なるほどね。本当に宇治十帖みたいだよ。」

杉ちゃんは、彼女の話を聞いて頭をかじった。

「そうですね。今どきは恋愛結婚が多いとはいいますが、今でもそうやって、結婚相手を親御さんが決めるということもあるんですか。まあ事業を経営されているであれば、多いかもしれませんね。」

ジョチさんは、考えるように言った。

「言ってみれば、外見は変わらないわけね。普通に、ご主人は働いてくれるし、不自由なことはないんだろう。だから余計にお姉さんを陥れてしまったような気がして辛くなる。違うかい?」

杉ちゃんがそう言うと、大山和菜さんは、ハイと小さな声で言った。

「それでは、居場所がないと感じることもあるでしょうね。」

「そういうことなら。」

ジョチさんがそう言うと、杉ちゃんが言った。

「どうせ、ご主人は仕事へ出ているなりして留守なんだろうから、その間ここへ来て、ちょっと手伝ってくれないかな?亭主元気で留守がいいは、もう死語だけどさあ。でも、そうなってほしいことはあるよな?」

「手伝うって何を手伝うんです?」

和菜さんがそう言うと、

「まず庭掃除。それから縁側の廊下掃除。そして、水穂さんの世話をしてもらう。これでどう?」

杉ちゃんはそういった。和菜さんが水穂さんとは誰ですかと聞くと、

「じゃあ、ちょっとご挨拶してみるか?」

杉ちゃんは、彼女を水穂さんのいる部屋へ連れて行った。

「おい、明日からこいつがお前さんの世話をしてくれるから、何でもいいつけな。」

杉ちゃんが襖を開けると、水穂さんは、咳をしながら布団の上におきた。それが、どこかの外国の俳優さんみたいにきれいな人だったので、和菜さんは、びっくりしてしまった。

「あ、あ、あの。」

「はあ、こんな二枚目だとはおもわなかったか。まあそれはどうでもいいんだよ。それより自己紹介しろ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「初めまして。磯野と申します。磯野水穂です。よろしくお願いします。」

水穂さんのほうが丁寧に座礼してくれたので、和菜さんはびっくりしたまま、

「はい。大山和菜です。よろしくお願いします。」

と床にごちんと頭をぶつけそうになりながら座礼した。

「どうぞよろしくお願いしますね。まだ仕事は慣れていませんが、少しづつでも覚えていくようにしますので。」

「いえ、ゆっくり慣れていってくれればそれでいいです。」

水穂さんは静かに言った。

「まあ、水穂さんも、彼女をびっしり鍛えてやっておくれよ。じゃあ明日から、ここで女中さんとして働いてもらうから。よろしく頼むな。」

杉ちゃんがそう言うと和菜さんはわかりましたといった。

その翌日から、和菜さんは製鉄所へやってきた。杉ちゃんに言われた通り、庭掃除をして、縁側に雑巾をかける。それをしている間に、お昼の合図を告げる鐘がなったため、和菜さんは、杉ちゃんに言われた通り、おかゆの入った皿を持って水穂さんの部屋に行った。

「水穂さんご飯もってきました。」

和菜さんがそう言って、ご飯を持ってくると、水穂さんはよろよろと布団の上におきた。それがなんだかなくなった姉が男性化したように和菜さんには見えた。それはなんだか辛かった。だけど、水穂さんはなくなった姉とは違うんだと自分に言い聞かせて、和菜さんは、サイドテーブルの上にご飯を置いた。

「じゃあ、食べていただけますか。よろしくお願いします。」

と言って水穂さんにおさじを渡した。水穂さんは、おさじを受け取って、おかゆを食べはじめてくれたのであるが、おかゆを口にはするものの、飲み込もうと言うことができず、咳き込んではいてしまうのであった。いくら、食べ物を持っていってもだめだった。

「水穂さんも私の姉と同じですか。」

と、和菜さんは、思わず言った。

「あたしの姉もそうでした。あたしが今の主人と結婚してから、全然ご飯を食べなくなりました。あたしたちは、なんべんも姉にご飯を食べろといいましたが、お皿を床に叩き割ったりして、絶対に食べてはくれませんでした。そのうち、体が弱くなってしまって、もう何にも動かなくなってしまって。食べろといくら言ってもだめでした。やはり水穂さんと一緒でした。咳き込んではいてしまうんです。」

水穂さんの顔を見るのはあまりに辛かった和菜さんは、そう水穂さんに理由を話した。

「でも不思議です。水穂さんのような方がどうして、ご飯を食べられなくなるんでしょうか。姉は、あたしから見たらそれほどでもないと思っていましたが、やはり自分は太っていると思っているようでしたから。」

和菜さんは、申し訳なさそうに言った。

「あたしから見たら、そんなに太っていないと思っていたけど、姉は、今の主人を私が取ってしまって、本当に憎むべき相手だと思っていたのでしょうね。水穂さんもそういう理由があったんでしょうか。」

「そんなことありません。僕は銘仙の着物しか着ることはできませんから。」

水穂さんは、咳き込んだ口元を拭きながらそう答えた。口元を拭いたちり紙に、赤い液体が付着しているのが見えたので、和菜さんは、水穂さんが抱えている病気のことが少しわかった。

「そうですか、今だったら、医療環境もいいので、すぐになんとかなると思っていたのですが。」

それと同時に、水穂さんは激しく咳き込んだ。咳き込んだあと、朱肉のような赤い液体が、水穂さんの口元から溢れた。和菜さんは、急いで水穂さんの背中を叩いて、吐き出しやすくしてあげた。

「大変ですね。本当に、なんとかしようとか、そういう意思や、周りのご家族はいらっしゃらないのですか?」

和菜さんはそういいかけたが、

「ごめんなさい。周りに家族の人がいたらとっくに治療受けてもいいっていいますよね。それがないから苦しんでいるのでしょう。」

と自分の発言を訂正した。

「さっき言ってた、銘仙の着物しか着られないって、あたしはよくわからないですけど、なにか事情があるんですね。」

ところが、返事の代わりに水穂さんは、咳き込んで布団に倒れ込んでしまった。和菜さんは、どうしたらいいのかとオロオロしていると、

「ああまたやったのね。畳代が大変だよ。それでは、そこにある水のみの中身を飲ませてやってくれ。」

と言いながら杉ちゃんが入ってきた。和菜さんはすぐにそれを飲ませた。そうすることによってやっと咳き込むのは止まってくれた。

「そうなんですね。」

和菜さんは、静かに言うのだった。

「孤独ってこういうことなんだ。つまり、治療を受けようとしても、それを勧めてくれる家族もいないし、それを受けられる環境も整っていない。あたしは、まだ、主人もいるし、他の家族もいるから、変な言い方ですけど、まだいいほうなのかもしれない。」

「そうだよ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「水穂さんみたいに、銘仙の着物しか着られないやつは、ほんとうに孤独になっちまうよ。それではいけないってわかってるんだけど、そういうやつは、消しちまえっていうのが日本の社会だからね。それでは行けないよねえ、本当は。」

「そうなんですね。ごめんなさい水穂さん。きっと姉も同じ気持ちだったと思います。これからは私が、水穂さんの世話をします。」

と、和菜さんは誓いを立てるように言った。そして、はいた血で汚れてしまったお皿を眺めて、

「とりあえずこれは片付けて、畳代は私が払います。すぐに張替えに来てもらいましょう。」

と、スマートフォンで畳屋さんを探し始めた。

「でも、どうせすぐ畳は汚してしまうだろうからなあ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「でも、そういうときは、何も言わないで黙って張り替えてあげられるのが本当に愛しているのではありませんか?」

と、和菜さんは言った。

「は?それは何だ?」

杉ちゃんが聞くと、

「あたし、水穂さんのことが好きです。単に二枚目だったからということではありません。あたしは、水穂さんが一人ではできないことをなんとかしてあげたいんです。」

和菜さんはそういうのであった。

「これは弱ったことになったなあ。」

杉ちゃんはまた頭をかじった。和菜さんは血だらけになってしまったお皿を片付け、すぐに畳屋さんへ電話をかけた。しかし、予約が立て込んでいて、畳を張り替えるのは明日以降になるという返事だったので、畳の汚れた部分に乾拭き雑巾をかけてそれを隠しておいた。そして、薬の中にある眠気をもたらす成分で、眠ってしまっている水穂さんに掛ふとんをかけてやり、冷えないようにしてあげた。

「ほう、お前さんも、結構なことやるじゃないか。それは良かったなあ。」

杉ちゃんにそう言われて、和菜さんは、小さくなっていた。だけど、心の中では、なにか嬉しい気持ちになっていた。

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宇治十帖を持つ女 増田朋美 @masubuchi4996

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