HAUNDS:東京黄昏最前線

夜野ミナト

プロローグ:品川埠頭の夜

 針のように冷たい雨がトタン屋根を叩く音が響く。黒い雲が世界を覆うように広がっていた。

 逢魔が時、品川埠頭廃倉庫――。

 鉄骨のキャットウォークに、二つの影が伸びた。


「黴と錆の匂い…全く、嫌になるね。念のため確認しておくよ、マエストロ。好きにやっていいんだね?」


「構わないよ。これは僕たちのデビュー戦だからね。派手にやってくれ」


「……数は50。知能は低いですが、素早いです。注意してください」


 オペレーターの声が冷静に告げる。


「…だってさ」


 男が隣を振り返る。


「どうする、じん


「決まってるだろ」


 ゆらりとナイフの刃が鈍く光る。


「全部ぶっ潰す」


 ナイフのブレードに映る赤い瞳が暗闇で燃える。獣が笑うように、口元だけが歪んだ。


「それにしてもさ、多すぎない?インセンティブ、欲しいな」


「え、ええと――報酬の確認を――」


「お先ッ!」


 鉄骨を蹴る音。黒いコートが夜気を裂いて舞い上がり、ドッグタグが鈍く光る。迅は踏み込むと同時に大型ナイフを逆手に抜き、最初の悪魔の喉を裂いた。返り血が頬を濡らす。次の一体へ。爪がナイフを弾く。迅は軸足を滑らせ、蹴りをその胴体に叩き込んだ。悪魔が吹き飛ぶ。


「退けオラァ!」


 来栖迅くるす じん――燃えるような紅玉の瞳を持つ血統書付きの狩猟犬アタックドッグ。その刃に迷いはない。


「エレガントじゃないね。ほら迅、背中ががら空きだよ」


 迅が避ける必要はなかった。弾丸は、彼が振り上げたナイフの死角――そこへ飛びかかろうとしていた悪魔の頭部を正確に粉砕した。


「そのためにお前がいるんだろ、ニコ!」


「Certo!(そうだよ!)」


 ニコラ・G・スフォルツァ。蒼穹を宿した碧眼が、次の標的を捉える。引き金を引く。弾丸が正確に額を貫く。もう一発。また一発。その射線上に無駄はない。元フィクサーの番犬ウォッチドッグの視線は冷たく、明るい口調とは裏腹に殺意だけが研ぎ澄まされている。


「なあ迅。多く倒した方が今日のディナー奢りっていうのはどうだい?」


「面白え。『お代わり』持ってきやがれ!」


 迅はニヤリと笑って、ナイフを振るった。


「見つけた……!三時の方向です!叩いて!」


「Si, bellissima!」


 ニコラが射線を変える。


「援護する、相棒!」


「夜に還れえぇッ!!」


 ナイフが深々と突き刺さる。断末魔が響き、悪魔の群れが霧散した。雨音だけが戻ってくる。


「二人とも、お疲れ様です」


 蜂蜜色の瞳がほっとしたようにモニターを見つめる。

 キーボードを叩く軽快な音。黒いスーツに包まれたブラウスのボタンは胸元が窮屈そうだ。

 調月つかつきほたる――3人目の「目」が、穏やかな声で労った。


「形代を出してくれ。遠隔で結界を張り直す」


 迅はコートのポケットから形代を取り出す。すり抜けた紙の人形から紫色の光が放たれた。


「どっちが多く倒したかは分からなかったけど……どう思う?ほたる君」


 紫水晶のような瞳。晴明桔梗の家紋を背負った黒い着物に、肩まで流れる銀髪。深紅のストールが首元で揺れる。彼らの飼主ハンドラーである一条晴臣いちじょう はるおみが、どこか楽しげに問う。


「え?ど、どうでしょうね……よく、見てなかったので……」


 晴臣の唇が笑みの形になる。


「仕方ない。帰っておいで、僕の猟犬ハンターたち。今日は僕が奢ろう」


「やったぜ、高級焼肉だ!行こうぜニコ!」


 迅が拳を上げて走り出した。


「全く…好きにしてくれ」


 ニコラが肩を竦めた。

 ざらり、と倉庫の床に落ちる砂を踏みながら、彼らはその場を後にした。


 Hunter Assault Unit for Netherworld Defense Squad――通称HAUNDS。

 こうして、悪魔を狩る【猟犬】たちの夜が過ぎていく。

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