「俺に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られた勇者レオノールの白い結婚
@Kinugaya
白い結婚
「俺に愛まで望むとは、強欲な女め」
エルグラン王城は、祝宴の余韻を残したまま夜を迎えていた。
山の斜面に築かれたその白亜の城は、深い群青の空に浮かび上がるように佇んでいる。
城のあちこちには、まだ明かりが灯っていた。
昼の陽光を反射していた白い石壁は、今は月光に照らされて青白く染まり、塔の先端に掲げられた蒼いドームが、星の海に溶け込むように静かに光を湛えている。
祝賀の夜、城の厨房と楽士たちは遅くまで働き、客人たちは最後の杯を交わしながら名残を惜しんでいた。
だが、東の塔――最上階に位置する一室だけは異なった。
そこは王族が婚礼の時にだけ使用する、特別な寝室だ。
石壁には夜空のような群青の布が張られ、窓には銀糸を織り込んだ天鵞絨のカーテンがかけられている。
風が吹けば、その布がわずかに揺れ、まるで夜そのものが息をしているかのようだった。
天井からは琥珀色のシャンデリアが。
蝋燭の炎がゆらめき、その光が天蓋付きの寝台を柔らかく照らしていた。
その、神秘さえ感じさせる部屋の中央に、レオノールは立っていた。
「へ?」
「俺に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」
レオノール・デラクルス改め、レオノール・エルグラン齢19歳はとぼけた声を出しながら、夫となったばかりのクラウディオを見つめ返す。
目の前で冷たく吐き捨てた美貌の青年はクラウディオ・エルグラン、20歳。
空のような青き瞳に才気を秘めたその言葉は氷の刃のように鋭く、眼差しには他者を寄せつけぬ冷ややかさがあった。
クラウディオはこのエルグラン王国の第一王子にして、王位継承権を持つ王太子でもある。
黄金の髪に青い瞳と、目を惹く華やかな容姿とは裏腹に、触れれば切れそうなほどに研ぎ澄まされた表情はまるで大理石の彫像のように完璧だ。
睨みつけられているのに、ふと気づけば目を奪われていた。
この人の傍にいるといつも、今まで自覚さえしてこなかったような、自分の気持ちに驚かされる。
「強欲、ですか? 私が?」
苛立ちを隠そうともしない、眉間に刻まれた縦皺に敬意を払い、レオノールは言葉を選んだ。
「他に誰がいる?」
「それもそうですね。でも、ピンと来なくて……。分不相応だと仰りたいのですか。確かにクラウディオ様は素晴らしい殿方です。けれど、釣り合ってませんか? これでも救国の英雄ですよ。それに、恐れ多くも国王陛下が仰せられたのです“欲しいものを申せ”と」
レオノールは努めて穏やかな笑みを浮かべた。
レオノールの言葉は全て真実であり、本心だった。
180センチメートルに近い身長。
これは女性にしては長身ではあるが、クラウディオはもう少し高いので問題ない。
醜女ではない、くらいの自覚はあるし、お世辞かもしれないが周囲からは「戦の女神も裸足で逃げ出す」だとか「よく見ると美人」などと褒められる。
鍛錬を重ねた、無駄な贅肉のないプロポーションも密かな自慢だ。
豊満とまではいかないが、肉付きにも自信がある。
国王陛下は確かに仰った。
「魔王オーグレイルを討伐した暁には望みのものを与える」と。
レオノールはこの国で言うところの“勇者”だ。
1000年に渡り人間の暮らしを脅かしていた魔王を倒し、平和をもたらした。
勇者が国を救った暁には、王女を妻として与える。
レオノールが持つ記憶の人生の中では、割とポピュラーな褒美だったと思う。
しかしながら記憶は朧気で、確たる証はない。
わかっていたのは、このまま黙って気持ちを無視したら、一生後悔するであろうこと。
だから勢いに任せて口にした。
クラウディオは黙ったまま不快そうに睨め付けるのみだった。
なので、根負けしたレオノールが言葉を続ける。
「だから、ダメもとで申し上げたんです。貴方は美しいし、強そうだし、こんな機会二度とないと思って……。そんな、虫ケラを見るような目を向けるなら、どうしてもっと早く拒否しなかったのですか? もう儀式は全て済んでしまったのに」
「……一度発せられた宣言を取り消せば、臣民の信頼が揺らぐ」
無表情・無反応を貫いていたクラウディオの瞳が、ようやく感情を映し出した。
その視線には、冷たい憎しみと怒りが滲んでいた。
「俺は、この国の未来を担う王子だ。外交の駒として、己の意思を殺す覚悟くらいはあった。だが、それでも——戦場帰りの女丈夫が望んだからといって、その夜伽の褒美として俺を与えるなど、屈辱にもほどがある。俺がそう考えるとは……露ほども思わなかったか」
クラウディオの影が、僅かに揺れた。
ふと視線を落とすと、拳を握り締めた右腕がプルプルと震えている。
そこで、レオノールはハッと気がついた。
褒賞の授与式でも、成婚のパレードもずっと無表情を貫いていたこの人が、ずっと溜め込んでいた感情の大きさに。
無表情なのではない、努めて感情を殺していたのだと。
意に染まぬ婚姻だったが、責務を果たすために受け入れた。
(そうか、この人は……真面目なんだ。それもすごく。だから断れなかったのか。それで、とんでもない願いを口にした私を恨んだわけね。そんな配慮もできない女と同衾なんかできるか、ましてや愛するなど論外! と言いたいのか……)
材料が揃った今、レオノールはクラウディオの胸の内をするすると読み解いた。
なるほど。それなら何故、この後に及んでクラウディオが“愛まで望むな“と拒絶したのか。理由は頷ける。
「そうですね。……しかしもう、婚姻は成立してしまったのだし、前向きに努力をするほうが建設的なのでは」
相手の意を汲み、理解できるところは同意する。
魔王討伐の道中で身につけたその能力は、パーティメンバーを導くのに適していた。
しかし、この場での正論は悪手の最たるものだ。
「自分の非は棚に上げて、俺には努力をしろと? 想像を絶する図々しさよ」
クラウディオは鼻を鳴らし、嘲るような笑みを浮かべた。
見下ろされたら、ゾッとするほど美しく、畏敬の念をいただいたかもしれない。
だが、残念ながら身長差はほとんどない。
クラウディオは忌々しそうに一瞥してから、ずかずかと大股で据え置かれた丸テーブルに歩み寄る。
寝台から離れたその場所には、深紅のテーブルクロスがかけられた、丸い大理石のテーブルがある。
銀の盆の上に黄金縁のグラスとワインボトルが対をなして並び、その脇には契りを象徴するように深紅と白の薔薇が一輪ずつ、生けられていた。
グラスのすぐ横に置かれたワインボトルに手を伸ばすと、クラウディオは流れるような手捌きでワインを注ぐ。
「あ、それは私が」
契りの盃にワインを注ぐのは妻の役目だ。
身支度をしてくれた女官長からはそう聞かされていた。
手を伸ばして駆け寄ろうとするも、あっという間にグラスをあおったかと思うと、クラウディオはワインをすっかり飲み干していた。
「これで、義務は果たした。後はどうとでも好きにするが良い」
興奮のあまりか、はぁっと息を継ぎ、口元を手の甲で乱雑に拭う。
「今からどこへ行くのです? こんな時間に」
割れるのではと危惧するほど乱暴にグラスを置くと、クラウディオは真っ直ぐに扉へ向かう。
レオノールはどうにかガウンの裾を掴んで、懸命に呼び止めた。
普通の花嫁なら、振り払われて終わり。の細やかな抵抗だったろう。
だが、悲しいかな、レオノールの剛力さは尋常でなかった。
払われた手はびくともせず、ガウンを掴まれたままクラウディオは前進した。
その結果、後ろに引かれたガウンだけが大きくはだけ、生身の肌が剥き出しになった。
「何の真似だ、恥を知れ!」
「わあ、違うんです。ごめんなさい!」
レオノールは咄嗟に掌を開いたが、その目は夜闇に晒された裸体をしっかり捕えていた。
「つくづく、破廉恥な女め!」
バタン!
片手で胸元を掻き合わせ、恥じらうような格好で、クラウディオは寝室を去った。
余計な抵抗が、油に火を注ぐ結果となってしまった。
(もういない。本当に行っちゃった……)
閉じられた扉を薄く開いて外を見回しても、既にクラウディオの姿はない。
廊下の端に立っている護衛とうっかり目が合った気がして、レオノールは薄笑いを浮かべつつ首を引っ込めた。
やむを得ず寝室の中心まで戻るが、何をどうすることもできない。
クラウディオには戻り、休める部屋があるだろうが、レオノールにはない。
明日になれば、誰かがレオノールの居場所へ案内してくれる。
けれど
この部屋で夜を明かす他にない。
何気なく頭を巡らせれば、薄いチュールを重ねたような天蓋から、広々としたベッドが透けて見える。
純白の絹のシーツと金糸の刺繍が施された枕が二つ、蝋燭の薄明かりにぼんやりと浮かび上がっていた。
広すぎるベッドに一人で入る気にはなれず、テーブル脇のカウチに腰掛けた。
「なんであんなに怒るかな~。怒る? 怒るか。プライド高そうだもんね……」
一人でごちながら、レオノールは卓上のワインボトルを持ち上げた。
クラウディオがあおったグラスに、そのまま液体を注ぐ。
新たに夫婦となった二人は、初夜の晩に盃を交わす慣わしだ。
トポ……と空気の抜ける音と共に、芳醇な果実の香りが漂った。
(ん……良い香り。高級そう)
グラスをくゆらせながら、腰を上げる。
窓辺へ寄って、グラスを月明かりにかざすが、色合いまではわからない。
くるりと反転し、扉へ向けてグラスを目線の上に掲げる。
「乾杯!」
拒絶され、出ていった背中に、声は届かない。
十二分に承知した上で、堂々と乾杯の音頭を取った。
レオノールはクラウディオと同じグラスをあおり、一気に飲み干す。
「これで私と貴方は正式な夫婦です。クラウディオ様」
誰に見せつけるでもないが、にっこりと、自分史上で最も優雅な微笑みを浮かべてみせた。
勇者レオノールは強き女だ。
冒険のどんな局面も、勇猛果敢に乗り越えてきた。
今さら、夫ひとりに背を向けられたくらいで、傷つくような繊細さは持ち合わせていない。
レオノールは己の選んだ結婚を後悔しない。たとえ一方通行であろうと、契りは契り。
これは自分の意思で選び取った未来だ。
無償で全てを受け取った訳じゃないし、レオノールが差し出したものもある。
(そうだ、落ち込んでも仕方ない。良い方向に捉えよう。現状で嫌われているなら、これ以上悪くなることもないでしょう)
そう割り切ると、胸が軽くなった。
胸が軽くなると、思い出したように、ゴクリと喉が鳴る。
「それにしても、美味しいな、コレ。どうせもう戻って来ないだろうし、全部飲んじゃっても良いよね」
およそ1分は佇んでいたが、すぐに気を取り直して、レオノールは再びソファに戻った。
残りのワインで一人、晩酌を始める。
味わいは濃厚で、果実味の余韻が長く続く。
いつもの安酒とはちがう、熟成されたフルボディの味わいだだ。
窓の外には、薄雲を割って月が浮かんでいた。
舌鼓を打ちながら朧月を見上げ、レオノールはこれからの新婚生活に想いを馳せる。
その一方でーー
「護衛が執事長に報告しているところを目撃しました。クラウディオ殿下が自室に戻られたそうですよ」
夜の闇に乗じて暗躍する、影があった。
「それは、そうでしょう。王命といえど、あの気高い殿下が甘んじて受け入れるわけがありませんわ」
客人に用意された一室で、不穏な火種が燻り、揺れる。
そうして誰も気づかぬところで、小さなさざ波は立ち始めていた。
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