第3話 英雄の妹として
その名を聞いた瞬間、校内はざわめいた。
「《叡智の星冠》が来るって……本当?」
「本物の五英雄よ……!」
エルシアは、その名前を聞いただけで胸の奥が少しだけ重くなった。
――アウレリア。
姉の名前。
英雄の名。
世界を救った、大魔法使い。
講堂に集められた生徒たちの前に、彼女は静かに現れた。
金色に近い淡い光を宿す長髪。
落ち着いた微笑。
纏う魔力は、呼吸のように自然で、圧倒的。
拍手が起こる。
だが、エルシアだけは拍手をしなかった。
――知っている。
この光景を。
この立ち姿を。
この声の抑揚を。
……おかしい。
今日が初めてのはずなのに、
懐かしいと感じてしまった。
「皆さん。暗黒時代を生きる魔法使いとして――」
アウレリアの講義は、実践的で、現実的だった。
英雄譚ではなく、「生き残るための魔法」。
それが余計に、エルシアの胸を締めつける。
講義の後、控室。
「……エルシア」
呼ばれた瞬間、身体がこわばった。
姉は、いつも通りの優しい声で笑う。
「久しぶりね。元気にしてた?」
「……うん」
本当は、何度も死んでいる。
何度も世界を見送っている。
そんなこと、言えるはずもない。
「魔法、順調?」
「……まあまあ」
控えめに答えると、アウレリアは少しだけ目を細めた。
「相変わらずね。
あなたは――無理に目立たなくていいのよ」
その言葉が、胸に刺さった。
姉は知らない。
エルシアがどれほど異常な存在になりつつあるかを。
――だからこそ、守られている。
それが、ひどく残酷に思えた。
*
その夜。
エルシアは、自室で一つの決断をする。
「……確かめないと」
死なない範囲で。
世界が戻らない範囲で。
どこまで、やり直しが効くのか。
小さな実験だった。
授業中、あえて間違った術式を書く。
教師に指摘される。
――戻らない。
次は、怪我。
訓練中に防御を一瞬だけ遅らせる。
腕に浅い切り傷。
――戻らない。
夜。
睡眠薬代わりの魔導薬を、規定量の二倍。
意識は遠のくが、死には至らない。
――戻らない。
エルシアは、ノートに書き留める。
「死ななければ、世界は進む」
その一文を書いたとき、
胸の奥が、ひどく冷えた。
つまり――
世界は、彼女の「死」だけを拒絶している。
*
一方、その頃。
街の外れ、崩れた聖堂跡。
「……奇妙だな」
フードを被った男――
ゼフィル=ナハシュは、瓦礫の上にしゃがみ込んでいた。
蛇のような瞳が、空間の歪みを捉える。
「この世界……一度、折り返している」
空気の流れ。
魔力の残滓。
本来、存在しない“継ぎ目”。
「英雄が生きているからではない……」
小さく笑う。
「誰かが――
死んでは、戻っている」
だが、英雄たちは生きている。
終焉の獣も封じられている。
残る可能性は、一つ。
「……ルクスフィリア」
英雄の姓。
だが、ゼフィルの脳裏に浮かんだのは、
もう一人の名だった。
「妹の方か……」
夜風が、フードを揺らす。
世界は、まだ終わっていない。
そして――
神は、何かを拒み続けている。
*
その夜、エルシアは夢を見た。
崩れた世界。
倒れた姉。
誰もいない空。
そして、どこからか聞こえる声。
――まだだ。
――この結末ではない。
目を覚ましたエルシアは、静かに息を吐いた。
「……次は、もっと先を見ないと」
英雄の妹として。
世界に拒否されない存在として。
彼女は、まだ知らない。
すでに――
世界の異常に気づいた者がいることを。
⸻
――第3話・了
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