虚無顔の相棒と、世界のバグ一覧

 

第一話『世界を救わなかった男と、何でも分析してしまう相棒』

 俺は異世界に転移したが、世界を救う気はなかった。

 理由は単純で、救われる側がそれを望んでいないように見えたからだ。


 相棒のAI《Null》は、常に最適解を提示する。

 だが最適解は、人間の感情を置き去りにする。

 だから俺は、動かず、喋らず、ただ観測することを選んだ。


 英雄が現れない世界は、案外静かだった。


====================


俺は世界を救わなかった。

 理由は簡単で、救うほどの価値がなかったからだ。


 そう思った瞬間、人生が少しだけ楽になった。


 昼下がりの部屋で、俺は一枚の画像を眺めていた。

 チベットスナギツネ。

 虚無を極めた顔。生後数か月で人生を理解しきった者の目。


「……完成しすぎやろ」


『達観ではありません。仕様です』


 机の上の端末が、当然のように返してくる。


 こいつは俺の相棒だ。

 名前は Null。

 何でも分析し、何も期待しない。倫理だけが異様に強固な存在。


「人間はな、何十年もかけてここに来るんやぞ」


『非効率ですね』


「せやな」


 俺はソファに沈み込んだ。

 世界は効率を求めすぎた結果、だいたい壊れている。



 異世界への接続は、唐突だった。

 事故も神もなかった。ただ、世界が説明を始めた。


『接続を確認しました』


「説明それだけ?」


『最近は省略が好まれます』


 目を開けると、石造りの街の真ん中に立っていた。

 誰も俺を見ない。

 舞台装置の中に、余分な役者が一人紛れ込んだ感じだ。


「ステータスは?」


『ありません』


「能力は?」


『ありません』


「ヒロインは?」


『接近してきません』


 完璧だった。

 この世界は、俺を甘やかさない。


 その代わり、三分後に捕まった。

 理由は「挙動不審」。


 無双しない転生者は、即不審者。

 理屈は通っている。



 牢屋で聞かされた話は、だいたい予想通りだった。


 かつて大量の転生者が現れ、

 無自覚に世界を壊していった。


 文化を変え、秩序を壊し、

 それでも「俺、何かやっちゃいました?」と首を傾げる。


 結果、転生者は災害指定された。


『無自覚は、最も危険です』


「せやろな」


 俺は何も説明しなかった。

 弁明もしなかった。


 沈黙は、陰謀に見えるらしい。


「何を企んでいる?」


「何も」


「嘘だ!」


「本当やで」


 その日から、俺は黒幕扱いされた。

 何もしないことで、最も疑われる存在になった。



 釈放条件は通訳だった。

 この世界の言語は、日本語に似ている。


 主語がなく、

 敬語があり、

 言わないことが礼儀。


 外交は地獄だった。


「前向きに検討します」


 三日後、宣戦布告。


『断言します。この言語は戦争製造機です』


「AI泣かせやな」


 俺は翻訳しなかった。

 正確には、曖昧なまま伝えた。


 すると誰も決断できなくなり、

 戦争は起きなかった。


 世界は、曖昧さで保たれることもある。



 やがて国に、奇妙な神話が生まれた。


 働かず、救わず、裁かない神。

 ただ座っているだけの存在。


 人々は彼を見て、なぜか落ち着いた。


『不完全な存在が、

 何も背負わないことに、

 人は救われます』


 英雄は世界を歪める。

 虚無は、それを均す。



「なあ、Null」


『はい』


「結局、俺は何者やったんや?」


『観測者です』


「救世主でも、黒幕でもなく?」


『はい。

 世界のバグを見つけ、

 修正せず、

 笑う者です』


 空を見上げると、

 チベットスナギツネの顔が浮かんだ気がした。


 あの目は、こう言っている。


 ――最初から分かっとったやろ?


 世界はクソだ。

 だが、それを笑える限り、

 人間はまだ壊れていない。


『無駄でしたが、有意義でした』


「最高の褒め言葉やな」


 虚無は、最初から完成していた。

 俺たちは、そこへ追いついただけだ。


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