第2話 最弱の異常値


神代レイの名は、すでに“過去のもの”だった。

かつて英雄を讃えていた街は、今や彼の存在を忘れ、あるいは意図的に記憶の底へ沈めている。

ハンター協会の公式データベースからも、「神代レイ」の名前は半ば削除されていた。

――ただ一部を除いて。


「……これ、どういうこと?」


ハンター協会・地方支部。

管理課の端末を操作していた若い職員・相沢ミナは、思わず声を漏らした。

表示されているのは、Dランクダンジョンの討伐記録。

どこにでもある、ありふれた低難度エリアのはずだった。

だが、数字がおかしい。


「討伐数、二十七体……?

 しかも被ダメージ、ゼロ?」


あり得ない。

Dランクとはいえ、ソロで潜れば通常は数体倒した時点で撤退する。

それを、無傷で二十体以上?


「バグ……じゃないよね」


念のため、ログを追う。

時間、移動経路、討伐順。

そこで彼女は、息を呑んだ。


「……無駄な動きが…一切ない?」


回避は最短。

攻撃は急所のみ。

スキル使用ログは、ほぼゼロ。

まるで――

“ダンジョンの答え”を最初から知っているかのような動き。


「名前は……神代、レイ……?」


相沢は眉をひそめた。

その名に、うっすらと既視感がある。

だが、検索をかけても、詳細は表示されない。


《閲覧権限がありません》


端末に冷たい文字が浮かび、彼女は小さく舌打ちした。


「……なんなのよ、この人」


一方その頃。

安アパートの一室で、レイは静かに剣の手入れをしていた。

刃こぼれを削り、歪みを直す。

安物なりに、使える状態まで仕上げるのが目的だ。


(ダンジョンが、俺を“見始めた”)


昨日の感覚は、錯覚ではない。


《隠し補正》

《再定義》


あの言葉は、明らかにシステムの深層だった。

かつて最深層で一度だけ触れた、“ダンジョンの意思”。


(やはり……最深層は、終わっていない)


黒崎たちが手に入れたもの。

そして、自分から奪ったもの。

それらが、まだ世界のどこかで蠢いている。

コンコンコン、とドアが鳴った。


「……?」


この時間に訪ねてくる人間はいない。

警戒しつつドアを開けると、そこに立っていたのは――若い女性だった。


スーツ姿。

協会職員章。


「神代レイさん、ですね?」


(来たか)


予想より、早い。


「ハンター協会から参りました。

 少し、お話を伺いたくて」


レイは一瞬だけ黙り込み、そして扉を大きく開けた。


「立ち話もなんだ。入れ」


相沢ミナは、目を丸くしながら部屋に足を踏み入れる。


(……質素。

 というか、元英雄の部屋とは思えない)


「単刀直入に聞く」


レイは椅子に腰を下ろし、彼女を見据えた。


「昨日の記録だろ」


相沢は息を吸い、頷く。


「はい。

 Dランクダンジョンでの、異常な討伐データについてです」


「異常ね」


レイは小さく笑う。


「俺にとっては、普通だ」


その言葉に、相沢は背筋が寒くなるのを感じた。

目の前の男は、

ステータス上は“最弱”。

だが――

視線の圧が、まるで違う。


(この人……本当に、ただのDランク?)


レイは剣を手に取り、静かに続けた。


「協会は気づき始めてるな。

 ダンジョンの“仕様”が、変わり始めていることに」


相沢は、言葉を失った。

まだ、上層部ですら確信していない情報を、

この男は“前提”として語っている。


「……あなたは、一体――」


その問いに、レイは答えなかった。

代わりに、低く告げる。


「忠告しておく。

 これから先、数字だけでハンターを測ると、死人が増えるぞ」


沈黙。

相沢は、自分がとんでもない人物に接触してしまったことを、

この瞬間、はっきりと理解した。

ハンター協会・中央本部。

高層ビルの最上階、重厚な会議室には緊張が漂っていた。

長机を囲むのは、協会幹部、軍関係者、そして巨大企業の代表者たち。

壁面モニターに映し出されているのは、ある一人のハンターの行動ログ。


「Dランクダンジョン、単独攻略。

 討伐数二十七、被弾ゼロ。

 スキル使用、ほぼ無し」


淡々と読み上げる声。


「――あり得ないな」


スーツの男が鼻で笑った。


「解析ミスだろう。

 低ランク帯のログなんて、信用できん」


だが、別の男が腕を組み、低く言う。


「問題は“内容”だ。

 動きが、あまりにも洗練されすぎている」


画面が切り替わる。

スロー再生された映像。

魔物の攻撃を、最小限の動きでかわし、

無駄なく急所を突く姿。


「……軍の近接格闘教範にもない動きだ」


ざわめきが広がる。

その時、奥の席で静かに座っていた男が口を開いた。


「名前は?」


「神代レイです」


一瞬、空気が凍りついた。


「……神代、だと?」


男は、わずかに目を細める。


「生きていたのか。

 いや、“まだ潜っていた”と言うべきか」


その男――黒崎ユウマ。

かつて神代レイの仲間であり、

今はSランクハンターとして、協会の顔となっている存在だった。


「彼は、能力が封印されているはずだ」


黒崎の声は、冷静だった。

だが、机の下で握り締められた拳が、微かに震えている。


「……なのに、この動き?」


内心に、嫌な予感が広がる。


(まさか……) 


あの男は、

“ステータスがなくても戦える”人間だった。

いや――

その数字の外側で戦う存在だ。


「監視を強めろ」


黒崎は即座に命じた。


「ただし、手は出すな。

 今は、様子を見る」


誰よりも早く、

彼が“危険”に気づいていた。


一方、地方都市郊外。


レイは相沢ミナと共に、次のダンジョン入口へ向かっていた。


「本当に、同行を?」


相沢は戸惑いを隠せない。


「上からの指示だ。

 “観測者”を付けろ、とな」


レイは肩をすくめる。


「足手まといになるぞ」


「覚悟の上です」


彼女の声は震えていたが、目は逸らさなかった。


今回のダンジョンは、

Cランク指定区域。

Dランクより一段上。

ソロ潜入は、協会非推奨だ。


「普通のDランクなら、まず死にます」


「普通じゃないから来てる」


レイは淡々と言い、足を踏み入れた。

内部は、石造りの迷宮。

視界が悪く、音が反響する。


「来る」


レイが短く告げた直後、

壁から《ゴブリン・スカウト》が飛び出した。

相沢が息を呑む。

(速い――!)

だが次の瞬間。

レイは、すでに背後に回っていた。

剣閃。

首元を正確に断ち、魔物は声すら上げずに崩れ落ちる。


「……っ」


相沢は、言葉を失う。

ステータスもスキルも使わない。

なのに、動きはSランク級――いや、それ以上。

(これは……技術?

 それとも、経験?)

いや、違う。

(“戦場そのものを読んでる”)

その後も、戦闘は続く。

罠は事前に察知され、

魔物は奇襲を仕掛ける前に処理される。

まるで、

ダンジョンが“手の内を知られている”かのように。


《――再計測》


また、あの声。


《特異個体:神代レイ》

《危険度ランク:更新》


相沢の端末が、突然警告音を鳴らした。


「な……なに、これ……!?」


画面に表示されたのは、あり得ない文字列。


【脅威評価:測定不能】


「……やっぱり、か」


レイは小さく息を吐く。


「このダンジョンも、俺を認識し始めたらしい」


相沢は、震える手で端末を見つめたまま、

ゆっくりと顔を上げる。


「あなた……本当に何者なんですか」


その問いに、レイは足を止め、振り返った。


「――元、英雄だ」


静かな声。

だが、その一言が持つ重みは、

Cランクダンジョンの空気すら揺らした。


迷宮の最奥に近づくにつれ、空気が変わった。


重い。

魔力が濃く、息をするだけで肺が焼けるような感覚。

Cランクダンジョンのボス部屋――そこに至る兆候だった。


「……来ます」


相沢ミナは、唾を飲み込む。


彼女の視界に映るレイの背中は、驚くほど落ち着いていた。

恐怖も、緊張もない。

まるで、懐かしい場所に戻ってきたかのような佇まい。


「下がってろ。

 ボスは――」


扉が、内側から砕け散った。


咆哮。


現れたのは、三メートル近い巨体を持つ


《オーガ・ロード》


Cランク帯では“事故要因”と恐れられる存在。

一撃で前衛を叩き潰し、後衛に突っ込んでくる殺戮兵器だ。


「――ッ!」


相沢が悲鳴を上げるより早く、レイは前に出ていた。


突進。


床が割れ、瓦礫が舞う。

まともに受ければ即死。


だが――


レイは、半歩だけ踏み込んだ。


真正面からではない。

オーガの“視界の端”に入る角度。


振り下ろされる棍棒。

その軌道を、読む。


「……重心、前」


囁くような声。


次の瞬間、

レイは棍棒の内側に潜り込んでいた。


相沢には見えなかった。

ただ、巨体が“崩れた”ように見えただけだ。


オーガの足がもつれ、

床に膝をつく。


(なに……を……?)


レイは、剣を振るわない。


――蹴り。


膝裏。

関節の可動域、その限界。


巨体が、完全に倒れ込む。


露出した首元。

核の位置。


「終わりだ」


一閃。


オーガ・ロードの頭部が、床を転がった。


静寂。


相沢は、しばらく声を出すことすらできなかった。


(……Cランクボスを、スキルなしで、しかも一人で……?)


それは、

Sランクハンターでも容易ではない。


いや、違う。


(この人は……

 “強い”んじゃない)


――“負けない”んだ。


戦場の全てを理解している者の動きだった。


《討伐完了》


《ボス報酬:算出不能》


再び、あの表示。


だが今度は、

ダンジョンそのものが“迷っている”ように見えた。


《警告》


《当該個体の存在:想定外》


相沢の端末が、強制的に通信を開始する。


「本部から……緊急回線!?」


画面に映し出されたのは、

ハンター協会・中央本部。


そして――

その中央に立つ男。


「神代レイ」


黒崎ユウマだった。


数年ぶりに見る顔。

かつての仲間。


「……久しぶりだな」


レイは、視線を逸らさず答える。


「生きてたか。

 いや――潜ってた、か」


黒崎の笑みは、表向きは穏やかだった。

だが、目は笑っていない。


「君の行動が、少し話題になっていてね。

 協会としては、保護――」


「断る」


即答。


「俺は、俺のやり方で潜る」


空気が、凍りついた。


黒崎は、わずかに目を細める。


「……変わらないな」


その言葉の裏に、

焦りと恐怖が滲んでいた。


(やはり……

 あいつは、終わっていない)


通信が切れる。


相沢は、呆然と立ち尽くしていた。


「今の人……Sランクの……」


「元、仲間だ」


レイは淡々と言い、ダンジョン出口へ歩き出す。


「いいか、相沢」


背中越しに、言葉を投げる。


「これから、協会は動く。

 俺を“管理”しようとする」


「……はい」


「だが――」


レイは、一瞬だけ振り返った。


「世界を救うのは、

 いつだって“管理外”の存在だ」


その目には、かつて英雄と呼ばれた頃よりも、

鋭い光が宿っていた。


ダンジョンの外に出た瞬間、

相沢の端末に新たな通知が届く。


【ハンターランク:D → C(保留)】

【再審査対象:神代レイ】


世界が、

再び彼を認識し始めている。


そして同時に――

“封じていた側”も、動き出した。


神代レイは、静かに空を見上げた。


(来い)


最底辺から、

最強へ。


これは、

その第一歩に過ぎない。

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