かつて人類最強と謳われた英雄の復讐譚〜仲間に裏切られ全てを失ったが成り上がろうと思います〜
天蝶
第1話 失墜した英雄
世界が変わったのは、あまりにも唐突だった。
ある朝、東京湾沿岸に出現した巨大な裂け目。
そこから溢れ出した異形の怪物と、物理法則を無視した空間構造――後に“ダンジョン”と呼ばれるそれは、文明社会の常識を一夜で破壊した。
銃火器は通じず、軍隊は壊滅。
だが同時に、ごく一部の人間が覚醒した。
【スキル】
【ステータス】
【レベル】
ゲームのような概念を身に宿した者たち。
人々は彼らを畏怖と期待を込めて、こう呼んだ。
――ハンター。
神代レイは、その最前線に立つ男だった。
「前衛は、俺が行く。後方支援は三十秒遅らせろ」
冷静で、低い声。
ダンジョン第七層、灼熱の回廊。
溶岩を思わせる赤黒い床を蹴り、レイは単身で突っ込んだ。
迫り来る炎魔獣イフリートの爪を、紙一重で回避。
次の瞬間、剣が閃く。
――一撃。
常人では見切れない速度で振るわれた斬撃が、魔獣の核を正確に断ち割った。
巨体が崩れ落ちる前に、後方から歓声が上がる。
「さすがだ……!」 「やっぱり神代さんがいれば違う!」
だがレイは振り返らない。
賞賛にも、喝采にも、何の価値も見出していなかった。
(甘い……)
このダンジョンは、まだ本気を出していない。
彼は知っていた。
モンスターの湧き方。
罠の配置。
“最深層へ至る者を、必ず試す仕組み”。
それらすべてを、誰よりも早く理解していた。
なぜなら――
彼は、世界で初めてダンジョンを攻略した人間だからだ。
神代レイは世界初のSランクハンターで人類最強の英雄だった。
メディアは彼をそう呼び、国家は象徴として祭り上げた。
ハンター協会は彼の存在を広告塔に使い、企業は莫大なスポンサー料を支払った。
だが、レイ自身は理解していた。
(俺は“特別”なんかじゃない)
ただ、誰よりも早く“死にかけた”だけだ。
最初のダンジョン。
無知と恐怖の中で、仲間が次々と死んでいった。
逃げ場もなく、助けも来ない地獄で、彼は生き残るために考え続けた。
どうすれば生き延びるか。
どうすれば勝てるか。
その積み重ねが、今の自分を作ったに過ぎない。
「神代」
背後から声がかかる。
振り返ると、パーティリーダーであり、長年の仲間である黒崎ユウマが立っていた。
「次で最深層だ。……緊張してるか?」
レイは一瞬だけ黒崎を見る。
その視線は鋭く、何かを測るようだった。
「いいや。想定通りだ」
「相変わらずだな」
黒崎は笑う。
だが、その笑みの奥にあるものを、レイは見逃さなかった。
――焦り。
――欲望。
(……やはり、か)
最深層。
そこには未曾有の報酬があると噂されていた。
新たなスキル。
未知のアーティファクト。
あるいは――ダンジョンの“支配権”。
それを手にした者は、世界を変える。
だからこそ、人は裏切る。
「神代」
黒崎の声が、わずかに低くなる。
「もし、万が一のことがあったら……お前が前に出ろ」
レイは無言で頷いた。
その瞬間、確信する。
(――来る)
英雄として称えられた日々は、ここで終わる。
だが、まだだ。
今はまだ、剣を振るう時ではない。
ダンジョンの奥で、静かに口を開く“何か”の気配を感じながら、神代レイは再び前を向いた。
――それが、全てを失う始まりだとも知らずに。
最深層への扉は、静かすぎるほど静かにそこにあった。
黒曜石のような扉。
表面には幾何学模様とも、古代文字ともつかない紋様が脈打つように浮かび上がっている。
ダンジョン第十層――人類未踏の領域。
「……これが」
誰かが、喉を鳴らすように呟いた。
空気が重い。
魔力濃度が桁違いだ。
肌を撫でるだけで、命を値踏みされている感覚がある。
神代レイは一歩前に出た。
「ここから先は、想定通りにはいかない。全員――」
言いかけて、言葉を止める。
背後の気配が、決定的に“変わった”。
(来たな)
瞬間、足元の床が砕け散った。
「――ッ!?」
爆発的な衝撃。
床に刻まれていた紋様が赤く輝き、術式が発動する。
レイの身体が、重力に引きずり込まれるように沈んだ。
ステータスが、強制的に書き換えられていく感覚。
筋力、敏捷、魔力――英雄を英雄たらしめていた数値が、一気に削り取られていく。
「黒崎……!」
振り返った先で、黒崎ユウマは扉の前に立っていた。
剣を構えたまま、動かない。
その表情には、もはや迷いはなかった。
「悪いな、神代」
淡々とした声。
「世界は、“英雄一人”のものじゃない」
周囲にいたパーティメンバーたちも、次々と距離を取る。
回復役は詠唱を止め、支援役はスキルを解除していた。
――最初から、全員グルだった。
「ダンジョン崩壊のトリガーは、お前が最深層に踏み込んだ瞬間に起動する」
黒崎はそう言って、視線を逸らす。
「責任は全部、お前だ」
次の瞬間、扉の向こうから“何か”が目覚めた。
耳鳴り。
空間が悲鳴を上げ、ダンジョン全体が崩壊を始める。
「――クソ……ッ!」
レイは歯を食いしばり、剣を振るう。
奪われた能力の中でも、身体に染み付いた動きだけは残っていた。
だが、限界だった。
崩落。
爆炎。
瓦礫。
最後に見えたのは、黒崎たちが脱出ゲートへ消えていく背中だった。
◇
目を覚ました時、レイは病院の天井を見上げていた。
全身が重い。
体を起こそうとして、できないことに気づく。
(……ステータスが、見えない?)
確認しようとしても、何も表示されなかった。
扉が開き、スーツ姿の男たちが入ってくる。
ハンター協会、政府関係者、そして――見覚えのある顔。
「神代レイ」
冷たい声。
「ダンジョン第十層崩壊事件について、事情聴取を行う」
その日から、地獄が始まった。
記録は改ざんされていた。
証言はすべて、レイ一人を糾弾する内容だった。
――英雄の独断専行。
――最深層突入による暴走。
――多数の犠牲者。
真実を語ろうとしても、誰も耳を貸さない。
「裏切りだと言う証拠は?」
「……ありません」
その一言で、全てが決まった。
能力封印。
Sランク剥奪。
ハンター資格の事実上の無効化。
記者会見で流された映像の中、
“元英雄”と呼ばれる男は、沈黙したまま頭を下げていた。
SNSは炎上し、街では石を投げられた。
「偽善者」 「英雄気取り」 「人殺し」
誰もが、神代レイを悪者にした。
◇
数年後。
薄暗いダンジョン入口。
Dランク指定区域。
「……次、誰が行く?」
受付の女が、面倒くさそうに言った。
「俺でいい」
手を挙げたのは、ボロい装備を身に着けた男だった。
神代レイ。
ステータス表示は最低値。
周囲のハンターたちは、嘲るように笑う。
「まだやってたのかよ」 「懲りねえな、あの落ちこぼれ」
レイは何も言わず、ダンジョンへ足を踏み入れた。
その奥で、
かつて人類最強と呼ばれた英雄の目が、静かに光る。
(――取り戻す)
奪われたものを。
踏みにじられた真実を。
そしてこの世界が、
誰によって守られてきたのかを。
ダンジョン内部は、湿った空気に満ちていた。
Dランク指定区域――
かつて神代レイが一人で踏破していた層より、はるかに浅い場所。
それでも初心者が命を落とすには十分な危険が潜んでいる。
「……三歩先、天井」
レイは足を止め、視線を上げた。
次の瞬間、巨大な岩塊が落下する。
直前まで彼が立っていた位置を潰し、鈍い音を立てて砕け散った。
(単純な落石トラップ。
配置が雑だ。最近できたダンジョンだな)
周囲に誰もいないことを確認し、レイは小さく息を吐く。
――ステータスは最低値。
――スキルは発動しない。
それでも、恐怖はなかった。
(数字がなくなっただけだ)
敵の動き。
地形。
間合い。
それらを読む“感覚”は、封印されていない。
角を曲がった先で、魔物の気配を感じ取る。
スライムの上位種、《ダークジェル》。
Dランク帯では、集団で襲ってくる厄介な存在だ。
「来るぞ……」
レイは剣を抜く。
刃こぼれした安物の剣。
英雄時代に使っていた神剣とは、比べるべくもない。
だが――
一体目が跳躍した瞬間、
レイは踏み込んだ。
剣を振るわない。
突きもしない。
“ずらす”。
わずかに身体を傾け、
魔物の核が通過する軌道を狂わせる。
自滅。
床に叩きつけられたダークジェルが、核を露出させた瞬間を逃さず、
レイは剣の柄で叩き潰した。
「一体」
続けて、二体目、三体目。
攻撃は最小限。
無駄な動きは一切ない。
数分後、
床には溶けた魔物の残骸だけが残っていた。
(……問題ない)
身体は鈍っていない。
判断も、速度も。
むしろ――
ステータスに頼らない分、研ぎ澄まされている。
その時。
《――条件達成》
頭の奥に、かすかなノイズが走った。
(……?)
今まで何も表示されなかったはずの“声”。
《ダンジョン観測者による認識を確認》
《特異個体:該当》
レイは、動きを止めた。
(今のは……システム?)
かつて、最深層で一度だけ聞いたことがある。
ダンジョンそのものが、“意思”を持っていると疑った瞬間。
《未登録戦闘方式を検知》
《経験値算出不能》
《――再計測》
視界の端に、微かに文字が滲む。
【隠し補正:適用中】
【戦闘経験値:再定義】
次の瞬間、
身体の奥が、わずかに熱を帯びた。
(……封印が、緩んだ?)
いや、違う。
これは“解放”ではない。
ダンジョン側が、彼を再び“危険因子”として認識し始めたのだ。
「面白い……」
レイは、静かに笑った。
もしこの世界が、
数字とスキルだけで強さを測るなら。
――自分は、その“外側”にいる。
ダンジョン出口に戻った時、
待っていたハンターたちが目を丸くした。
「……生きてる?」 「ソロで? マジかよ」
レイは何も言わず、素材を提出する。
受付の女が端末を見て、目を見開いた。
「討伐数……異常です。
これ、本当に一人で?」
「他に誰がいる」
短い返答。
周囲がざわつく中、
レイは背を向けて歩き出す。
(始まったな)
英雄は死んでいない。
ただ、表舞台から引きずり降ろされただけだ。
そして今――
最底辺から、再び世界を見上げる。
裏切った者たちが、
まだ“安全圏”にいると思っているうちに。
神代レイは、もう一度、剣を握り直した。
――ここからが、本当の戦いだ。
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