今日、もしくは昨日、あと一昨日の話
ふわ骨
今日、もしくは昨日、あと一昨日の話
雪が積もっていて、冬と言っても差し支えのない季節。しかし夏よりも照っている太陽が、冬である事を忘れさせる。だからなのか私は、コートやジャンバー、ジャケットなどを羽織ることなく、外へと出た。
外へと出た瞬間に、痛いほどに照りつけられる太陽と、邪魔者を排他せんばかりに吹き付ける風が、今日のファッションは失敗だったと思い知らされた。ここで戻っても良かったのだが、どうしようもない歩くことへの焦燥が、歩みを進めさせた。
1歩2歩と進んでいくと、少しずつ景色が変わってくる。勿論、いつも通りの道なのだが、雪があることによって、引き締まっている。それがなんだか嬉しくて、しゃがんで雪を両手で掬ってみた。なんだか、雪合戦がしたくなって、雪を丸めてみた。しかし、それは直ぐに邪魔になって、禿げた雪から見える黒いコンクリートに投げつけると、タン、と弾けた。
アンダーバスを通って、スーパーとそれに隣合っているコンビニを見て、いつも通りにくすくすと笑う。だって変だ、スーパーの方が、コンビニよりも商品数も多くて、安い。明らかにコンビニへ行く意味がわからない。しかし、私はコンビニに入った。
ピンポンピンポンピンポン、と軽やかながら、心地の良い音と共に入店した。ドリンクが並ぶ、ガラス張りの棚へと向かう。小さい頃にはこの棚に驚かされたものだ。8歳くらいの時には、ドリンクを取ると直ぐに補充される仕組みに、12、3歳くらいの時には、奥で人が蠢いていることに驚かされた。まさか人が奥にいるとは思っていなかったから、少し動けなくなった。
そんな歴史のある私は今、棚の奥で動く人影を見ても動揺せずに、そのコンビニのロゴが付いた、カフェラテを取った。元々、1番安いから、と買ったのだが、他のカフェラテよりも、チープな味を今では気に入っている。先程コンビニに行く意味がわからないと言ったが、嘘をついたかもしれない。コンビニにはこのカフェラテがあった。
それを手に、菓子コーナーに赴いた。流石に、ここで袋菓子を買うのは意味がわからないから通り過ぎ、グミやガム、チョコ菓子が並ぶ棚の前に立った。どれを選ぶか視線を右往左往していると、私と同じく迷っている人が隣に来る。バツが悪くなって、なにか箱に入ったお菓子を取ってレジへと向かった。
ピッ、ピッ、と2つしかないから、2回の音が響いた。袋いりますか? と言われたから、大丈夫です と言い、財布からお金を出して、店員さんに渡そうとすると、セルフレジです と言われた。思わず、ごめんなさい と小さく言って、セルフレジにお札を入れようとするが、焦って手間取ってしまう。うんともすんとも言わない彼女の視線がとても痛かった。仕事なのだから当たり前なのだが、でもいっそ笑って欲しかった。
ピンポンピンポンピンポン、と入店音同じ音を聞いたはずなのに、今回は煽られた気がして少しムカついた。私は気持ちを引きずりながらも、およそ10分くらい歩いて、古書店に着いた。
開店時間近くに合わせて来たから、あまり人がいなかった。静粛の中で、私の冬靴から出る音だけが響くものだから、少し恥ずかしかった。私は、小説のエリアへと向かう。広い店内だから、奥に行くと、人の気配がなくなって来て安心する。 悴んだ手が溶けてきた頃、いい感じの本に出会った。端的なタイトルに、真っ黒な背表紙が、周りと調和できていなくて、へそ曲がりなそれを手に取った。ペらぺらめくっていって、1、2ページ読み終わると私は、そっと棚に戻した。そうして、ざっと目を通してから単行本の棚を離れて、文庫本の棚へと向かった。
結局名著と言われる作品や、文豪と言われる人の作品、そして賞を取った作品に目が引かれる。聞いた事のない作品を手に取るハードルの高さと、それを乗り越えれない自分が嫌になるが、最近はそれも受け入れて、実直に手に取る。
最近、夏目漱石の「吾輩は猫である」が800ページほどあることに驚いた。歴史の教科書に書いてあったり、国語の便覧だったりに書いてある癖に、そんな分厚いとは思っていなかった。私は結局、それに気圧されて、読んでいない。
私の中にある猫像では吾輩なんて言わないから、今の所、自分を猫だと思い込んでいる人間の話なのかな、と思っている。本のタイトルを見て、こう妄想するだけでも楽しいから、書店はいい。
だんだん人が多くなって来た。なのに、変わらないこの静けさが大好きだ。そのくせ、やはり私は本棚の1列に1人、人がいるだけでそこに入り込むことができなくなった。仕方なく出ることにしたが、何も買わずに出ていく時の気まずさといえば、言葉に表せない。しかし、多分彼等彼女等は、何も感じていないのだろう。そう思いながら、できるだけ隅を通って外に出た。
入店前よりも、少し暖かくなっただろうか。とはいえ、まだまだ寒い。それを誤魔化すように、私はコンビニで買った、細長いチョコのコーティングがされた菓子を、口にする。ポリッ、と音を立てるそれは、コーティングだけでなく、パウダーまで掛かっているらしく、口触りまでも良い。それは、私の寂しい味覚、触覚、嗅覚を満たしてくれた。
十字路で青色を待ちながら、また口にしていると、私の前を通る車の助手席から多種多様な視線を感じた。私が何も出来ないと思っての行動だと感じたから、がんをつけてやった。瞬間の出来事だから、彼等彼女等の変わる表情は分からない。しかし、少しスッキリした。
十字路を通り過ぎて、ゴルフ打ちっぱなしの横を通る。ゴルフ打ちっぱなしというものは、野球で言うところの素振り?それなのに満員御礼で、コンッ、コンッ、と音を鳴らすために全員が、必死にクラブを振っている。私には出来ないな、と思いながら、通り過ぎた。
すると川を通り過ぎるための小規模な橋が現れる。手すりには雪が積もっていて、奥の面には氷柱がぶら下がっている。手に取ろうとすると、それは落下して川の流れに流されることなく、水の表面で割れた。結構でかかったから、少し悔しい。連なってそれがあったから、もう1本手に取る。次は上の氷柱になっていない部分からもぎ取った。上の部分を取って、氷柱を手に持つ。手が冷たい。それは傷だらけながらも、全くの透明で突先は、ツン、ととんがっている。人の影が前から来たから、名残惜しいが川に落とした。次は、ポチャン、と音を立てて川に流れた。
2軒目の書店に着いた。書店とは言っても、ビデオレンタルやらとの複合だから、あの静けさはない。でもこの雑多な感じも嫌いじゃない。今度はマンガコーナーに向かった。マンガは逆に、ワンピースやドラゴンボールなどの有名な物をわざわざ読もうとは思わない。これは、何巻もあって、場所的にもかさばるし、お金も掛かるからだろうけど……。
それからはゲームコーナーに行ってみたり、レンタルDVDを見て回ったりした。だんだん、慣れていない冬靴に足が痛くなってきて、帰ろうと外に出た。慣れない靴でいっぱい歩くと足が痛くなるなんて、どこでもよく言われる当たり前のことなのだが、初めての体験だった。しかし、こんなに歩いて何も無いのは癪なので、また1軒目の古本屋を帰りに寄った。
そこには、人がぽつぽついたが、その中でも子供2人を連れた母親がいて、子供がR18を示す暖簾を指さして、お母さん、なんで18歳以下はダメなの? と言って、お母さんが、ダメなものはダメなの と言ったのだが、納得しなかったのか、裏側に走っていった。ひやひやしたが、お母さんが子供をしっかり制したので、肩を撫で下ろした。確かに、こんなシチュエーションが来たとしたら、私ならどうするだろう。そう考えながら本を選んでいたら、三島由紀夫の「潮騒」というものが目に入った。三島由紀夫には明るくなくて、断片的にしか情報がないのだが、1度読んでみてもいいかなと思って、手に取った。レジに行って、会計を済ませて、店から出た。
行きよりは歩いているのも楽しかったのに、帰りは全然楽しくなくて、長い道のりに感じてしまうのはただ足が痛いからだけではないだろう。風もなくなって、向かい風でもない。照っていた太陽は、少し曇って丁度いい。ならなぜだろう?私は、隅によった硬い雪を蹴った。
今日、もしくは昨日、あと一昨日の話 ふわ骨 @Hwhwgtgt0219
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