声から始まる恋愛小説 第2部〜頭の中の小説
茄子と塩
第1話
『リスナーの皆さん、今晩は。宮下佳菜子です。今宵も素敵な作品と出会ったお話を、聞いてください。』
夜の同じ時間、同じタイミングで、同じ言葉を発していた。でも、今日は違う。いつもより楽しい気持ちが込められていた。
昨日の夜も、いつもと同じように放送を終え、次の打ち合わせや今日の反省点をディレクターと話し、区切りがついたところで局を出た。
いつもと変わらない、そう思っていた。いつもの日常が、一変するまでは。
地元のラジオ局のパーソナリティーになって三年。毎日、同じ時間の、同じ駅のホームに立つ。でも今日は違った。
電車を待っている人が、ちらりとこちらを見た。私の耳の奥で、小説のページがめくれる、気持ちのいい音が聞こえた。
偶然にも、私もいつもこの車両の位置に乗る。胸が弾むような感覚。顔が熱い。緊張と嬉しさで、変に顔に力が入ってしまう。
電車の到着のアナウンスが鳴り、風を切る音と、金属が擦れる音が鳴り響く。ドアが開き、流れに身を任せて乗り込んだ。
目の端で確認できた。彼はドアのすぐ側に立っている。私はその反対の角に収まっている。
発車し、電車が揺れ、髪がふわりと顔にかかる。髪を指でとかすふりをして、そっと彼を覗き見る。
あっ、、、
目が合ってしまった。彼がビクっと驚き、会釈をしたみたいだった。覗き見たのがバレたみたいで、恥ずかしさで顔が熱い。
でも、向こうも見てたんだよね。もしかして覚えてる? そう思い、今気づいたふりをしながら、声をかけた。
「翔くん?」
「えっ!?」
と驚いた声が聞こえた。私の顔を確認するように、彼はこちらに顔を向けた。驚きと焦りの表情で、上から下まで見てくる。そして、何かを思い出したかのような間があってから。
「宮下さん?」
と、私の名前を呼んだ。懐かしくて心地よい。私は中学時代、彼からそう呼ばれていたのだ。
彼は疑問がぬぐえない顔をしていた。だから、私ははっきりと。
「はい。」
と答えた。
彼は今度は慌てて。
「え? なんでっ?」
状況がのみこめないようだった。そうだよね。偶然、中学時代のクラスメイトに会ったら、びっくりするよね。異性だったら尚更、反応に困るよね。
「私、いつもこの電車だから。」
私も少し慌てているのか、彼が思っているのとは違う答えをしてしまっていた。
「宮下さん、仕事帰り?」
「うん、そうだよ。翔くんも?」
彼はシャツにスラックス、ブリーフケースを持っていた。事務職関係の仕事をしていそうだ。
「そう、今帰り。今日はちょっと遅くなったけど。」
そう言うと、また何か気まずそうな顔をした。
「そうなんだ。仕事、忙しいんだね。」
残業して疲れているのかもしれない。でも「今日は」と言っていたから、毎日ではないらしい。それでも、また会える気がした。
「でも、良かった。こうして偶然、再会できたから。」
また不思議そうに、私の顔を見てくる。彼は、私の高校、専門学校時代を知らないのだ。そして、忘れていたのだ。でも、それも私の頭の中の小説には書いてある。だから、安心して言う。
「ねえ? 連絡先交換しない?」
「え!?」
彼はまた、目を丸くした。
「あ、うん、いいよ。」
ちょっと戸惑いながら、連絡先を交換した。まあ、保険かな。また同じ電車の、同じ車両に、すぐに乗れないかもしれないから。
連絡先のプロフィールの
『天野 翔』
という文字が、すっと心に一行書き足される。嬉しさで、顔が緩んでしまう。
「ありがとう。」
「いえ、こちらこそ。」
そう言って、お互い気恥ずかしそうに笑い合った。
その後、少し近況を話した。お互いの仕事と経緯を。話も弾み、盛り上がってきた頃、電車が止まった。
彼は向きをドアに向け、すっと背筋を伸ばした。あの頃より、随分見上げるようになっていた。
「ここだから。」
と、少し手をあげてドアを出る彼に。
「またね!」
と手を振った。確信があった。また、同じ電車、同じ車両に乗れると。
そう思いながら、名残惜しい気持ちで、頭の中の小説に栞をはさんだ。
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