第2話


 そこにいるのは私の今世の婚約者であるヴァレン・ヴァレンティアだった。

 薄ピンクの髪をしていて、冷たいグレーの瞳が私を見下し射抜く長身の男。勝ち気そうな美貌の少年だった。彼は私より2歳年上の16歳、3年生。


「おい、ガキ。手を煩わせるな。このヴァレン・ヴァレンティア様の時間を奪うなんて何様だ?」


 おそらく婚約者が意識を失ったと教師にでも呼びつけられて渋々来たのだろう。いつも彼は私が婚約者なのが嫌でたまらない様子だった。


「ハア、なぜお前なんかがこの俺の婚約者なんだ。あまりに俺に釣り合わない」


 ヴァレンが嫌うのもしょうがない。私は落ちこぼれで嫌われ者の、年下の許嫁。元々これは私が父様に無理を言って結んでもらった契約だ。だが今、私の頭は違うことでいっぱいだった。それどころじゃなかった。

「うるさいわね」


 思えばこの男はいつもそうだった。セレスタを忌々しそうに見る。


「……は?」

 目の奥が一瞬揺れる。

「うるさいって言ったのよ。そんなにこの婚約が嫌だったらさっさと破棄すればいいじゃない」

「……それは、」


 当の本人の彼が嫌だと言えば、すぐにこの婚約も終わる。

 元のセレスタは彼を慕い、どれだけ辛くされても追いかけていた。ヴァレンに相応しい女であるため、強さにこだわっていた。

 

 だが……。


「どきなさいよ、邪魔」


ベッドから降りて私はそう言った。その時のヴァレンの顔を確認することなく、私はさっさと扉から出て行った。

 

 今はヴァレンよりライニスよ。探さないと。彼が死ぬ未来だけは変えなきゃ。

 校内を回って探していると、人集りがあった。男女問わず人が密集していて、みんなある点を一心に見つめている。中心で、必死に無実を訴える荒げた声がした。


「僕が犯人なわけないだろう!! ふざけているのか!?」


 私は人混みを掻き分け、その声の主に向かって近づいていく。


「僕の父上が黙ってないぞ!!」

 

 教師たちに肩を掴まれ、震えているライニスを見つけた。

 光に煌めく銀髪を一つの三つ編みにして首から流している。背は私より少し高いくらい。顔がこわばっていて、サファイアブルーの瞳は恐怖に目が見開かれている。味方が一人もいない、哀れな少年がそこにいた。

 よく前世の世界ではライニスは『ヘタレキャラ』として有名だった。ヘタレの言葉の意味は、臆病で情けない、能力がない、実力不足など。前世の私はそこが好きだったのよね。

 

 彼は無理やり歩かされて、応接間の一つに連れて行かれた。ライニスが消え、その部屋の扉がゆっくりと閉まるのを私は呆然と見ていた。厳重に扉の両側に見張りがつく。

 

 なぜライニスがこんなにも疑われているの? 隔離するなんて何か決定的な証拠があるからに違いないわ。

「なんなの、その証拠は……」

 私は唇を引き結んだ。

 

「杖が──」

「早く魔術警察に来て欲しいわ、私怖くって」

「ヴァンパイアだったりして」

 おしゃべりな女子生徒がヒソヒソ話をしている。


 ざわざわと物見遊山に来ていた生徒たちは好き勝手に喋る。

 私は思わず叫んでいた。

「ライニスは犯人じゃないわ!! 犯人は別に──」


 ざわざわしていたのが静まり返って、ありとあらゆる視線が突き刺さる。私は一歩後退り、唾を飲み込んでいた。

 上級生らしい一人のブロンドの長髪を流した男が少し首を傾げて言った。

「お前、一年Cクラスのセレスタ・ローゼンベルクだろ」

「それが何よ」

 私は少し顎をあげる。「あの」「悪名高い」と周りで声がさざめく。この面々の中、彼は堂々と巻きタバコを咥えて尋ねる。

「なんであいつが犯人じゃないと思った?」

「それは、だってそんな人じゃ──」

「あいつはお前ほどじゃないが嫌われ者だぜ? 父親が宰相であることや、家柄を盾に子分を引き連れ、一年のボス面をしてな。グランヴィルが人を殺す理由は知らないが、完全に否定できるほど潔白じゃない」

 

 私には分かる。

 ライニス・ルシアン・グランヴィルは『ダメ恋』に相応しくヘタレで卑怯な人間だが、人殺しなんてできる器じゃない。

 弱さを隠すために虚勢を張るが、殺人なんて大それたことはできない。本質的に小心者で、暴力的な手段は決して使わない。


 だが、それをどう説明する?


 私は呆然と立ち尽くしていた。

 

 その時どこからか声がした。

「じゃあお前が犯人だったりして」

「なっ……!!」

 

 私は振り向いて声の主を確かめようとしたが、誰が言ったのか分からない。さざめきのように声が広がる。疑いが芽吹いていく。

「どうせあいつも同類だろ」

「ローゼンベルクって前から評判悪いしな」


 

 私は悟った。

 私が言ってもダメなんだわ。

 

 

 私には家の地位があっても人望がない。私じゃ、ライニスの疑いを晴らせない。


 私はその場から逃げ出していた。ただ歩く。風の音もしない静寂の中。

 

 熱い涙が頬を流れて、苦しさで息がつまる。無様だわ。それでも、涙が零れる。

 どうすればライニスの疑いを晴らして、命を救える? 


 歩きながら私は必死で考えた。

 このままじゃ、ライニスはゲームの通りに死んでしまう。


 涙が次々溢れ、止まらない。

 もはや意地で足を動かしていた。

 

 我ながら泣くなんてみっともないと思う。でも止めようとしても次々と溢れていく。気づけば、私は人のいない場所を探しているうちに、立ち入り禁止の塔へ足を踏み入れていた。

 

 月光の回廊を歩きながら私は思案する。白い柱が何本もだっていて永遠に近く無限に廊下は続いている。一人だけの靴音が響いていた。

 

 原作でライニスはこの学院の何者かに殺される。このまま魔術警察に捕まれば無事なのだろうか? いや、殺人罪でよくて追放、悪くて死刑。そんな目に遭うのは私が許せない。

 それに、隔離されている今も安心はできないわ。教師が殺人鬼かもしれないのだから。


どうすれば。


「ああ、芳しき血の匂いがする」


 救わなくちゃ死んでしまう。でも信じてもらえない。


「ほう、死ぬのが怖いと。それで泣いているのか」


 は? 違うわよ。

 

「……と、言うと?」



ライニスが死んでしまうから泣いているのよ。私が死んだからなんだっていうの? 私が死んだからって誰も悲しむ人なんていない。


「ほう」


 そこまで言って私は全て口に出していたことに気づく。そして私以外の声と会話していたことも。

 私はあたりを見回した。誰もいない。


 この月の光がさす長い廊下に一人っきり。


 背筋にゾッとしたものが走る。目の前にあるのは灰色の髪をした男の肖像画のみ。手を胸でクロスさせて目を閉じていた。まるで棺桶に飾られているように、ひどく美しい男が額縁に収まっていた。


 私は試しにその肖像画に話しかけた。

「覚えていないの。どうしてライニスが死んでしまうのか。肝心なことが思い出せないのよ」

「……覚えていないとは?」


 やっぱりこの絵から声がする。私は口を覆って驚きを抑えた。不気味だった。でも、私は返事をした。

 

 「前世の記憶があるって言ったら、あなた信じる?」



 ──その時だった。

 


 

 「……小娘、契約だ」


 

 空気が重く揺れた。背筋に氷が触れたような感覚。


 感じるのは──強者の圧。

 私は目を疑って剣を手に、一歩後ろに下がった。

 

 人が浮き出てくる。ゆっくりと、でも確実に、ズ、ズズ……と絵から顔が浮き出て平面だったはずのそれが陰影を帯び、立体へと変わっていく。

 

 閉じていた瞳が、ぱちりと開く。

 ──深紅。

 

 紅の瞳が私を射抜く。

 浮かび上がる腕はクロスされ、どんな墨汁より黒い襟つきのマントが絵の縁をこぼれ落ちるように垂れた。袖にフリル付きの絹のシャツ、そして漆黒のベストに身を包んでいる。

 

 まるで時代を越えて蘇った古き神話の吸血鬼。

 

 古代の彫刻のようだった。文字通り絵の中から飛び出た彼。星のように煌めくグレイの髪が腰まで流され揺れていた。印象的なのは、ホクロが左の目の下に二つあるところ。


 神が手ずから作り上げたような、男。

 

 その男は、警戒心むき出しで剣を構える私に一切怯えずに手を差し出した。



 

「我はその殺人鬼とやらを見つけ出してやる。その代わり、貴様は我の足となれ。小娘」



 

 

 

 

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