紅に罪は宿る〜嫌われ悪役令嬢がヴァンパイアと魔法学校で追うのは連続殺人鬼〜
一夏茜
第1話
私は天井の高い教室で、机に頬杖をついていた。窓から涼しい風が吹き込む。目の前に積まれているのは古びた魔導書。視線を少しずらせば、深い紺色の黒板が見える。大きなガラス窓から柔らかな日差しが差し込む、正午。
私は現実にうんざりしてため息を吐く。心の中は退屈一色だ。
それにしても、今日は鬱陶しいほど雑魚が騒いている。何かしら。まあどうでもいいけど。
「昨日のあれ、Bクラスの奴だってさ」
様々な感情を含んだざわめきがこの広い教室に溢れる。あくびを噛み殺して、机の木目を私はなぞった。
でもやっぱり今日の教室の雰囲気、なんか違和感があるわ。空気が妙に冷たい。
「本当でして? 私はヴァンパイアの王が復活して殺したと聞きましたわ」
後ろの女子生徒が恐れを声に滲ませて言った。今にも悲鳴をあげそうな震える声だった。隣の黒髪の男はそれを鼻で笑う。
「馬鹿馬鹿しい、それならまだ、グランヴィル家の長男が犯人の方が信じられる」
せせら笑う低い声が響いていた。
「彼、性格悪いものね、でも、ふふ。性格悪いと言えば……」
瞬間、くすくすといくつかの笑い声が響く。私は舌打ちを零した。次に続く言葉はわかっていた。心がざらつく気がする。
「でもあの子よりはマシじゃない?」
「どんな奴もアイツには流石に負けるだろ」
私はほんの少しだけ眉を寄せる。
別になんと思われても構わないけれど、私が下に見られることだけは許せない。
私は舐められることが一番イラつくのよね。
生徒たちに視線をやることなく、私は前の席の椅子に靴底を叩きつけ思いっきり蹴り上げた。椅子が跳ね上がり、軋む音と共に机を巻き込み教室を横切り黒板に叩きつけられる。椅子は木片となって床の黒い石材に散らばった。
シン、と沈黙が場を制した。
私は髪を払うと口端を上げた。
「あら、おしゃべりを続けても構わないのよ?」
それにかかってくる言葉はない。女子生徒なんか肩が震えていた。男子生徒も怯えながら距離を取る。
「ほんと……くだらない」
私は財布を取ると、立ち上がった。この教室に私の味方なんていない。別に期待もしないわ。本当、弱いもの同士群れて騒いで、何が楽しいのかしら。
この世は力が全て。
群れるのは弱者のやることよ。
入学当初から私は変わり者として名を馳せていたが、いつしか同級生の女をいじめる悪女として、有名になっていた。
そう最近、私にいじめられていると風潮し、私に絡んでくる女が一人いる。今は見当たらないのが救いね。
食堂に昼食を食べに向かう。食堂は右手に別棟としてあるので、私はわざわざ巨大な校舎を横切り、中庭を通る。芝生は手入れが行き届き、翡翠色に輝いて見えた。それに視界を奪われたその時。
「キャア!」
耳障りな声。一人の生徒が私に当たって大袈裟に倒れた。少し当たった感触に反して、倒れ方が妙に芝居じみてる。倒れた瞬間にわざとらしく声を張るその女。
私はその女子生徒の顔を見て、額に手をやると呻いた。
「うんざりするわ、またなの?」
こいつだ。やけに私に突っかかってきて、自分が私にいじめられていると風潮する、女。なんでも元々平民だったが貴族に養子に取られてこの学院に通えるようになったらしい。
1年生で一番可愛くて、男子はもちろん女子にも人気の女、フィオレ・ルミエール。
ハア、私の人生の中でトップクラスでどうでもいい情報だわ。
わざとらしい震えを私は白けた目で見る。
私がただ倒れたその女を見ていると、周りの奴らの目が、私を見て険しくなるのを感じた。引きつった視線が注がれる。囁かれる声はもちろん私の悪口。
「いじめてるって本当だったんだな」と声が聞こえた。
やってないことでギャアギャア言われるほどムカつくことはないわね。
そう、そんなら本当にいじめてやろうじゃない。
私は怒りを押し殺して、微笑む。
「伏せ」
微笑んだまま、声だけが冷える。
私は立ち上がったフィオレに向かって指を下に指した。
「……え?」
「あら、貴族のマナーを知らなかったの? 下民は吠える前に地に伏すのが礼儀よ」
私は腰に差した剣を触りながら、フィオレ・ルミエールを射抜いて口角を上げた。彼女はビクッと肩を揺らし、強張った顔で一歩下がる。視線が集中する中、私は堂々と笑みを浮かべていた。
「オトモダチにいつも周りを固めてもらってアンタはいいわね。喧嘩くらい一人で売ったら?」
「け、喧嘩なんて……」
「今更売ってないなんて通用しないわ。弱さに甘えてる奴はこの学校にいる価値すらない。大体アンタ、生き方がダサいのよ。恥ずかしいと思わないの? ねえフィオレ・ルミエール」
フィオレは真っ青に青ざめた顔で呟いた。
「テストで最下位だったローゼンベルクさんには言われたくないな」
言い返そうと口を開いたその時だった。
後頭部に強い衝撃。一気に意識が暗転した。
暗闇の中で私はぼんやりと漂っていた。いつしか現れたそこは見たこともない部屋だった。私が手に持つのは黒いツルツルとした、ボタンがたくさんついた何か。
顔を上げると、見たはずも聞いたはずもない言葉で書かれた文字。
『ダメなメンズに恋しよう!』
その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。記憶が雪崩込んでくる。忘れていたはずの言葉、顔、名前。全て思い出した。
ダメなイケメンがコンセプトのこの乙女ゲーム。
魔法学院に潜む連続殺人鬼を追う、ミステリー仕立てのファンタジー。選択肢を間違えると、主人公も含めて人が死ぬ鬼畜ゲーでもあった。
持っているコントローラーに視線を落としてから、目の前のパソコンを見る。銀髪の少年のイラストが微笑み、こちらを見ていた。段々記憶がぼやけていく。
待って、まだ思い出してないことが。
「君は僕の──救いだ」
声が響いていた。
私は身を起こして飛び起きた。そこは白いカーテンが揺れる保健室だった。乾燥した薬草が上から釣られていて、棚にはいくつも大量の魔法薬が整理されて並んでいる。消毒液の匂いがした。
あたりを見回して状況を理解した私は、息を荒げながら額に手をやる。
頭の中を整理しなければ。
「大丈夫ー? 君、ボールが頭に当たって昏倒したんだよ? あんなとこで遊んでた空球クラブには文句言っといたから」
白衣を着た保健医が、机の上で書き物をしていた手を止めて、眠そうな目で私を心配する。
「ええ、平気よ」
そんなこと今はどうでもいい。私はおざなりに返事をしながら考える。
ここは『ダメ恋』の世界、それは間違いない。
そして私は、悪役令嬢のセレスタ・ローゼンベルク、14歳。
学校中の嫌われ者。おまけに落ちこぼれ。
保健室に取り付けられた洗面台の鏡に映る私は、黒髪に赤いリボンが特徴的なキツめの顔立ちの少女だった。前世とは違う琥珀色の目は冷たい光を放っている。
私ははっきりと前世の人格と、今世の人格が混ざり合うのを感じた。前世では他人の目を気にして弱者として生きていた。でも今の私は違う。強者を尊敬するセレスタの気持ちもわかるし、推しを救いたいという気持ちももちろんわかる。
そう、今一番の問題。それは前世からの推しであるライニス・ルシアン・グランヴィルが、このままでは死んでしまうこと。思い出すのは血の滴るバットエンドの文字。
私はキツく拳を握った。
絶対に、ライニスは死なせないわ。
──ここは、海のはるか空中に浮かぶ浮遊島に存在する名門魔術学院。
ヴェル・ノワール魔術学院。略称ノワール校。
王族、貴族。特例で超才能者のみ入学可能。
学院は「五寮制度」で運営され、各寮は魔法属性と家柄、性格によって分かれる。
全生徒の人数は700人ほど。
イシュヴァールという大国の、魔術による国政支配の中核機関。生徒は皆14歳から入学し、4年生制システムの学院だ。私は二ヶ月前に入学したばかりの一年生。
このゲームのストーリーは、この学院で殺人事件が起きるところから始める。
ヒロインのフィオレ・ルミエールが、この学院で少しダメなところのあるイケメンたちと出会って、犯人を追いながら恋を育む、物語。そのストーリーでは、ライニスは殺人鬼に殺されてしまう分岐がある。
今、主人公であるフィオレとライニスは仲良くなっていない。フィオレがライニスと共に犯人を追い、救うルートじゃない。それが示すのは──。
直感が告げる。
――彼は、このままでは死ぬ。絶対にダメよ、なんとしても防がなくちゃ。
犯人は──。私はこめかみを抑えて頭痛を堪えた。思い出せないわ。肝心なことが全く思い出せない。いつ、どうやってライニスが死ぬのかわからない。私は唇を噛んだ。
そして教室がざわついていた今朝からのあれ。
もう一回目の事件が起こってたのね。友達がいないから知らなかったわ。
胸の奥がざわつく。
今、この世界が動き出している。
俯いて考え込んでいると、保健室の扉が開いた。
私は顔を上げた。ドクン、と胸が脈打つ。その男の存在に、今世の私の心が跳ねる。
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