02 Religion



「ジャス」


 部屋は深く静まり返っていた。


「ジャス、帰ってるか?」


 応答はない。だが、リビングルームに置かれたソファの背もたれに見慣れたブロンド頭が見え、デミアンは安堵の息を漏らした。


 ジャケットを脱ぎ、音を立てないようハンガーにかけ、そばに寄ってキスを一つ。いつからか部屋じゅうに漂うようになった形容しがたい匂いは、今ではジャスのそれと溶け合い、すっかり区別がつかなくなっていた。


「またやったのか」


 問いというより、息のようにこぼれた言葉だった。


 ジャスは濁った目を開け、ぼんやりと笑った。


「やめようとしたんだ。ほんとに」

「それで?」

「生きてる実感だけが残った」


 デミアンはジャスの手からストローを取り上げた。テーブルの上、崩れた粉の残骸を見下ろす。半端に開いたカーテンの隙間から差し込む光がそれを照らして、どこか遠くの惑星の地表に薄明かりが落ちているみたいだった。


 彼と初めて言葉を交わした日のことを、いまだ鮮明に思い出すことができる。

 この町に来たばかりで、まだ教えに背いた罪悪感に深くとらわれていた頃、ありのままのデミアンを見つめてくれたのが彼だった。神の教えに背いても、抱きしめて、キスをして、そばにいてくれた、ただ一人の人だった。


「愛想が尽きた?」


 ジャスは乾いた笑いを洩らす。


 その言葉に、どきりと心臓が跳ねた。

 タイラー・グラント。あの男が無理やりに寄越したメモの存在が、脳裏に過る。


「まさか」


 ジャスはその答えに機嫌をよくしたらしく、満足げな笑みを浮かべてみせた。

 かさついた指先がデミアンの唇をなぞる。ドラッグのせいで震えるその手が、まるで助けを乞うように見えて、デミアンはハッと息を呑んだ。ジャスには自分しかいないというのに、どうして見捨てることができるだろう。


 唇が重なる。互いの舌が触れ、唾液と、冷たい金属のような味とが混ざり合う。煙草もドラッグも、サイテーな味がする。

 酸素を求めて息を吸うが、部屋じゅうドラッグの匂いが染みついているし、おまけに自分からはあいつが吸っていた煙草の匂いがするものだから、頭がガンガンと痛んでサイアクだった。


「……煙草?」


 首筋に鼻を寄せて、ジャスが低い声で言った。


「客が吸ってた。ひどいヘビースモーカーだよ、まったく」


 デミアンはつとめて軽く受け流そうとしたが、ジャスは眉をひそめ、乱暴な手つきでデミアンに触れた。機嫌を損ねたのは明白だった。


 こちらのペースはお構いなしに、ためらいなくジッパーが引き下ろされ、金属の音が短く響く。ジーンズの下から露わになった下着を取り払うと、性急に後ろをまさぐり、いきり立ったものを押しつけてくる。

 肌と肌がぶつかるたび、失われていく理性の端で、現実の縁へ引き戻すかのように囁く声が大きくなっていく。


 ——これは罰だ、と。


 このところ、自分が愛したいひとを愛することはやはり罪で、これはきっとその罰なのだと、デミアンは考えるようになっていた。

 罪なる愛ならば、痛みを伴うこともまた定めなのだと。


「ジャス」


 目の下のクマを指でなぞり、ぱさついたブロンド頭を抱き寄せる。


 求めてやまなかった自由を手にしたはずなのに、ここはひどく息苦しい。ジャスもきっとそうなのだろう。

 神などいやしない。そうは思いながらも、祈りの言葉とともに刻まれた教えは、いまも深くこの身に刻みつけられている。


 息を詰めながら、ジャスの熱を受け入れる。罪の意識に押し潰されてしまいそうで、祈る代わりに互いの名を呼んだ。時計の針が何度か回り、どちらともなく意識を夢の中へ手放すまでそれは続いた。


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Incubus 英 李生 @RioHanabusa

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