北極星夜 - Night of the Polar Star
りあな
第1話
アリとキリギリスの話を知っているだろうか? 冬への貯えをしたアリは生き残り、享楽に溺れたキリギリスは死んでしまった。
誰もが知っているおとぎ話で、知らない人はきっと冬に死んでしまったのだろう。
ぼくはそう思いながら、既に感覚を失い始めていた手の温度を、なんとかして取り戻そうと必死にこすり合わせている。その手をこすり合わせる速度さえも、段々と、段々と、遅くなっていく。
ああ、ぼくはここで死んでしまうんだな、と、もう寒さで回らない頭で考え始めている。人が死ぬときには、走馬灯が見えるらしい。脳内麻薬だかなんだかが仕事をして。だとすれば、もう見えてもいい頃合いだろう。でも、目に映る景色は、一面の銀色から変わることがない。
そのうちに、寒ささえも感じなくなってきた。きっとぼくはここで野垂死ぬ。アリとキリギリス。ぼくはアリだったのに。世の中は不公平だ。遊んでいたはずの奴らは配信だなんだと活躍していて、じっと勉強をしていたぼくに待ち受けていたのは家族の離散と、行く当てもなく彷徨って、銀色に包まれて死ぬという運命だけ。
一度でいい。一度でいいから、ぼくも女子に触れてみたかった。そして、そして―
――ぼくの意識は、そんな情けない叫びを最後にして、ゆっくりと消えていった。
**
ぼく、というかわたしは俗に言う異世界転生族になった。たしかに、女子に触れてみたいとは言ったけれども、ぼくがわたしになるだなんて聞いていない。言葉尻は合ってるんだけど。そういうことじゃあないでしょう。
転生した先は、とある田舎貴族の令嬢だった。でも貧乏。笑っちゃうくらい貧乏。家には常にお金がなくて、普段着は母の仕立て直し。掃除も何でも自分でやってる。屋敷は無駄に広いけど、広いばかりで修繕費も出せないから、雨漏りや劣化で使えない部屋がたくさんある。
それでもってぼくは雪子、前の世界で言うところのアルビノだった。生まれつき肌が弱いせいで、外に出るには面紗をかぶって出るような始末。それでも時折肌が焼けてしまい、酷い目にあっていた。神様は、異世界でもぼくに嫌がらせをしたいらしい。
そんな異世界転生族の中でもかなりの外れ組だったとしても、ぼくはめげなかった。容姿は雪子なだけあって美しく、母からはぜひその容姿で金持ちの商人でも捕まえて、暮らしを楽にしてほしいとせがまれていたけど、無視してひたすら勉学に励み、なんとこの度首都の学校に行けることになったのだ。
なんでそこまでして、学校に行くのかというと、一つは、結婚をしたくなかったから。もう一つは、学者になって研究職となれば、前世の知識を活かして大成できると思ったからだ。
女が学校なんか行っても意味がないと、両親はお冠だった。でもなんだかんだ行って娘には甘いらしく、結局許してくれるどころか、無い家財をはたいてなんとかお金を工面して、学校に行く服を仕立ててくれたばかりでなく、ある程度まとまったお金さえ渡してくれた。先に嫁いでいってしまった姉も、自分が出来なかった分、代わりに頑張って学者になってほしいと、多少の仕送りを約束してくれた。家族にはもう、足を向けて寝られないくらいの気持ちになった。
前世では裏切られた努力に、今世は応えてもらった気がする。神さまも意地悪なことをする割には、優しいところもあるもんだなと思った。
そうして入学した当日。そこで早速事件が起きた。
最初に通されたクラスで、ぼくたちは自己紹介をすることになった。周りの人は皆気品があり、立派な服を着た男ばかり。女は数えるほどしかおらず、ぼく以外の人たちはぼくのような安仕立ての服ではなく、高級な生地を使った仕立ての良い服を着ている。場違いだ、と暗に言われている気持ちになった。
複雑な気持ちで待っているうちに、ぼくの番が回ってきた。緊張しながら、ぼくはあいさつをする。
「皆様方、本日からご厄介になります、わたしく、ドロシー・スウィートランドでございます。どうぞよろしくお願い致しますわ。」
一瞬の沈黙。そして、大爆笑が室内を巡った。
え? 何かまずった? 母に躾けられた通りに、挨拶をしただけなんだけど。
金髪で碧眼の、いかにも生まれも育ちもよさそうな一人の男が、笑いすぎて涙が出ている目を擦りながら、ぼくに近づいてきた。
「どこの田舎から来たんだ? そんな面紗で顔を隠して、お勉学なんかに励まなきゃいけないような、醜女のお嬢様は?」
笑みを崩さないまま、ニヤけた顔でぼくの面紗をめくろうと手をかける男。今日は日差しが強いから、なければ肌が焼けてしまう。日焼け止めの化粧品なんて高いものは買えないのだ。一度痛めてしまうとしばらく痛みが続く。その痛みを想像したぼくは、やめて、と言って手を払おうとした。
抵抗むなしく、その手を掴んで引っ張り上げられる。彼はもう片方の手で、面紗に手をかけた。痛みと羞恥が頭を巡り、逃げ出そうとぼくは無意識に魔法を使ってしまった。掴まれていた彼の腕の体温を、冷気が奪っていく。驚いた彼は咄嗟にぼくの手を放したが、その時にはすでに彼の腕は酷い霜焼けになっていた。
とんでもなく怒られた。とんでもなく。
彼はどうやら相当身分の高いお方だったらしく、そんなお方を凍傷にさせたぼくは奨学金没収の罰とされてしまった。相手は確かに紳士的な行為をしなかったが、それはそれ、これはこれだ。田舎貴族であり女のぼくが、事情を考慮してもらえるわけがない。
奨学金を没収されてしまったら、学費を払っていくことが難しい。家族からのまとまったお金は奨学金を当てにしての生活費でしかない。しかも、学校以外では働くことが前提の。それを学費に回してしまったら、切り詰めたって半年も持たない。つまり、ぼくはもう放校されたも同然だ。
ひとまず解放されたぼくは、借り受けている屋根裏部屋へと帰ることにした。お金、どこかに落ちてないかなと思いながら。
首都はいつも霧に覆われている。今朝はたまたま晴れだったけれども、普段は数mくらいしか前が見えないくらいのひどい霧だ。霧といえば聞こえがいいけれども、実際には過密した住宅と工場が出す煙がその大半を占めている。
そう、工場だ。魔法があるくせに、この世界は工場で機械を動かして物を作っている。魔法は個人によってどんなものがどこまで使えるかがバラバラで、しかも1日中同じように使える人はほとんどいない。ぼくは氷を操ることに関しては一級品で、いくらでも使い続けられるけど、それはとても珍しい方だ。
そんなぼくですら、ジェラートの販売とかそういう異世界転生っぽいことをしなかった時点で色々と察してほしい。氷なんて作ったところで、保存ができないから運べないし、みんなで涼むのが関の山でしかなかった。
というわけで、この世界はあんまりぼくのいた世界と変わらない感じだ。
**
学校から屋根裏部屋まではそれなりに距離がある。霧に嫌気を差しながら歩いていくと、鼻孔をくすぐる香ばしい麺麭の焼いた匂いや、つい浪費してしまいたくなるような素敵な小物や装飾品が売っている商店回廊に差し掛かった。
そういえば緊張して朝から何も食べていなかった。浪費といえば浪費だけど、今朝の憂さ晴らしも兼ねて何か少し食べようと思い、何となく目についたカフェに入った。
カフェには男しかいない。新聞を読む男、真剣な顔つきで何かを討論をする男、遅い朝食を食べている男。田舎にはなかったしつい前世の感覚で入ってしまったけど、場違いだ。面紗をして日傘を持っている、若い女が入るような場所じゃなかった。でも、入ってしまったことには仕方がない。適当な新聞を掴んで、やってきた女中に焼いた麺麭と珈琲を頼んだ。
室内の煙たさと、好奇の視線に耐えながら珈琲を飲み、新聞に目を通す。こんな優雅な生活は田舎では考えられなかった。正直言って、生まれ変わる世界のほうがマシだと何度思ったか分からない。女は明らかに差別されて、学校に通うのだって次男や三男だったらどんなに楽だったかと時々思う。実際、姉はぼくと違って行くことができなかった。
弟たちはぼくを応援してくれていたけど、長男と違って特にやることもないから暇潰しにそうしていただけだ。どうせ成人したら戦争に行って、運が良ければそこで手柄を立てて何かしが家に貢献できるかも、とかそういう程度の人生設計しかない。学校なんて行く気もない。
学校の人たちやそんな弟を見て、改めてあの寓話の皮肉さを思い出した。アリの知らない空を飛べ、夏の夜の夢のままに死んでしまえる、キリギリスのほうがよっぽど良いだろう。辛い冬を知らず、それを越すためのアリの苦労も知らずにいられるのだから。
男というだけで、彼らは立派な職に就ける。学校にだって堂々と通える。生きづらいところもあるかも知れないけれど、ただ家督のために結婚させられるだけの女よりだいぶマシだ。
そんなことを考えていたら憂鬱になってきた。珈琲をすすりながら、適当に新聞を読み流していると、興味深い見出しを見つけた。
"大衆音楽堂のマリー、年に2000万を稼ぎ出す!"
これだ。これなら、女のぼくでも一発逆転を狙える。なにせ、ぼくには前世の経験がある。仲の良い学友に、たいして勉強もしないくせにぼくよりも成績が良く、それでいて音楽に明け暮れているやつがいたから、こう見えて結構詳しいのだ。
そいつは暗いガリ勉のぼくに、なぜかよく話しかけて来るような変わった奴で、時折誘われて半ば無理やりにライブやらなんやらに連れてかれていた。
その中でも、今でも記憶に残っているような、素晴らしかったライブがある。それはライブと言いながら、なぜかプラネタリウムに連れて行かれたときだった。
プラネタリウムってさ、退屈なイメージあるだろ? でも、今日のは一味違うんだぜ。そう得意げに言う彼の話に適当に相槌を打ちながら、上映を待っていたぼくの視界が、降りてきた夜の帷で閉ざされる。
漆黒の闇。足元の非常灯だけが仄かに灯っている。このあと星の紹介でも始まるのかな、と思った矢先、闇の中に突如として煌めく一等星。彼が呟く、ポーラスターだ、と。その光は、一人の女性が身に付けている。夜の黒の中で、燦爛とした輝きを持つその女性に、ぼくは目を離せない。
音楽が鳴り出す。よくある環境音楽じゃない、新しい人生を思わせる鐘の音のような電子の音が鳴り響く。動き出すポーラスター。不動のはずのその星の動きに合わせて、暗夜の絨毯に散りばめられた、天を飾る砂金もその並びを変えていく。
浮遊感のあるドラムが、ハイハットとカウベルが鳴り出す。ポーラスターはもう天にある、手の届かない星じゃない。ぼくたちの前までやってきて、その輝きでぼくらさえも輝かせる。惑星は自分の力では光れない。けれども、恒星に照らされることによって、遥か遠い銀河まで届く、輝きを得ることができる。ぼくはそんな、昔テレビで聞いた話を、目の前にいる彼女の輝きで思い出した。
劇が閉幕したあと、呆気に取られていたぼくに彼が言う。あれは超電導ナイトクラブだ、と。なんでも、昼には身体や心に問題があって活躍できないような人たちを集めて、この歌劇をやっているそうだ。彼らのハンディキャップという名の抵抗をなくして、夜空へと浮かび上がる。だから、超電導ナイトクラブ。
ぼくはその名前を聞いてとても感心したし、そういった意味でも、今のぼくがやるのにぴったりだと思う。
「そこのお嬢さん? ちょっといいかな」
思い出に耽っていたところで急に声をかけられて、ひどく驚いた。振り向くと、背広を少し着崩した男が立っている。
なんでも、ここは紳士のための場なのだから、ぼくのような若い女は斜向かいにある喫茶室のほうに行くべきだといわれた。まあ、そりゃあそうだ。でも喫茶室を知らなかったのだから、さもありなん。あまりにもかわいらしくて、ちょっと入るのを躊躇したんだよね。恥ずかしさで、顔が紅潮する。
焼いた麺麭を珈琲で急いで飲み込んだぼくは、逃げるようにしてカフェを出た。
ぼくは早速、考えを現実とするために、もっとも掲載料が安い大衆紙に新聞広告を載せた。歌劇をするにもお金が必要で、それには投資家を見つけなければならない。ぼくの考えは、かなりいいと思う。あの美しかった超電導ナイトクラブを、この異世界で公演するというアイデアは。
広告の謳い文句は、こう書いた。
――ひとりでは輝けぬstellaを、照らしてくれるsolはおっしゃって? 投資家募集。 黄金の月が照らす日の宵に、ベーカー街のカフェにて面紗の女がお待ちしております。 ドロシー・スウィートランド
自画自賛だけど会心の出来だと思う。母にたくさん練習させられた甲斐があったというものだ。
**
日々は忙しく過ぎていった。授業は問題なくついていけるけど、とりあえずで始めた家庭教師の仕事が大変だった。 女の身でありながら曲がりなりとも首都の学校に合格しているぼくは、自分の子に教育をさせたい労働者の母にとって需要があった。ただし、教え子はわんぱくな坊主どもだけど。
すぐに勉強に飽きてしまう彼らは、ぼくにありとあらゆるいたずらをする。裾を捲って下着を見ようとする、髪を引っ張る、物を隠す、自分自身が化粧室に行ったままどこかへ隠れてしまう。きちんと座らせることすらやっとで、男児というものに1週間で飽き飽きし始めていた。
そうしているうちに、約束の時が来た。ぼくはどきまぎしながら、相変わらず煙草臭い、紳士たちの集い場であるカフェに入った。
紅茶を飲みながら新聞を読んでいたら、声をかけられる。来たか、と思って振り向くと、まさか、あの時凍傷にさせてしまった金髪の彼がニヤついた笑みを浮かべながら立っていた。驚きで固まるぼく。彼は、ふざけているくらい大仰に腕を下げ、挨拶をする。
「熱い恋文に応じて、馳せ参じさせていただきましたよ、お姫様。」
ふん、やろうと思えばきちんとした所作も取れるもんなんだな、と思ったところで、彼の言葉が引っかかる。待って、恋文? そんなはずじゃ、金に困ったときはこう書けと、母に言われた通りのはずだ。
それを聞いた彼は、腹を抱えて笑い出した。つまるところ、ぼくの母は困ったら結婚しろと暗に言っていたようだ。な、なんてことだ。悔しげに頭を抱えてるぼくを見て、彼の笑いは止まらなくなった。
しばらくたって、ようやく笑いが収まった彼は、麦酒をあおりながらぼくに聞いてくる。
それで、おまえは何をして稼ぐつもりなんだと。
待ってましたと言わんばかりに、ぼくは歌劇の構想を話しだした。最初はまだ馬鹿にしたような顔をしていたけど、プラネタリウム、という単語を出した後から急に、真剣な顔付きになって聞き出していた。聞き手が真剣なことに安堵しながら、ぼくは話し終えた。彼は難しげな顔で思案している。とりあえず喋りきって安心したぼくは、少し手を洗いに御暇した。
用を足しているときに、ふと思った。プラネタリウムとつい言ってしまったけれど、なんで伝わったんだろうか、と。文脈かな? まあ、あんなに真面目に聞いてくれたんだし、きっとお金は出してくれるだろう。穏やかな気持ちで、化粧室を出た。
戻ったぼくに、彼は話し出す。それで、場所はどうするんだ? 小道具や衣装は? そして、一番肝心の、人はどうするんだと。
不味った。ぼくは家庭教師の忙しさにかまけていて、そういった地に足がついたことを考えてなかった。顔を紅潮させて俯く。
彼は大きく、ため息をついた。これだから田舎のお嬢様は、とぼやいて頭を振った。そんな彼の態度を覗き見たとき、急に気持ちがこみ上げてきた。
そんなことを言わなくてもいいじゃない、必死にやっているんだ。確かに考えも、経験も、知識も足りないけれど、どうにかしてお金を稼がないと学校に通うことができない。学校を出て学者となって大成し、家に名誉と、そして金銭の助けをしなくちゃならない。いっぱいいっぱいだった気持ちが溢れて、それが言葉として零れていく。躾けられていたから、丁寧な言葉で喋っていたとは思う。
ぼくの潤んだ瞳を、彼が優しくハンカチで拭う。そんなに本気なら、俺が手伝ってやるよ、と言いながら。
今度は嬉しさで、涙が出てきた。あんな乱暴をされたり、馬鹿にされたりしていたけれど、なんだかんだと親身に聞いてくれた彼に、いつの間にかほだされていたみたいだ。
拭い終わった彼はこう言った。その代わりに、まず一つ願いを聞いてくれ、と。頷いたぼくの面紗を、彼はゆっくりと、優しく持ち上げた。そして、しばらくぼくの顔を、じっと眺めていた。
青い瞳を眺めながら、どうして手伝ってくれるのかとぼくは聞く。ただの三男の退屈潰しだと彼は言う。
その言葉を聞いて、ぼくの兄弟と、同じような立場で、お金持ちの貴族も気苦労するもんなんだなと、勝手に合点した。
彼はまず、人を集めてみせろ、と別れ際に言った。お前のその夢に、人がついてくると言うことを見せてみろと。そうしたら、あとは何とでもしてやると。
ぼくは強く頷いて、彼と笑顔で別れた。
**
次の日から、授業が終わったあと、家庭教師の仕事の合間に人集めに奔走した。まずは新聞に広告。こんな感じで書いた。
――昼の明るさで輝けぬ星たちよ。胸に燻らすその想いで、夜の帷を燃やしたいとは思わないこと?
秘める想いを持つものよ、北極星の下に集え。 歌劇の衣装デザイナー、演出担当、その他求む。経歴家柄一切不問。必要なのはその想いだけ。 ドロシー・スウィートランド ベーカー街xx通りxx
今度は、恋文には取られないと思う。
そして、出したら待つだけじゃない。ぼくは学校が終わり次第、ひたすらに駆けずり回った。商工所、学校、商店回廊、音楽堂。
思いつく場所を回り巡り、そうして早速二週間。 人が揃った。たぶん。
演出希望の神経衰弱者が二人。吃音症のボーカル希望が一人。デザイナー志望の傷病軍人が一人。計四名。
カフェでそのメンバーと顔合わせをし、一通りの経歴を聞いた彼は、ブレーメンの音楽隊かよと言った。的を射ているといえば、射ている。誰もが食い扶持にすら困っているような有様だ。ぼくを含めて。
「で、そのブレーメンでどうするんだ? 強盗でも追い払って定住する場所でも見つけるのか?」
皮肉気にいつも通りのニヤニヤとした笑みをとっぷりと浮かべている。
ひとまず、ぼくは皆に歌劇の内容について話した。一人は光の魔法が使え、ライトアップの演出が出来る。一人は衣装のデザインが出来る。一人は少なくともピアノが弾ける。一人は電気技師だから、何か役に立つものが作れるとかなんとか。
足りないものは? 音響設備。楽器。あと電気。
電気に関しては、実はぼくはなんとでもできる。微小な氷の粒同士をぶつけ合わせることで、電気を起こすことができる。雷と同じだ。そして、狙ったような電気にするための抵抗も、同じように氷で作ることができる。
つまり、誰かが機器の設計だけをできれば、歌劇は行えるということだ。その誰かは、身近にいた。
そう、金髪の彼だ。
彼にそのことを話すと、設計をやってくれるといった。何故できるのかは分からない。この世界にはまだスピーカーもアンプも電子楽器もないのに。でも、彼が自信ありげにそういったのだ。それなら信頼していいだろう。
そうして、ぼくたちは作業に励むことにした。
構成と演出を、光の魔法が使える男と考えた。
衣装のデザインについて、傷病軍人と言い争った。
実際の踊りと、音楽について吃音症のピアニストと演じあった。
機器の設計と製作で、電気技師と彼が黙々と手を動かした。
ぼくたちは瓦斯灯が照らすカフェで、彼が借り受けた作業場で、自分の屋根裏部屋で、何度も何度も打ち合わせて、作って、練習をした。
彼は思ったよりも熱心に、そして真摯にぼくに付き合ってくれた。まるで、最初のあの会合が嘘だったみたいに。
音響機器や楽器を駆動させるには、ぼくの氷が必要になる。機器のガラスに指標となる氷を入れて、ぼくは感覚でその氷の周りに微小な霰をたくさん作って、それをぶつけ合って電気を生み出す。それらが楽器を、音響機器を、すべてを動かす。
流れる時間の合間に、彼の腕がぼくに触れる。最初は作業のとき、たまたま触れた。ぼくは彼の横顔を見る。真剣な顔つきで、見ているとこみ上げてくるものがある。二度目はこちらから意図的に。三度目は、彼から悪戯に。
そうしてぼくたちは何度も触れ合って、ぼくはわたしになった。
一か月経った。開演の準備がようやく整って、ポスターを作ることにした。謳い文句は、彼が考えた。
――今夜、星を見に行こう。
それに、わたしはト書きを加えた。
本当の星は間近に落ちている。
その味は冷たいカルシュームの味。薄めた薄荷水の味。粉っぽい生菓子の味。
一度食べれば忘れられない。
霧に映る飽食しきった瓦斯の灯でなく、夜と降りた星の明をご賞味あれ。
xx月xx日 xx音楽堂 19:00~
超電導ナイトクラブ
**
騒がしい音楽堂。麦酒を片手に友人や恋人と、大声でずっと話している人々。演者が来るのを待ち受けながらも、それは彼らにとってただの余興にしかすぎない。
日々の、息が詰まるような昼の生活の、水面から少し顔を出して。また現実という名の水中へと引きずり込まれる前に、親しい人と声を交わす息継ぎのための時間。わたしはそんな人々の海原を、一枚の薄い氷で覆う。
人の海原を照らす灯台が消えた。宵闇の帳が、石で作られた広間を覆った。観客たちは驚き、口々に、なにが起こったのかを話しあっている。彼らには何も、隣の友人の顔すら見えない。
トラブルか、なにごとか、混乱した誰かが警備員を怒鳴りつけようとしたその瞬間。舞台に、一つの光が灯った。
わたしの光。冷たい氷が激しく衝突して、生み出された青白い光。それは何も見えない闇の中でも、頼れるものが一つもない夜の海原でも、まっさきに光りだし人を導くポーラスター。傷病軍人の彼の作った、銀河を映した衣装が光を受けて輝く。
観客たちは海原に光る北極星に言葉を失っている。いつもならすぐに下品な冗談や歓談で満ち溢れ、くだらないヤジとその応酬が飛び交う音楽堂が、静謐な夜の海となっている。そして、そこに響く宇宙の音。すんなりとプラネタリウムを理解し、わたしの言った音楽も理解した彼が、きっとわたしと同じところから来たであろう彼が作った、この空を彩るための音が響く。
まだ実用には至っておらず、誰もまともに耳を傾けなかった、電気技師の作った機械が水面を荒立て、聞いたことのない音で船客の体を揺さぶる。そして、吃音症の彼のスキャットが、宇宙の音に合わせたリズムを奏ではじめた。わたしも、それに合わせて体を動かし始める。
ポーラスターに導かれ、星々が石の夜空に浮かび上がる。光に執着をし、夢ばかり描いていたせいで、昼の世界では映し出せなかった彼の光が星となり、わたしたちの夢で黒を飾る。
もう夜空は、満天の星空。金平糖のような星々があり、青い泡を立てるサイダーのような月があり、口元に零れた牛乳のような銀河がある。それらが一色だった帳を、子供が持っている夢の量だけ飾り付けた。
皆、星を眺める。ポーラスターだけじゃない。一つ一つ、違った光を放つ星々を眺めている。昼には見えぬ六等星たち。ただ一つ大きすぎる輝きのせいで、覆い隠されていたものたちが、宵の闇の優しさの中ではその光を、誰かのもとへと届けることができる。昼の光という抵抗を、わたしたちが消し去ったことで。
これがわたしの、超電導ナイトクラブ。
**
――これは余談なのだけど、二人で夜通し語らった後、熱が酷く籠っていた部屋を冷やそうと、大きな氷を出したわたしをみた彼が、苦笑しながらこう言った。
首都ならそれをそのまま売ったほうが、歌劇なんかよりよっぽど儲かる、と。
わたしは、その場で大きくずっこけた。
北極星夜 - Night of the Polar Star りあな @riana0702
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