コンビニ店員、非日常のコードをスキャンする

おむろん

第1話 見慣れぬバーコードリーダー


 ​深夜2時半。ウィークリーマートの蛍光灯の光は、いつもと同じく冷たく、無感情だった。外は数時間前から霧雨が降り続いており、自動ドアが開く気配もない。

 

​「はぁ……。あと3時間半か」

 

 ​晴斗は、湿ったレジカウンターをアルコールで磨きながら、ぼんやりと天井を見上げた。

 給料が良いからという理由で始めたこの深夜バイトだったが、昼間は授業とレポート、深夜はバイトに明け暮れる生活を送っていると流石に疲労が溜まってくる。


「どっかに楽に稼げるバイト転がってねぇかな」 


 ​そうぼやきながらも、晴斗は無意識に商品の陳列作業を始めた。少しでも陳列が乱れていると、次のシフトの先輩に嫌味を言われるため、向きを揃え、賞味期限が早い物を前に並べていく。

 ​

 一通り陳列を終えると、少し休憩するため奥まったバックルームへと向かう。狭い空間には、段ボールが山積みされた棚と、古びたロッカーが壁際に並んでいる。その隅にあるパイプ椅子を引き寄せ、晴斗はドサッと腰を下ろした。


「ふぅ……」


 一つ大きく息を吐き、晴斗はぼんやりと天井の蛍光灯を見上げた。体全体の力が抜けていくのを感じ、しばらくそのまま動かずにいたが、ふと視線を落とす。

 

 目の前の作業台の端。無造作に置かれた伝票の束の横に、それはあった。一瞬、店の備品だと思ったが今使っている機種よりも小型で、本体の素材もマットな黒色だ。見慣れないそのバーコードリーダーに、晴斗は首を傾げた。


「​なんだこれ……?」


 ​不思議に思い、晴斗がそれを手に取った瞬間だった。意図せず、人差し指が側面にあったスキャンボタンを深く押し込んでしまった。カチッ、という小さな音とともに、銃弾のような細い赤いレーザーが本体から放たれ、咄嗟に反対側の手の甲でそれを遮った。左手にチリッとした熱を感じた次の瞬間、甲高く、耳をつんざくようなエラー音が鳴り響く。


 ​ピピ——ッ!


 ​激しい音と共に、晴斗の視界が真っ白な光に包まれたかと思うと、次の瞬間には無数の文字情報で埋め尽くされた。まるでデータベースを直接見せられているかのように、視界いっぱいに《永嶋 晴斗》という自分の名前が太字で表示され、その下に細かく、身長、体重、生年月日、そして過去数年間の購入履歴や移動経路、果ては昨日の夕食のメニューに至るまで、文字と記号の奔流が渦巻いていた。

  

​「な、なんだこれ……!」


 ​晴斗は悲鳴のような声をあげ、反射的にそのバーコードリーダーを床に落とした。ガチャン、という軽い衝撃音とともに、視界を覆っていた無機質な文字列は嘘のように一瞬で消え失せた。バックルームは元の薄暗い、日常の風景に戻っている。

 しかし、レーザーを浴びた左の手のひらだけが、奇妙な感覚に襲われていた。熱さではない、電気が走るような痺れと、皮膚の奥の何かが無理やりこじ開けられたような、おかしな空虚な感覚。


 ​晴斗は自分の手のひらを凝視しながら、激しい動悸を抑えられなかった。

 

 今のは一体何だ? 備品の誤作動? いや、こんなデータが表示されるわけがない。

 混乱と、得体の知れない事態への恐怖が、一気に晴斗の胸を締めつけた。


 ​床に落ちたまま転がっている、小型のバーコードリーダー。あの機器が原因なのは間違いない。

 

 晴斗は震える手でそれを拾い上げると、恐る恐る元の作業台に戻った。手に取った瞬間に感じた、あの奇妙な痺れはまだ残っている。

 

 ​もう一度、押すか? 

 ​いや、待てとでも言うように脳内アラートが、けたたましく鳴り響く。

 もし、もう一度トリガーを引いてしまったら、またあの恐ろしい情報が視界を埋め尽くすのでは? そんな感情が晴斗の胸で渦巻いた。


 ​しかし、この感覚の正体を知りたいという衝動、そして、あの現象が本当に起こったのかを確かめたいという好奇心が、恐怖を上回った。

 

 ​晴斗は意を決し、作業台の隅に置いてあった、自分が飲もうと持ってきていた缶コーヒーに目をやった。


 震える指先で、もう一度バーコードリーダーのトリガーに触れる。祈るような気持ちで、晴斗は缶コーヒーの側面にあるバーコードに狙いを定め、静かに、そして素早くボタンを押し込んだ。

 

​ピッ! 


 ​先ほどのような甲高いエラー音ではない、澄んだ電子音がバックルームに響き渡る。そして同時に、缶コーヒーの製品情報が視界に表示された。

 

​《製品名:微糖ブレンドコーヒー》

《ブランド:◯◯◯◯》

《製造者:◯◯◯◯》

《内容量:185g》

《原材料:コーヒー、牛乳、砂糖……》

《製造年月日:2024/10/26》

《賞味期限:2025/03/25》

《販売価格:130円(税抜)》

 

​先ほどのように視界を埋め尽くすような情報量ではない。しかし間違いなく、缶コーヒーの詳細データが瞬時に提示された。


 まるで、その物体そのものの本質が、脳に直接流れ込んでくるかのようだ。晴斗は呆然としたまま、手に持ったリーダーと、スキャンされた缶コーヒーを交互に見つめた。


 ​そんな沈黙を破ったのは、バックルームのドア越しに、遠く、しかしはっきりと響いてきた威嚇的な声だった。


「おい、金を出せ!早くしろ!」 


 ​晴斗はハッと我に返り、心臓が跳ね上がった。急いで店内に繋がるドアの、細長いマジックミラー窓に顔を近づけ、恐る恐る覗き込む。 

 ​そこには、二人組の男が立っていた。​二人とも黒っぽいパーカーのフードを深く被り、目出し帽のような覆面で顔を隠している。一人は長く錆びた鉄パイプを肩に担ぎ、もう一人は、見慣れないが明らかに拳銃と思しき黒い物体を天井に向けていた。


 こんな田舎で、強盗だと!?


 ​非現実的な光景に、晴斗は呼吸さえ忘れて、その場に立ち尽くした。

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