「がんばらない」は、どこまで私たちを救ったのか ――phaと草薙アキラのあいだに残された問い

草薙アキラ

第1話 「がんばらない」は、どこまで私たちを救ったのか

「がんばらない」は、どこまで私たちを救ったのか

――phaと草薙アキラのあいだに残された問い

Ⅰ 「がんばらない」という言葉が、説明なしに通じた社会

「がんばらない」という言葉が、ほとんど説明を必要とせずに通じてしまった。

この事実は、それ自体が一つの社会診断である。

それは反抗の言葉としてではなく、

また思想的なスローガンとしてでもなく、

日常語として、あまりにも自然に流通した。

エッセイスト・phaは、この言葉を強く主張したわけではない。

彼は怒らず、煽らず、誰かを糾弾しなかった。

ただ、疲労が蓄積した社会を前にして、

「そう感じている人が、すでにたくさんいるのではないか」と、

低い声で言葉を置いただけである。

にもかかわらず、その言葉は広がった。

それは、日本社会が長く前提としてきた

「努力は報われる」

「がんばること自体が尊い」

という物語が、すでに多くの人にとって現実とずれていたことを示している。

phaは、そのずれを告発したのではない。

確認したのである。

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Ⅱ phaは「がんばらない」を理想にしなかった

ここでまず、phaの仕事を正確に評価しておく必要がある。

phaは、「がんばらない方が正しい」とは言っていない。

彼の文章を丁寧に読めば、それは明らかだ。

彼が繰り返し示してきたのは、

・努力量と幸福量が比例しない場面があること

・努力が結果に変換されない局面が増えていること

・消耗が回復を上回る環境が存在すること

という、きわめて現実的な認識である。

これは倫理の提示ではない。

状況の記述である。

この慎重さは、phaの美点である。

彼は弱さを美化しない。

同時に、弱さを叱責もしない。

だからこそ、多くの読者は

「肯定された」というより、

「ようやく説明された」と感じたのではないか。

この点において、phaの功績は大きい。

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Ⅲ 「がんばらない」は、壊れないための思想である

phaの思想が最も力を持つのは、

生活が壊れかけている地点においてである。

・生活コストを下げる

・期待値を下げる

・競争の土俵から距離を取る

これらは、現代社会において合理的であり、

実際に多くの人を救ってきた。

特に、「まだ壊れてはいないが、かなり疲れている」層に対して、

phaの文章は確かな効果を持った。

ここは、評価されるべき点である。

phaの功績は、

「努力できない者」を肯定したことではない。

努力できない状態が、もはや例外ではなくなった社会を、

例外扱いせずに言語化したことにある。

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Ⅳ phaの思想が立ち止まる地点

しかし、ここで一つの問いが残る。

phaの思想は、

「壊れないためにはどうすればよいか」

には答えるが、

「なぜ生きるのか」

「生き延びた先で、何が残るのか」

には踏み込まない。

この沈黙は、欠落ではない。

意図的な限定である。

彼は、自分の射程をよく知っている。

だからこそ、安易な意味づけをしない。

ただし、思想として見たとき、

この地点で立ち止まることもまた事実である。

「がんばらない」は、

生活を持続させるための思想であって、

存在そのものを問う思想ではない。

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Ⅴ 草薙アキラが描く地点

ここで、草薙アキラの文学的立場を導入したい。

草薙文学の中心にあるのは、

成功でも、幸福でも、効率でもない。

あるのは、

・尊厳

・不可逆な時間

・誰にも見られなかった行為

・報われなさ

である。

努力は、価値の基準ではない。

評価も、目的ではない。

それらは、後から付着する副産物にすぎない。

草薙文学の登場人物たちは、しばしば次の地点に立っている。

・もう十分にがんばった

・証明する必要はすでにない

・それでも、やめられない

それは意志の強さでも、倫理的優越でもない。

ただ、そうなってしまった、という事実である。

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Ⅵ 草薙方程式という考え方

草薙アキラが用いる「草薙方程式」は、

価値を測定するための公式ではない。

それは、

それまで当然視されてきた

「評価」「成果」「報酬」

を、思考の前提条件から外すための認識上の操作である。

簡略化すれば、次のように書ける。

尊厳 =(不可視の努力 × 時間)−(評価・報酬)

ここで言う「不可視の努力」とは、

誰にも見られず、

履歴にも残らず、

それでもやめなかった行為の総体である。

評価されないこと、

報われないことは、

必ずしも尊厳を損なうわけではない。

むしろ、評価や報酬が引き算されることで、

行為そのものが露出する場合がある。

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Ⅶ 両者はなぜ並べて語られるのか

phaと草薙文学は、同じ文脈で語ることができる。

理由は明確だ。

・どちらも成功物語を書かない

・どちらも競争を称揚しない

・どちらも静かな文体を持つ

しかし、向いている方向は異なる。

phaは、社会との距離を調整する。

草薙アキラは、距離を取れなくなった地点を描く。

phaは、「降りる」ことを可能にした。

草薙文学は、「降りたあとに残ってしまうもの」を書く。

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Ⅷ 結論:「がんばらない」のあとに残る問い

「がんばらない」は、必要だった。

それがなければ、壊れていた人は確実に多い。

しかし、「がんばらない」は最終地点ではない。

その言葉のあとで、

それでも何かを続けてしまう人間の姿が、

あらためて問いとして残っている。

phaは、社会の調整役として正確だった。

草薙アキラは、調整しきれなかった残差を書いている。

両者は対立しない。

ただ、同じ問いの上には立っていない。

その違いを静かに描き分けること。

それが、本稿の目的である。

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「がんばらない」は、どこまで私たちを救ったのか ――phaと草薙アキラのあいだに残された問い 草薙アキラ @patkiu

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