サスペンド百と八十秒

不思議乃九

サスペンド百と八十秒

いつもの裏道。

生活の導線として組み込まれ、細胞の記憶にまで刻まれたこの道に、突如として砂粒ほどの異物が混入した。遮断機が下りたまま、一向に上がらない。


カン、カン、カン。

無遠慮で無表情な警告音だけが、まるでこの世界の鼓動のように、規則正しく響き続けている。


臨時列車、あるいは事故処理。

頭の中の分別ある「私」が、冷静な可能性を提示する。けれど、いい年したおっさんになっても、こういう不測の停滞はソワソワさせる。このソワソワは、何か焦げ付いたものの匂いにも似ている。


何の焦げ付きか。

それは過去の過ちではない。未来の不安でもない。

それは、「今」という一瞬が、無駄に、しかし強引に引き延ばされていることへの、生理的な拒否反応だ。


なぜだか、こういう状況になると、私という個体を構成するすべての部品が、一斉に意味を失い始める。


私は今、ステアリングを握り、エアコンの風に頬を撫でられ、ブラックの缶コーヒーを携えた、ごく平均的な中年の男である。

しかしこの数分、私はただの**「待っているもの」、ただの「時間によって定義されつつある空白」**に成り下がっている。


車内の空気は、閉じられた箱特有の、薄い自身の匂いをまとっている。

無駄にフロントガラス越しに外を見回す。誰もいない。


誰もいないが、この踏切の向こう側で、世界はいつもと同じ速度で、何事もなく進行しているのだろう。

会議は始まり、コーヒーは注がれ、誰かの恋は終わり、誰かの夢は砕けている。


その巨大で圧倒的な世界運動の外側に、私は今、たった三分の間、置かれている。


この「遮断機」とは何だろう。


物理的には、線路を横切ることを禁じる木の棒だ。

しかし、私という人間の内部で、この棒は、**「ここから先へは行かせない」**という、人生の決定的な禁則事項のように機能している。


何を禁じられているのか。

それは「前進」だ。


前進とは、時間の中で過去を置き去りにしていく行為である。

遮断機は私に命じる。


動くな。

動くことを禁じる。

お前は今、この瞬間と向き合え。


「今」とは何だ。


このカンカンカンという音が一つ響くたび、私は一年くらい進んだような感覚に襲われる。錯覚ではない。

私は今、加速度的な無意味さを経験している。


一つ前の「カン」と、次の「カン」の間に、物理的な一秒もない。

しかし、そのわずかな間で、私の脳は「待つ」という行為の無限の空虚さによって、時間という概念そのものを巻き戻している。


私は車内から、誰もいない真後ろを見た。

意味はない。意味がないからこそ、見るのだ。


もし誰かが居たなら、それは**「自分を待っている何か」**の具現化かもしれない。

だが、誰もいない。


私の真後ろにあるのは、過ぎ去った道路、通過してきた無数の「今」の残骸だけだ。

真後ろが空白であることは、誰にも追い立てられていない証拠であると同時に、私自身が、どこにも属さず浮遊していることの証明でもある。


私にとって、この「待つ」時間は、思考の極北だ。


もし今、永遠にこの踏切が開かなければ、私はどうなるだろうか。


車を降り、この遮断機の下をくぐり、歩いて線路を渡るだろうか。

おそらく、やらない。


なぜなら、私が今戦っているのは、遮断機という物理的な障害ではないからだ。

私が対峙しているのは、**「日常という名の時間の鎖から、一瞬だけ解放されてしまった私自身の存在の不安定さ」**だ。


時間とは、本来、流れ続けることで意味や目的を与えてくれる。

朝があり、夜があり、締め切りがあり、支払いがある。


流れがあるから、人は「次へ」進もうとする。

しかし、この踏切の停止は、その流れを堰き止めた。


堰き止められた水は澱む。

澱んだ水の中には、流れている間は見えなかった底の小石や、藻や、自身の顔が映り込む。


私は今、車の中で、ただひたすらに、**「私とは何か」**という、最も陳腐で、最も恐ろしい問いに晒されている。


この停止が二分か三分かは重要ではない。

それは無限とも思える。


無限とは、時間の量ではない。

**「目的の不在」**によって生まれる感覚だ。


どこへも行く必要がないのなら、この三秒は、三億年と同じ重さを持つ。


私はハンドルを握る指先に意識を集中させた。

指紋の溝。皮膚の薄い乾燥。爪の際の僅かな汚れ。


この指は、何を掴み、何を失ってきたか。

いや、過去は関係ない。


この指が今、ハンドルを握っているという、純粋な存在の事実だけが、ここにある。

このハンドルは、私の人生をどこへも導かない。ただ、私と車の「今」を繋ぎ止めている、無機質な接点だ。


カン、カン、カン。


無駄な音だ。

なぜ踏切が開くまでの時間、電子音ではなく、この古臭い鐘のような音で警告し続けるのか。


この音は、近代化の中で捨て去ろうとしてきた、**「時間の原始的な暴力性」**を体現しているのではないか。

理性や効率で制御できない、予測不能で、ただ「鳴る」だけの存在の音。


やがて、遠くから微かな振動が伝わってきた。

地を這うような、重く、速い振動。


何かが、この停滞を破ろうとしている。


私は無意識にシートに背を押し付けた。

臨時列車だろう。


しかし、私の夢想の中では、それは時間そのものの具現化だ。

目を背けてきた、流れ去る時間という名の怪物が、轟音を立て、この踏切を通過しようとしている。


その通過は、私の「今」を終わらせる。


ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。


一瞬の轟音と風圧。

視界を塗りつぶす、鮮やかな色と錆の色。

窓を曇らせる砂塵。


列車は、巨大な定規で、私と踏切の向こう側との境界を、一気に消し去っていく。


通過後の、急激な静寂。

耳鳴りがするほどの静けさが、世界を支配した。


遮断機が、ギギギ、という古めかしい音を立てて上がり始める。

無限とも思われた三分が終わったのだ。


この三分の停滞が、私に新しい哲学をもたらしたか。

否。


劇的な啓示はない。

あるのは、**「日常の復権」**という、恐ろしいほどの現実だけだ。


私はエベレストを単独無酸素で登ったこともない。

だが今、アクセルを踏み込むこの行為は、その一歩に匹敵するほどの、**「無意味な勇気」**を要求している。


私は再び、時間という名のレールに乗らなければならない。

停止から前進への切り替え。それは小さく、しかし決定的な、存在の再起動だ。


アクセルを踏み、車を発進させる。

遮断機を渡り、再びいつもの道へ。


車を路肩に寄せ、ブラックの缶コーヒーのプルタブを、カシュッ、と開ける。

一口すする。


苦い。

冷たい。


その苦味と冷たさが、数分前の、あのカンカンカンという音の無限を、容赦なく遠ざけていく。


そして、私は悟る。


この踏切の停止は、「今」を意識させるためにあったのではない。

再び「日常」という名の流れの中に、私を、無事に放り戻すための、儀式的な中断だったのだ。


私は再び、どこへ向かうとも知れない、中年男としての一日を続ける。


缶コーヒーの底に残る、最後の苦い残滓。

それは、私が三分の間に見た、「自己」という名の深淵の、唯一の証拠だった。


【了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サスペンド百と八十秒 不思議乃九 @chill_mana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画