011 刺客たちが襲う

 ヘーゼルは顔をしかめながらも背中の針をむしり取る。針に妙な臭い、薬か。エリーを落ち着かせるように「平気だ」と言い捨てた。この夜霧の中、どうやって当てた。ランプの光か。急いで火を消す。


「それより隠れてろ。お前、狙われてるぞ」


 吹き矢をエリーに見せても、暗さに慣れていない目をすがめるだけだ。ヘーゼルの行動に戸惑うエリーを背後に押しやり、射線から庇う。救助どころではない。エリーを背負って逃げるか。いや、薬がいつ、どう効くかわからない。逃げに賭けるのは危険だ。


 今、ここで、対処するしかない。


「エリー、近くの建物で隠れてろ」反論を封じるように「早くしろ愚図!」


 腕で強引に突き放す。エリーがうろたえながらも、離れる水音を背中に感じる。エリーが廃商館に入るまで、道を挟んで向かい側、霞む廃墟の二階、窓奥の暗がりにヘーゼルは睨みを利かせた。


 道理で水音が聞こえない訳だ。建物に潜んでやがった。今は引っこめたようだが、勘の騒いだ瞬間、窓の陰から伸びる吹き筒がチラついていた。


「ンだよこれ、痛ってえなこん野郎にゃろう!」吹き矢を水面に叩きつける。「おい、そこん家に隠れてやがる野郎てめえ! いきなりごあいさつじゃねえかコラ! こそこそ隠れてねえで、堂々とつらぁ見せろやダボが!」


 怒鳴り散らした声が、大通りに虚しく響く。街は死んだ様相だ。いくら待っても何の動きも見られない。


 ヘーゼルが鼻を鳴らす。忌々しさに舌を打った。


「良ぉくわかったぜ。そっちに着くまでに、しっかり詫び状練っとけや!」


 襟の留め金を外し、ヘーゼルの上体が露わにならんとする瞬間。オオカミの遠吠えを上げると共に、ヘーゼルの全身のトラ縞模様が裏返った。


 縞の奥から髪と同じ黒、銀、白の体毛が溢れ、身体が一回り大きく、力強く膨れる。尾が羽化するように伸び、口が裂け、牙を剥き、爪が鋭く伸びていく。遠吠えに呼ばれて、ヘーゼルの半身にオオカミが宿るかの如く、その姿が変わった。


 水柱が上がる。ヘーゼルは一度の跳躍で、射手の潜む窓に飛びついた。野獣の唸り。老朽化した窓枠を握り砕き、踏み砕き、すぐ脇の壁と一体となっていた射手を威嚇する。


人狼ライカンスロープ……!」


 息を呑む射手に恐れは見られない。大した胆だが、一拍の怯みをヘーゼルは見逃さない。


 逃げ遅れたその首根を掴み、外へ引きずり出し、大の大人を片手で軽々と外に放り投げる。宙に弧を描く間に、射手が指笛を吹く。着水、水飛沫が上がる。ヘーゼルも壁を蹴り、射手の真上に飛びかかる。


 更にその上で、天の霧を逆巻いた。


 音を殺し、霧を突き破ってヘーゼルの頭上に現れたのは、崖上の空を旋回していた怪鳥である。遥か上空、静かな滑空。ヘーゼルの感覚の外からの急襲だった。


 怪鳥が、ヘーゼルの体躯を隠すほどの巨大な翼を広げ、背中から彼女を鷲掴みにする。不意を突かれたヘーゼルは、怪鳥の凶爪によって水面に叩き伏せられた。


 ガボ、ゴボボ……口も鼻も、満足に水面から出ない。ヘーゼルがもがいても、怪鳥は器用に羽ばたいて、その剛腕をいなしてしまう。それどころか、もがけばもがくほど胸郭を絞められて、ただでさえままならない呼吸が更に細くなっていく。


 思ったように力が入らない。目がかすむ。さっきの薬、麻酔か。


「助かった」


 射手は服の水を絞りつつ、怪鳥に礼を言う。グルン、と怪鳥の首が真後ろに回る。丸い瞳、扁平な顔。人間の特徴も備えたそれは、フクロウの鳥人ハーピィだった。


「全く困るね。おっと」一発、きつく抵抗するヘーゼルをバサバサ羽ばたき、受け流す。「大人しくなさい、人狼のお嬢さん。暴れても余計に苦しむだけだよ。……やれやれ、人狼退治なんて、聞いていないのだけれどもね」


「標的の逃走を幇助する者は、これを無力化する。退治までには及ばん。知っているだろう」


「ええ、ええ、承知しているともさ。気絶で止めておくよ。それが我々のやり方、ね」


「それに」射手がフクロウを指す。「標的を取り逃がしたのは、貴様の失態だ。人狼の無力化はこちらの手に余る。汚名返上にはおあつらえ向きだろう」


 フクロウはホッホウと笑った。


「食えないね。本当に食えない。今日のところは恩に着るよ」


「礼には及ばん」


 ヘーゼルの動きが、次第に鈍くなっていく。


「麻酔が効いてきたか。人用の調合でどう作用するかわからん。頃合いを見て、屋根上にでも上げて介抱してやれ」


 射手の要望を、フクロウは快諾する。


「しかし、今からまた標的と鬼ごっこかね。段取りが悪かないかい。そんな調子だから、今の今まで取り逃がしてきたんじゃないの」


「耳が痛い」射手は肩をすくめた。「だが、鬼ごっこも今日で最後だ。標的はそうとは知らず、鬼の棲み処に迷いこんだ」


 ヘーゼルの意識が遠のいていく。


(エリー、逃げ、ろ……。あ、とは……わ、か)


 暗い底に沈む視界の中、にわかにヘーゼルはエリーの違和感の正体を突き止めた。


 ランプも持たずにこの夜霧の中で、どうやって迷わずにヘーゼルに追いつけたのだろうか。


 願いと疑問を残して意識が途切れた頃、エリーは逃げた屋内で、射手一味の一員と遭遇していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る