第6話 皇帝と侍郎、帳簿に残る思い出

はぁ……。押しても押しても終わらない上奏文の山。


丞相や六省の長たちは「印を押すだけでよい」と言うが、

押すだけなら皇帝である意味がない。

一つ一つに目を通し、民の暮らしを左右する判断を下す——

それこそが皇帝の務めだ。


こめかみを押さえ、次の文に手を伸ばしたとき。


「よっ。相変わらず生真面目にやってるね〜」


軽い調子の声とともに、衛青が入ってきた。



「ほれ、これでも見て息抜きしな」


差し出してきたのは、一冊の帳簿。

桜花宮の印が押されている。


「こっちの山は俺が処理しといてやるよ」


「……助かる」


苦笑して帳簿を開いた瞬間、胸の底が静かに揺れた。


(桜花宮……母上の宮か)


記載された数字を追うにつれ、幼い日々が蘇る。


「文琳。私たちは民の働きで生かされているのよ」


「この絹も、食卓に並ぶものも、すべて民が作ったもの。

 皇族だから、貴族だからと搾取してはならないわ」


「努力をして、民の暮らしを守る。それが私たちの義務なの」


母上はいつも優しく、それでいて厳しかった。

妃の体面を保つための最低限の贅沢しかしなかった人だ。

余った銀は災害のために蓄えていた。


(母上は……賢く、美しい人だったな)


ぽつりと息が漏れる。


そんなとき——


ことん。


爽やかな香りとともに茶が置かれた。


「悪いな」


顔を上げると、衛青が湯気越しにこちらを見ていた。

——幼い頃、同じ屋根の下で一緒に育った男の顔だった。


茶をひと口含むと、胸の奥の張りがほんの少しだけ和らいだ。



「なぁ、青。数字は、美しいな。

嘘をつかされることはあっても、自らは決して嘘をつかない」


山積みの上奏文を見つめながら、文琳はゆっくりと呟いた。


(母上のように、努力と自覚を持って生きる人は少ない。

伝承だけで宮に入り、座に胡坐をかく者に、これ以上心を割くつもりはない)



ふと女性にも科挙の道を開こうと行動した時のことを思い出す。


「努力する者には場所を与えるべきだ」

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