定員八名
深夜玲奈
第1話
定員八名
夜季 杏奈は、デパートのエレベーター前で腕時計を見た。
十八時二十三分。仕事帰りに寄っただけなのに、思ったより遅くなってしまった。
髪の毛の毛先を耳にかけ、紙袋を持ち直す。
駐車場へ向かうため、エレベーターに乗り込んだ。
中には誰もいない。鏡張りの壁に、自分の姿だけが映る。
——ブッ。
突然、耳障りな警告音が鳴った。
【定員オーバー】
「……え?」
定員は八名。中にいるのは、杏奈だけなのに。
表示は赤く点灯したまま、消える気配がない。
杏奈は一歩下がり、エレベーターを降りた。
理由は分からない。ただ、この密室の中にいるのが、ひどく間違っている気がした。
「階段で行こう……」
階段の扉を開けると、コンクリートの冷たい空気が流れ出してくる。
ヒールの音が、妙に大きく響いた。
——カン、カン。
一階分、確かに降りた。
扉を開ける。
エレベーター前だった。
「……あれ?」
同じロビー。
同じ床。
同じ、誰もいない空間。
杏奈は首を振り、もう一度階段を降りた。
——カン、カン。
同じ音。
同じ段数。
同じ、一階分。
扉を開ける。
また、エレベーター前。
スマートフォンを取り出す。圏外。
時計は、十八時二十三分のまま止まっている。
背後で、エレベーターのドアが静かに開いた。
中は暗く、奥が見えない。
——ブッ。
【定員オーバー】
警告音が、逃げ道を塞ぐように鳴り続ける。
「……誰か、いるの?」
返事はない。
ただ、鏡の中の自分が、ほんの一瞬だけ、遅れて瞬きをした。
息が詰まる。
杏奈は階段へ向かい、再び降りた。
何度も、何度も。
降りるたびに、少しずつ変わっていく。
表示板の光が鈍くなり、
警告音が近づき、
鏡の中に映る「杏奈」が、増えていく。
最後に扉を開けたとき、
エレベーターは満員だった。
八人。
全員が、夜季 杏奈だった。
誰も喋らない。
ただ、同じ顔で、同じように立っている。
自分が動いたらその八人全員が同じように動き出す。
【定員オーバー】
その表示が、ふっと消えた。
代わりに、静寂が落ちる。
誰かの手が、背中にそっと触れた。
押されたのかどうか、分からない。
気づけば、杏奈は中に立っていた。
——ブッ。
ドアが閉まる。
一瞬の沈黙のあと、
表示板の「P」が、ゆっくりと点灯する。
杏奈は、それを見て、なぜか安心しかけた。
これは夢なのか、現実なのかもわからなくなっていた。
そして次の瞬間、
ここがどこへ向かう場所なのかを、考えることをやめていた。
定員八名 深夜玲奈 @Oct_rn
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