追放された荷物持ちは要塞でコーヒーを飲みながら元仲間の没落を眺める
ろいしん
第1話『追放と生存確率0.002%』
「単刀直入に言う。リド、お前は無駄なコストだ」
地上の暦が春を告げていようとも、この奈落に慈悲はない。
吐く息すら瞬時に凍てつく、死の世界。
猛吹雪で視界は白い闇。
Sランクダンジョン『グラン・アビス』山岳深部・第60層。
極寒の轟音の中で、男の声だけがクリアに響いた。
「……無駄?」
「そうだ。計算してみろ」
Sランクパーティ『オリオンの牙』のリーダー、ゼイン。
最高級の竜皮コートに身を包んだ彼は、役立たずの腐った残飯を見る目で俺を見下ろしていた。
その両脇には、血のように赤い髪を靡かせた副官カーラと、分厚い魔導書を抱えた大柄な魔法使いベルトが無言で立っている。
カーラは氷のように冷たい視線で俺を睨み、ベルトは興味なさげに爪を弄んでいる。
「お前の『収納魔法』は、もう安物の予備アイテムで
ゼインは吐き捨てるように言った。
「ここに来るまでのポーション運び、ご苦労だったな。だが、俺たちも最新の『
赤字。
なるほど、分かりやすい。
攻撃力を持たない『
「ゼインの言う通りよ、リド」
聖女エリス。
神聖術で展開した金色の防風結界——その境界の内側で、哀れむような視線を投げてくる。
俺は既に、その輪から弾き出されていた。
「私たちはもうすぐ『深淵の最奥』に到達するわ。ここから先、あなたみたいな『持たざる
俺のため。
白々しい。
結界から追い出しておいて、よく言う。
「……」
喉の奥から、熱い塊がせり上がってくる。
ふざけるな。誰のおかげで。俺がどれだけ。
罵倒の言葉が、口元まで出かかった。
だが、俺はそれを奥歯と一緒に噛み砕く。
(……無駄だ)
怒鳴るのも、縋るのも、カロリーの浪費。
非効率。俺の流儀じゃない。
最近、ゼインたちの懐事情が怪しくなっていたのは気づいていた。
原因は明らかだ。高ランク装備の維持費、見栄を張った宿選び、分不相応な散財。
入ってくる金より、出ていく金が多い。収支バランスが崩壊していたのだ。
なら、組織が最初に手をつけるのはいつだって「リストラ」だ。
一番切りやすいコスト。俺だ。
「……了解」
短く答える。
ゼインは鼻を鳴らし、懐から羊皮紙を取り出した。
パーティ契約書。システム上の唯一の繋がり。
「話が早くて助かる。じゃあな、リド。精々、運良く出口まで戻れることを祈ってるぜ」
ビリッ、と乾いた音。
契約書が真っ二つに破られる。
ジュッ。
胸元の紋章が焼け焦げ、光の粒子となって霧散した。
リンク、
「行くぞ、エリス」
「ええ」
カーラとベルトは無言で背を向ける。
「……さようなら、リド。神のご加護を」
エリスだけが、形だけの言葉を残した。
彼らは振り返らない。
金色の結界が、白い闇の向こうへ消える。
残されたのは、俺一人。
聳え立つ氷壁に囲まれた、逃げ場のない空間。
全方向から襲いくるマイナス45度の暴力。
————
その場に立ち尽くしたまま、どれだけ経っただろう。
寒いという感覚は消えた。
鋭利な激痛だけが、全身を駆け巡る。
(……あ、これ死ぬわ)
鼻の奥が凍りつく。呼吸をするたび、肺が内側から焼かれる。
睫毛が凍りつき、瞬きのたびにバリバリと音がする。
装備は中古の防寒具だけ。
防御力、紙切れ同然。
死ぬのか?
ここで。無価値なゴミとして。
(……いや)
違う。
俺は無価値なんかじゃない。
あいつらは知らなかっただけだ。
剣の重心が狂わないよう、毎日ミリ単位で研磨していたことを。
エリスの精神安定ハーブティーに、希少な魔力草を調合していたことを。
野営の食事に、俺の調合した黒胡椒を振りかけて風味を整えていたことを。
あれは「雑用」じゃない。
生存に必要な「技術」だった。
それを理解できない戦闘馬鹿どもに、俺を評価できるはずがなかった。
だが、現実は非情だ。
寒い。痛い。怖い。
死にたくない死にたくない死にたくない。
(……思考を、止めるな)
恐怖を、情報として処理しろ。
必死に思考を回そうとするが、視界が黒く濁る。脳が悲鳴を上げる。
意識が、強制的にシャットダウンされる。
『ピ・ガガ……ッ』
脳の深奥を直接叩く、無機質なノイズ。
『警告:所属コミュニティの
幻聴?
いや、これは「世界統御システム」のアナウンス。
普段はレベルアップ時しか聞こえない管理音声が、なぜか今は耳元で囁くように鮮明だ。
『個体名:リド。パーティ契約の強制解除により、他者依存型スキル【荷物持ち】の維持が不可能になりました』
『現状の環境における生存確率……0.002%』
0.002%。
ほぼゼロ。詰みだ。
(無理ゲーすぎて笑えてくる)
終わりか。
そう諦めかけた時、声のトーンが変わった。
『————システム、起動。
『はじめまして、新たなマスター』
艶のある女性の声。
無機質なのに、確かな「意志」を感じさせる響き。
『私の名前はシィ。貴方の生存戦略をサポートする管理精霊です』
「……シィ……?」
凍った唇で呟く。
『肯定。マスター、現状は極めて非効率的です。このままでは180秒以内に死亡します。計算上、推奨される行動はただ一つ』
『絶対安全圏の構築です』
絶対安全圏?
何を言っている。ここはダンジョンのど真ん中、デスゾーンだぞ。
『生存戦略を【集団寄生】から【単独自立】へモードチェンジ……』
『ユニークスキル【荷物持ち】を破棄。代替スキル【生存圏・絶対防衛要塞】をインストールします』
ドクン、と心臓が跳ねた。
凍りついていた血液が、マグマのように熱を帯びて循環し始める。
『これより、初期要塞の顕現を開始します。周囲の空間を確保してください』
俺の意思とは無関係に、腰袋の予備「クズ魔石」が————100個近い在庫全てが、袋を飛び出した。
「な……ッ!?」
魔石が空中で円を描き、一斉に砕け散る。
パァァァァンッ!
青白い閃光。吹雪が弾け飛ぶ。空間そのものが抉られる。
光の奔流が収束する。
現れたのは、魔法陣などではない。
もっと異質で、圧倒的な「質量」の塊。
ズズズズズズゥゥゥゥンッ!!
地響きと共に、それが雪原に着地した。
巨大な「鉄の箱」だ。
人が中で立って歩けるほどの高さ。馬車三台分はありそうな巨体。
装甲は光すら吸い込むマットブラックの重金属。
側面には、透明な窓が一周している。外からは中が見えるが、内側からは遮光を調整できるようだ。
足回りは、どんな悪路も踏破する巨大な車輪と、鋼鉄のキャタピラ。
頭が追いつかない。意味不明。常識外にある何かだ。
だが————否定する理由がない。
鉄塊としての無骨さと、王族の馬車すら凌駕するであろう居住性。一つの思想の下に融合している。
そこにあるだけで、吹雪すら恐れをなして避けていく圧倒的プレッシャー。
「これが……俺の、要塞……?」
『肯定。これが貴方の新しい「家」です。……外気温低下、危険水準。さあ、早く中へ』
プシューッ。
圧縮空気の音と共に、重厚なエアロックがスライドする。
漏れ出したのは、白い光と……温かい空気。
そして、鼻腔をくすぐる香ばしい匂い。
どこか懐かしい、芳醇な香り。
丁寧に焙煎された、上質な豆の香りだ。
『この飲料は「コーヒー」と呼ばれるものです。覚醒効果とリラックス効果を併せ持ちます』
引き寄せられるように、震える足でタラップを上がる。
一歩、中へ踏み込む。
瞬間。
肌を刺していた冷気が、嘘のように消え失せた。
「……あ」
別世界。
間接照明に照らされた、広々としたリビング。
床には毛足の長い敷物。壁面を埋め尽くす巨大な黒い板。
奥には王侯貴族が愛用するような、最高級の本革張りソファ。
完全空調。湿度最適。
ここは楽園か?
プシュウゥン。
背後の扉が閉まる。
外の轟音が、完全に止んだ。
静寂。
安全。
『ようこそ、絶対安全圏へ』
どこからともなくシィの声。
『外殻装甲はアダマンタイト合金。古竜のブレスにも耐えられます。空調よし、防音よし、セキュリティよし。……どうですか、マスター?』
「……最高だ」
壁際のタッチパネルを操作。
【外気温:-45℃】
【室内温:+24℃】
その数字を見た瞬間、張り詰めていた糸が切れた。
膝から崩れ落ち、敷物に座り込む。
暖かい。
ただそれだけで、涙が出るほど贅沢だ。
「……はは」
笑いが漏れる。
コストの無駄? 赤字?
ふざけるな。
ゼイン、お前は何も分かっていなかった。
「……計算、間違ってるぞ。
快適な空間で、独り言ちる。
「俺を切り捨てて、お前たちは『世界で一番安全な場所』を手に入れる機会を捨てたんだ」
『その通りです。彼らの損失は、計り知れません』
モニターに「肯定」の緑色ランプが灯る。
緊張が解けた途端、猛烈な空腹感が襲ってくる。
そうだ。まだ何も食べていなかった。
「……シィ。腹が、減った」
『リクエストをどうぞ。システム権限により「等価交換」が可能です。
等価交換。
コストとリターン。
俺が一番好きな言葉だ。
「……肉だ。とにかくガッツリした肉が食いたい」
『承知しました。最高級ランクの牛肉ステーキ、200グラム。必要コスト換算……在庫分で足ります。承認しますか?』
「ああ、頼む」
テーブルに光が収束。湯気を立てる皿が出現する。
ジュウジュウと、脂が爆ぜる音。
こんがり焼かれた分厚いステーキ。脂が煌めき、抗いがたい匂いが空間を満たしていく。
ナイフを入れ、口に運ぶ。
とろける脂の甘みが、頭の芯まで温かく染みる。
「……うまッ」
本音。
さっきまで、パーティで雑用係として扱われていたのが嘘みたいだ。
『塩分と脂質の過剰摂取に警告。……ですが、今は生存祝いですね』
「うるさい。美味いから正義だ」
『……了解。マスターの判断を尊重します』
食後のコーヒーを飲み干し、深く息を吐く。
外は地獄。中は至福。
この圧倒的な落差。
「シィ、今の生存確率は?」
『0.002%から……100%へ修正完了。安全領域、確保しました』
「100%。……いい数字だ」
ソファに深く体を沈める。
俺と、このシィとの、優雅で合理的な一人旅。
ここからが俺の本番だ。
……そう思った瞬間、意識が途切れた。
張り詰めていた緊張が、安全を確信した途端に溶けたのだ。
気づけば、深い眠りに落ちていた。
————
同時刻。
ゼインたちは、吹雪の中で立ち往生していた。
「くそっ! テントが、テントが張れねえ!」
ゼインの怒号が風にかき消される。
かじかむ指でロープを結ぼうとするが、感覚がない。結び目が解ける。三回目だ。
「この防寒具、全然役に立たないじゃない! ……痛い、指がちぎれそう……!」
聖女エリスが金切り声を上げる。
エリスの結界は、魔力の消耗が激しい。休憩中は解除せざるを得ない。
防寒具のメンテもリド任せ。彼らの装備は既に凍結し、機能不全を起こしている。
「あいつ、いつも一瞬で張ってたぞ! なんで俺たちにできねぇんだ!」
「道具の手入れが悪かったのよ! ちょっと、火がつかないんだけど!」
湿った薪。煙だけが上がり、火がつかない。
「……リドがいた時は、こんなことなかった」
誰ともなくポツリと漏らした。
それが、決定的な「敗北」の予感となって重くのしかかる。
ゼインは歪んだテントの中で、ガタガタと震えながら毒づいた。
「ちくしょう……あいつ、なんでいねぇんだよ……!」
だが、その声が届くことはない。
彼らはまだ知らない。
自分たちが切り捨てたものが、ただの荷物持ちではなく、パーティの生命線だったことを。
そして、それを失った代償が、死ぬほど高くつくことを。
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