9

交代する直前

 夜の静寂を裂くかすかな物音に、黒猫はすぐに体を起こし、手を伸ばして弓を掴もうとした瞬間――


小鳥は迷わず空になった瓶を手に取り、軽やかにそれを投げつけた。


「黒猫さーん!先手は私ですよー!」


瓶は夜風を切って、物音のした方向へ飛び、パチンと音を立てて木の枝に当たる。小さな破片が散る。黒猫は一瞬、目を丸くする。


「……おい、何を――」


小鳥は笑顔のまま、焚き火の光に照らされながら身を低くして構える。

「だって先に警戒しないと危ないですもん!魔物かもしれないですし、暗い森じゃ気付かれたらアウトですよ!」


黒猫は息を整えながら、静かに鍋のそばに腰を下ろす小鳥を見下ろす。

「……無茶はするなよ。だが……先手を打つとは、お前らしいな」


小鳥は得意げに胸を張り、再び鼻歌を混ぜて周囲を見渡す。

夜の森に、二人の息遣いと、まだ冷たい瓶の残響が静かに溶けていった。

 瓶が弾ける音を合図に、野営地の他の者たちもぱっと目を覚まし、焚き火の周りで身構える。


「なんだ!?音は何だ!?」

「魔物かもしれん、警戒だ!」


他にも野営に居た人たちは武器を握り直し、火の明かりの輪の中でざわざわと位置を変える。小鳥はその様子を見て、慌てず騒がず、にこにこと指示を出す。


「皆さん、落ち着いてください!先に私が確認しますから!夜道の危険は慣れっこです!」


黒猫は小鳥の後ろで、軽く眉をひそめつつも、無言で手を弓に添えて警戒態勢を取る。

(……相変わらずだな)


野営地は一瞬の緊張に包まれ、焚き火の炎が揺れるたびに影が森に揺れ動く。だが小鳥の明るい声と動きが、少しずつ皆の緊張を和らげていく。


 小鳥は茂みをかき分け、ナイフを握りしめながら慎重に進む。耳を澄ませると、草木をかき分ける音と、獲物の小さな悲鳴が聞こえてくる。


「……やっぱりサーペントボアでしたァー!!」


小鳥は叫びながらも手際よく戦い、1メートルを超える大きな蛇を捕らえる。両手で抱え上げ、野営地まで持って戻ると、焚き火の周りで警戒していた皆が思わず息を呑む。


「お、お前……一人で!?」

「えへへ、任せてください!こういう時は迷ってる暇なんてないんです!お肉ー!!」


小鳥は嬉しそうに蛇を置き、すぐに手早く捌く準備を始める。黒猫はその後ろで、半分あきれながらも、手を出さずに見守る。

「……まったく、あいつの度胸と食欲には敵わん」


旅人たちも徐々に笑みを漏らし、野営地の空気は緊張と期待が混ざった独特の活気に包まれる。小鳥の明るさが、寒く静かな夜を少しだけ暖めた。

 

「サーペントボアのお肉は煮込むとほろほろ崩れてとても美味しいので、デミソース系もしくはワイン煮込みに最適なんですよね!でも!冬眠失敗してるサーペントボアはコリコリした歯ごたえがあるんです!」

 

手際よく解体していく、頭を落とし、皮をはいでゆく

「血や粘膜に毒がある可能性もあるのでしっかりすすぎ洗いして…っと!」

生活魔法で水を巡らせながら、骨を断ち、皮を剥ぎ、身を整えていく。手際の良さに、周りの兵士や黒猫も自然と視線が集まる。

 

「水辺にいるシーサーペントやハモなどと同じく骨断ちの処理をした後に、ぶつ切りです!」

 野営地の夜空の下、小鳥は手際よく作業を進める。大きなボアの身をぶつ切りにして、土や焚き火で用意した臨時の調理台に並べる。



「今回は衣をつけて、カリッとジューシーに焼きます!油で揚げるのは昼間にするとして…夜食分は焼きます!食べる人いますかー?」


焚き火の光が小鳥の白い髪と笑顔を照らす。香ばしい匂いが森に漂い、思わず幾人かが手を挙げる。黒猫は腕を組んで遠くから見守りつつも、ほんの少し口角を緩める。


「……相変わらずだな、あいつは。度胸と料理の腕、両方持ちやがって」


小鳥の明るい声が、寒い夜の森をほんのり暖め、野営地全体に活気と期待を生む。



 小鳥は「黒猫さんは食べますか?」と聞く 

 黒猫は焚き火の前でゆっくりと身をかがめ、鼻に漂う香りを確かめるように目を細めた。


「……ああ、少しなら食べる」


言葉は淡々としているが、その低い声にはほんのわずかの温かみが混じる。黒猫は手元に用意された皿に、カリッと香ばしく焼かれたボア肉を一切れそっと置き、口に運ぶ。


「……うん、悪くない」


小鳥はにこにこしながら手を叩き、嬉しそうに声を上げた。

「やった!黒猫さん、美味しいって!」


焚き火の光に照らされ、森の夜に漂う香りと笑い声が混ざり合う。黒猫は静かに、しかし確かに、その輪の中に身を置いた。


 夜の森は静かに息をつき、焚き火の揺れる炎だけが揺らめいている。黒猫は火のそばに腰を下ろし、身を丸めて目を閉じる。深く、確かな呼吸が森の静寂に溶けていく。


小鳥はその背中を見つめ、微笑みながら鍋や道具の手入れをする。時折、鼻歌が小さく夜空に溶ける。交代の時間が近づき、黒猫の寝息が整ったのを確認すると、小鳥はそっと立ち上がる。


「じゃあ、黒猫さん、起きてください〜。交代の時間です!」


黒猫はゆっくりと目を開き、まだ眠たげに肩を伸ばす。

「……ああ、わかった」


小鳥は焚き火の近くで手際よく準備を整え、笑顔で黒猫を迎える。夜の森は変わらず静かで、二人の小さな野営地は安らぎと温かさに包まれている。交代が始まると、黒猫は眠りについた小鳥を見守りながら、自分の番の火番に集中する。


静かな夜、森の音に耳を澄ませながら、小鳥は軽やかに焚き火の側で動き、準備と警戒を両立させる。黒猫もまた、ゆっくりと目覚めの時間を終え、二人のリズムが夜の森に溶け込んでいく。


 交代してすぐに寝た小鳥を横に見たがら、

黒猫は小鳥との最初の会話を思い出してた…


焚火はぱちりと音を立て、夜空へ火の破片を散らす。

子供の無垢な声が静寂に落とされ、黒猫はゆっくり息を吐く──その言葉に救われ、初めて微笑む


子供の「手伝う」という真っ直ぐな言葉は、

重さに沈んだ心へ、ふと落ちる一滴の雨のように届いた。


黒猫は黙ったまま火を見つめる。

その瞳の奥で、長い時間止まっていた何かがゆっくりと動き出す。


「…手伝う、か。」


口にした瞬間、それはまるで信じられない願望の形だった。

喉が僅かに震え、火の光が頬を撫でる。


「そんなことを言ったのは、お前が初めてだ…」


目元がかすかに緩む。

ほんのひと欠片の微笑み。

灰色の夜風が、それを優しく包み込む。

焚火が黒猫の横顔を照らし、影が柔らかくほどけていく。

重さを抱えたままでも──前に進める気がした。

 黒猫の瞳は焚火の揺らぎに映り、じっと揺れる炎を見つめ続ける。夜空に散った火の破片が、まるで小鳥の声を運ぶかのように、静寂の中で淡く輝く。


小鳥の寝顔は無防備で、胸の中に真っ直ぐな意思を感じさせる。あの「手伝う」という言葉が、まるで凍りついた心の一角を溶かすように、じわりと黒猫の奥深くまで届く。



呟いた声は小さく、しかし確かな温度を持って夜に溶けた。長い時間、何も響かないままだった胸の奥で、忘れかけていた感情がゆっくりと動き始める。


焚火の光に照らされた影が、柔らかくほどける。黒猫は初めて、自分の中の重みと同時に、前に進む力を感じた。小鳥の存在が、無言の支えとして、確かにこの夜に落ちている。


夜風が頬を撫でる。重さを抱えたままでも──少しずつでも──歩き出せる気がする。黒猫は小鳥の寝顔をそっと見守りながら、タバコの火を消さぬように手を添えた。


世界の静けさと焚火の温かさが、二人の間に淡い光の糸を紡ぐ。夜はまだ深いが、心の中には小さな明かりが確かに灯っていた。

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