0.4 年の悪夢

夜になると、黒猫は狩らない。


火を焚き、

最低限の糧を口にし、

誰にも背を向けたまま、目を閉じる。


眠りは浅い。

けれど、眠るたびに――必ず、同じ夢を見る。



---


そこは、まだ“戦場になる前”の場所だ。


柔らかな草の上。

光が、木々の間からほどけ落ちている。

風は、羽を撫でるためにだけ吹いていて、

血も、鉄も、叫びも、どこにもない。


「……また、ここか」


そう呟く声は、

昼の無機質な響きとはまるで違って、

わずかに、人の温度を帯びている。


彼女は、そこにいる。


相変わらず、少し不器用な笑顔で、

相変わらず、やけに眩しくて、

相変わらず、名前を呼ぶ。


「黒猫さん」


胸が、きり、と痛む。


それはもう、傷じゃない。

“夢でしか感じられない痛み”だ。


彼は、知っている。

これは幻だと。

これは死んだ者だと。

これは、自分が生き延びてしまった罰だと。


それでも――


「……来るな」


そう言いながら、

足は勝手に、彼女の方へ動く。


彼女は、何も知らない顔で言う。


「今日ね、空がすっごく綺麗だったの。

 雲がね、鳥みたいで――」


胸に、焼け付く。


“こんな時間が、確かに存在していた”という事実が、

現実のすべてを、静かに殺しにくる。


黒猫は、彼女の前に膝をつく。


触れられるはずがないと、

わかっているのに。


それでも、手を伸ばしてしまう。


──その瞬間。


彼女の輪郭が、砂のように崩れる。


風に攫われるように、

指の間から、零れ落ちていく。


「……待て」


初めて、声が震える。


「まだ、言ってないことが――」


最後の一片が、光に溶ける前に、

彼女は、いつも同じ言葉を残す。


「生きて」


それだけ。


それしか、言わない。



---


黒猫は、焚き火の前で目を覚ます。


頬が、濡れている。


昼間には、決して流れない水が、

夜だけ、勝手に溢れる。


「……卑怯だ」


誰に向けた言葉でもなく。


夢の中では、

彼はまだ“人でいられる”。


泣いて、後悔して、

触れたいと願って、

失ったものを、ちゃんと“失った”と認めてしまう。


そして、朝が来る。


そのすべてを、また凍らせる。


立ち上がった彼の表情は、

昨日と同じ、何も映さない顔に戻っている。


だが――


夜にだけ、

彼はまだ、ちゃんと壊れている。

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