神の娘

月森香苗

第1話

戦神アレイネスは神々の中で最も勇敢で、魔神族との戦いにおいて戦場を真っ先に駆け抜け、幾度もの天魔大戦を勝利に導いてきた。そんなアレイネスを主神とする者はそれなりにいる。

騎士や戦士、戦闘を主とした冒険者。他にも勝負事に挑む者はアレイネスの信者であることが多い。



大陸の中でも国としてアレイネスを信仰している大国ホレオムの王宮で今まさに国王は意識を飛ばしたい程の衝撃を味わっていた。

この国では原則として長子が後継者となる為、正妃が産んだ第二王子ではなく愛妾が産んだ第一王子が立太子していた。側室になるには身分も知性も何もかも足りない女を愛妾にしたのは国王であったが、割と後悔していた。何故ならば、その愛妾がとてつもない馬鹿であったからだ。若い頃は可愛いと思っていたものも歳を重ねても変わらないのは見苦しくなってくる。それに対して、若い頃は反発していた正妃は円熟した美しさを持っているのだが、正妃にはとことん嫌われていることは理解していた。

さて、そんな愛妾から生まれた第一王子だが、教育に失敗したのか元々の資質か、母である愛妾に吹き込まれたのか。国王が何度も何度も何度も平伏して願い祈り頼み込んで許しを得て婚約者になってもらった女性に婚約の破棄を突き付けていた。腕に見知らぬ令嬢をひっつけて。

その女性は燃えるような赤い髪と琥珀色の目をした華やかな見た目をしているのだけれど、第一王子はどうも気に食わなかったらしい。

王家主催の舞踏会でしでかしたこれらに、国王は死を覚悟した。


「フェドル。コレはまだ必要か?」


第一王子が冤罪を生み出す言葉をまるっと無視したその女性は国王の名を呼び捨てにしながら話しかけた。国王や正妃は元より、国の重鎮達は彼女の事を知っているので気にしないが、知らないものは不敬ではないか、とか様々な事を声高に言い始める。

その女性は世間的には宰相であるモニーク公爵家の令嬢と認知されているが、実際は違う。国王など敬う必要はどこにもないのだ。


「不要に、ございます」


その女性が合わせてやる、と言ったからこの玉座に座り彼女を見下ろす場所にいるのだが、今すぐにでも階段を駆け下りたい気持ちで満たされている。

我が子と変わらぬ見た目の女性に対し、国の頂点たる国王が敬語を使う、その事に驚く者が大半の中、彼女の正体を知る者たちは沈黙を選ぶ。それが当たり前の事であるからだ。

我が子の要不要を問われた国王はほんの一瞬悩んだが、彼のしたことを思えば庇い立ては出来なかった。女性はその答えに満足も不満も感じた様子はなく、分かったと頷くと目の前の二人に視線を向けた。



「まず、その娘は中々に強かで良いと思ったが、立場を弁えぬ者は目障りである」


彼女が腕を上げて指を少し振っただけでいきなり第一王子に引っ付いていた令嬢が燃えた。文字通り燃えたのだ。されど令嬢の体を包む炎は彼女と密着していた王子には移らない。

熱さのためか狂ったように暴れ叫ぶ令嬢はついに床に横たわった。


「ミィア!!貴様、何をしている!?私のミィアを!」

「死んではおらぬ」

「父上!何故、何故この暴挙を止めぬのです!一刻も早く処刑すべきです!」

「出来るわけなかろうに。たかが人が神たる我を裁くなど出来るはずもない」


国王が沈黙する中、女性から淡々と告げられた言葉に静寂が広がる。

神。

女性は確かにそう告げた。

艶やかな赤いドレスを着た女性は笑顔でも不機嫌でもない実に淡々とした表情を崩さない。


「もうよい。お前は不要とされた。お前の種が広まらぬようにしてやろう」


指をすっと横に動かす、それだけで第一王子のトラウザーズの股部分が赤く染まり、僅かの後、第一王子は絶叫した。容赦なく刈り取られたショックで第一王子は意識を失い背中から床に倒れ込んだ。


「フェドルが我が父アレイネスに何度も平伏し祈ったから我がこの王家に神の血を入れると許してやったのに、何故それは理解しておらぬのか。話しておらぬのか」

「話していたのですが、この者の母が狂わせるのです」

「ふむ…この女か?」


女性――ケレイネスが腕を振ると何処からかピンクのドレスに二つ括りの髪型をした女が現れた。正妃たる王妃と年頃は変わらないのに未だに未婚の令嬢と変わらぬ格好を好む愛妾の痛々しい姿は目も当てられない。

愛妾は妃ではないので公の場には出られない為、離宮にいたはずなのだが、ケレイネスの力で呼び寄せられた。その愛妾は喚き散らし、ぶっ倒れている第一王子を目にすると悲鳴というか絶叫というか金切り声を上げた。


「これは必要か?」

「…不要にございます」


かつては愛した女だが、今や王家を蝕む害となり果てた女を国王は切るしか無かった。第一王子に身分差の恋を語り、様々な教育者を遠ざけ、その度に国王とて対応はしたし引き離そうとしたのだが、愛妾を母と慕う第一王子が離れなかったのだ。甘やかしてくれるのもあって。

若い頃は可愛く思ったのだ。男爵家の令嬢で表情豊かですぐに肌を許してくれたところなんかも。とは言えども国王は彼女を王妃にとは思わなかった。王族としての最後の理性が働いたからか、それとも前国王が恐ろしかったからか。


「まあ、そなたにとっても丁度よかろう。レジュリアの良さを見極められなかったそなただが、残酷な選択もまた為政者には必要な素質よ。この女は魔族への餌に丁度良い魂の持ち主だ。こちらで使わせてもらおう。肉体は要らぬ」


必要なのは魂だけなので、ケレイネスは躊躇なく愛妾の首の骨を折り、人の目には見えぬ魂を何処からか取り出した籠の中に入れた。

あまりにもあっさりと人ひとりを殺したのだが、彼女が真実神であるならば咎めることすら出来ない。神に法など適用できないのだから。


「ホメロティウム。これをアポロニクス殿の元へ送ってくれ」

「はいはいー!って、ケレイネス、まーだ地上にいるの?」

「父が約したのでな。子を産み落とすまでは少なくともいる」

「ふぅん。物好きだねぇ。アレイネスよりは多少弱いけど、戦女神ケレイネスをその血に宿らせる許可を出したなんて」

「父の考えることは分からぬが、我を選んだのは父だ。花女神の姉様でも機織女神の姉様でもなく、最も父に似たる我を選んだのには理由があるのだろう。それよりもホメロティウム。伝令の神としてはやくそれを運べ。魔族への餌だ」


ケレイネスが呼び出したのは伝令の神たるホメロティウム。基本的に彼の役割は大戦が始まる際に様々な場所にいる神へと告げるものだが、大戦がない時は便利屋のような仕事をしている。あちらこちらへ行きながら話を聞いたりして長い時を面白くするのが趣味の神である。アポロニクスは狩猟の神で魔の者への罠なども彼の仕事の一つである。

活きの良い穢れた魂は清浄な神の世では手に入らないが、人の世で調達は面倒だし時間の流れが違うので、あの魂が死んだら餌にしようと目を離したらいつの間にか死んでいた、なんてのも当たり前なので鮮度抜群の魂は中々に貴重であった。

「ケレイネスやるねぇ。じゃあ運ぶよ」とご機嫌そうにホメロティウムが魂入りの籠を受け取るとすぅ、と姿を消した。

この間、大広間は物音一つ立てられないほどの静寂に満ちていた。神の気が強すぎて当てられていたのだ。ケレイネスは普段こそ神の気を抑えていた。神であると知られると貴族の中には調子に乗る者も出るなどの懸念がある、という宰相の言葉を聞いた為であるが、正体を明かしたのならば良いだろうと配慮を止めた。


「それで、我はどうしたら良い?約は果たされておらぬが」

「我が息子はいかがでしょうか」


丸焦げながら生きている令嬢、股間を真っ赤に染めて意識を失っている第一王子、既に魂の無い死した愛妾が転がる中で問いかけたケレイネスに王妃レジュリアが第二王子を挙げる。

もはや子孫を残せない第一王子が駄目な以上、王家の血を繋ぐのは第二王子しかいない。その第二王子レオニードはレジュリアの玲瓏な美と優秀な頭脳を持つ王子で、長子世襲の原則さえなければ国王に相応しいのは彼では、と密かに思われていた。血筋も第一王子に比べて遥かに良い。


「ふむ、レオか。レオ、そなたはどう思う」

「ケレイネス様が私で宜しいのならば、是非」


いつの間にか近付いていたそのレオニードは素早く片膝をつくと焦がれるような眼差しをがんがんとケレイネスに向ける。誰がどこをどう見ても焦がれに焦がれまくっている眼差しを向けているのだが、ケレイネスは人ではなく神なので一切気にしていなかった。


「そなたが良いならば、我の伴侶はこれで良い。ならばそなたが次の王太子よな」

「ああ、ケレイネス様。兄が王太子だからこそ貴方様の夫になる権利を得た事がどれほど悔しかったことか。ですが、このようにして貴方様の御手に触れる栄誉を賜れたこと、望外の喜びです」

「そなた、そこまで喋る男であったか?」

「兄の婚約者と親しくすると貴方様の名誉を貶める者が現れかねませんので」


ケレイネスの気が向いたので手を差し出してみると、宝物に触れるがごとく慎重に、しかし明らかに粘着質に触れるレオニードに王妃の目は遠くなる。

第一王子は愚か者であったが、己の息子は別方向に問題児だと判明してしまったからだろうか。

国王は放置されていた重傷者二人と遺体一人分を運び出すよう護衛騎士に指示する。この場で哀れなのは何も知らずただ舞踏会に参加していた貴族だろう。

例年通り来たら、王太子たる第一王子が不貞した上で婚約破棄を叫び、その婚約者が実は国教である戦神アレイネスの娘で、不貞者二人は神罰を与えられ、ついでと言わんばかりに愛妾が文字通りぽきりと殺され、別の神がお散歩のノリでやってきたかと思うと第二王子が新たなる王太子になるとか。

正直なところ、大抵の人間にとって神とは存在しているものの近くには感じない存在であったので、まさかこんな近くに居るとは思うはずもなかった。


「フェドル。我はこの国は気に入っておる。父を信仰しているお陰で父の力は常に最上のものである。その恩恵を私も受けているのでな。」

「これからはアレイネス神とケレイネス神を信仰するように致しましょう」

「よいよい。我は父から力を流してもらえるゆえ。より一層父を崇めよ。さすれば我が力となる。それに直接信仰されてしまうと地上に我がいるだけで戦争となりうる。それは望まぬところよ」


ゆったりと笑うケレイネスだが、彼女の手はレオニードが頬を寄せてすりすりとしていて、周りはどちらに注目すれば良いのか分からなくなってしまう。

レオニードは笑顔ひとつ見せない氷のような王子と言われ、令嬢達の憧れであった。それが今やまるで犬のように見えないしっぽを振りながら蕩けるような目で顔を緩ませケレイネスだけを見ているのだ。

令嬢達の憧れと理想は脆く崩れ落ちそうになっていた。


「レオ、いい加減手を離せ。望むならば後で触らせてやろう」

「誠でございますか!?」

「貴族達もいい加減疲れたであろう。とは言えど、この宴の為に用意されているもの達を無駄にしてはならぬ。フェドル、切り替えて再開せよ」


圧倒的上位の存在ゆえの鷹揚さで命じるケレイネスに国王は頷く。神の気を抑えたケレイネスにより広間に掛けられていた圧が軽くなり、貴族達は息がしやすくなった。

本音を言えば誰もがもはや優雅に踊ったり、その中で駆け引きをする気にはなれなかったのだが。


「最も優雅に踊った者達には我からこの加護の石をやろう。我は闘争心が好きだ。優雅に見せながらダンスというのは高め合い周囲と競い合う遊戯よ」


掌を上にして赤い光が集まったかと思うと、紅玉よりも明るい石がそこに生まれた。神から直接与えられる加護の石は金に変えられない価値がある。何よりもこの国は「戦神アレイネス」を信仰する国である。勝負と言われたらじわりと熱が生まれるのは国民性だろう。


国王と王妃の座る座の後ろに一段高い段がある。そこに豪奢な椅子が運び込まれてきた。前々から国王が作らせていたケレイネスの為の神座である。これに関しては神殿も協力している。神官長などはケレイネスと顔を合わせる度に体を地に伏しては涙を流すので副神官長二人からケレイネスとの謁見を阻止されていた。その時はまだ正体を隠していたので神官長の乱心にも思える行動で露呈したらどうするのかと説教されている。

そんな神座にケレイネスは躊躇なく座った。国王と王妃はやっと見下ろさなくて済むと内心で安堵した。毎回ヒヤヒヤしてしまうのだ。

ケレイネスの伴侶として認められたレオニードは国王達と同じ段だがケレイネスのすぐ側に立つ。


「ケレイネス神。宜しければ貴方様より再開の声掛けをお願いしたいのですが」


国王の言葉にゆったりと頷いたケレイネスは肘掛けに右肘を乗せて手の甲に顎を添え、足を組むと掌から赤い光を纏う蝶を生み出し羽ばたかせる。


「我は戦女神ケレイネス。今宵のダンスは我に献上せよ。舞え、踊れ。優美さに潜めし熱を滾らせ、我を楽しませよ」


決して大きな声ではない。しかし広間に広がった蝶から聞こえる声は隅々に届く。つい先程まで三人の人間を死傷させたとは思えない姿。しかしその強烈さにその事を最早意識する者はいない。

煽られる闘争心。招かれた音楽家達にもその熱は伝染していく。闘争心を煽る事こそケレイネスの力のひとつ。


「さぁ、始めよ」


静まり返っていた会場に音楽家達の奏でる音が流れ出す。煽られた者たちが次から次へとホール中央に集い美しく舞い始めた。


「ふふ。今宵は気分が良い。アレはどうにも我に対して劣等感を抱いていたようでな。神に対してたかが人間が何をと思っておったのだが、理解していなかったのであればしかたあるまい。されど、我を下に見るのは不愉快極まりなかった。コレならば我は満足出来よう」


アレと呼ばれた第一王子とコレと呼ばれた第二王子ならば、ケレイネスはまだレオニードの方がマシであった。無表情の下に隠していた強烈な闘争心は心地よいものであった。

人の世には人の世の理がある。法があるならばケレイネスも人の真似事の一環で倣うのは吝かでもなかった。力も何もかも優れているのが神なので、寛容にしていたが、神への直接的な侮辱は許すつもりはなかった。

頬を緩め笑みを浮かべるケレイネスは「あの者達は良いな」と犬猿の仲と言われているのに婚約を継続している男女を指差す。


「互いに負けるものかと競い合っておるのが良い。何と言ったか。そうそう。異界の神が教えてくれたのだ。ツンデレなるものや喧嘩ップルであったか」

「ツンデレ、ですか?」

「そう。普段は素っ気ないのにたまに甘えたりする事を、ツンツンしているのにデレる、と言っておった。喧嘩ップルはそのままの意味で、喧嘩をよくしているが何だかんだ好きあっている仲らしい。愛いではないか」


他にも優雅なダンスをする者はいるが、ケレイネスの目に止まったのがその二人であった。ケレイネスを一心不乱に見つめるレオニードは彼女の言葉を聞き漏らさないように必死でホールを見ていない。

入れ替わり立ち代りダンスは続き、最終的にケレイネスが選んだのは件の気に入った二人であった。


「我はそなたらのあり方を好む。互いを高め合え。そなたらの先に困難が待ち受けようと乗り越えるだけの力をそなたらは持ちえておる。これに込めた我の加護はそれを後押しする程度。この加護は家ではなくそなたらに授けたもの故、他者が奪おうとも他者に譲ろうとも意味をなさぬ。そなたらに子が生まれたならば我に見せに来い。良いな?」


まさか選ばれるとは思ってもいなかったのだろう二人は小突き合いながら来て、膝を折り粛々とその言葉を受け止める。舞踏会が始まるまでは外見の割に大人しい令嬢と思っていたケレイネスが神であると明かした後、こうして壇上から見下ろされるとよく分かる。彼女は明らかに人ではない。しかし無闇に理不尽をふりかざす訳でもなく、鷹揚に振る舞うケレイネスに自然と頭が下がった。


「我は満足した。次は騎士や戦士などの闘いがみたい。冒険者の魔獣討伐も見てみたいな。後者は我の自由に出来るが、騎士や戦士は計画せねばなるまい。楽しみにしている」


頼むなどしない。いえば整えると思っているからこその発言だが、その言葉を発した時点で開催は決まった。護衛として会場に控える騎士たちは内心で興奮していた。神に己の力を見せる機会などそうそうない。

貴人を守り戦う事は誇りだが、彼らが崇める戦神アレイネスの娘に、ともなれば話は変わる。神へ直接捧げることを許される機会を逃す者はいない。


「今宵、そなた達は見知った。我は戦女神ではあるが、戦乱を自ら招くわけではない。地上には天上には無い変化があり、命の輝きがある。色変わる空があり、広大な海があり、緑豊かな大地がある。天空神、海神、大地神は我よりも、父よりも旧くに生まれこの世界を支えている。その地上を我は愛しく思う」


舞踏会も終わりを迎える中、ケレイネスは尊大に語る。普段であれば途中でも帰る者がいるだろうに、今日ばかりは誰もが残っている。恋に恋する未亡人が休憩所に行かず、顔見せが終わればすぐに帰る一家が壁際で大人しくしている。

国王も王妃も椅子から立ち上がると向きを変えてケレイネスの言葉を受け止めていた。


「我はこの国に我の血を残す。されど、それは侵略の為でなく、戦いを挑まれた時に必ずや勝つ為の、守る為の力である。この言葉、努努忘れるなかれ」


結びの言葉を聞いた国王と王妃、全ての貴族、騎士が一斉に敬礼をする。神を前にしてただの人間でしかない彼らは畏れ敬う本能に従うのみ。

一夜の出来事はすぐに国内中に広まった。貴族も平民も分け隔てなく、ホレオム王国に生きる者はアレイネス神の娘神の存在を知った。戦女神の言葉は伝聞であるにも関わらず余計な言葉を付け加えること無く広がった。重税を課し平民を人間と思わぬ貴族の中には恐れる者もいれば虚言ではと笑う者もいた。前者は少しばかり改心したが、後者はある日突然死ぬよりも恐ろしい目に遭った。

ケレイネスは特に何もしていない。敢えて言うならば、ケレイネスを誰よりも愛する誰かさんが仕出かした事だがケレイネスは気にしなかった。地上の矮小な人間にそこまで気を配る必要性を感じなかった。

ただ、世話役の宰相から「レオニード殿下の暴走を止められるのはケレイネス様のみです。死刑は望ましくないのと、せっかく集めた資料が無駄になるので止めていただけるようお願い申し上げます」と頼まれたので、その位ならばと寛容に許した。


「レオ。我への不敬は宰相が手を回す故、そなたは手を出すでない」

「そんな…我が女神への忠信ですのに」

「我は宰相に世話をされてきた。恩に報いるのは当然のことよ。あまり宰相に無茶を振るでない」

「畏まりました」


現在、ケレイネスは王宮に居を移している。元婚約者だった第一王子に合わせて自由に外見を変えられる事を利用し、宰相の家で幼い姿から育ってきたケレイネスをよく知っている侍女が周囲に侍っている。

口が堅い彼女達の身分は宰相が当主であるモニーク公爵家の分家の者達で、重鎮を除いて彼女の正体を知る者達であった。

ケレイネスから許されている彼女たちはレオニードよりも遥かに気安いやり取りが出来る関係を築いている。


「ケレス様、お召し物に菓子くずが落ちていますよ」

「うむ。すまぬ」

「ケレス様ぁ~。ドレスのお色はどうされますかぁ?」

「右がよいな」

「ケレス様、モニーク公爵家よりプレゼントが届いていますよ」

「おお。ロゼットからではないか。ふむ、早う開けよ」


長椅子に腰掛けるレオニードは王太子として立太子の儀を済ませ、国王に次いで権力を有する立場となったが、侍女達にとっては神であるケレイネスこそが最上であり、宰相からも何よりも優先すべきとして許されているので、レオニードはまるっと無視されていた。

確かに美しい男だが、ケレイネスへの執着が気持ち悪いので信頼がない。


「レオ、そなた、今は政務の時間では無いのか?」

「休憩中です。そろそろ戻ります」

「うむ。よく働くのだぞ」

「勿論にございます」


最初の頃は頻繁に来ていたレオニードだったが、ケレイネスが怠惰な者は好かぬ、と言ったのできちんと仕事を済ませてから来るようになった。

ケレイネスは神なので国政には一切関わることは無い。通常の王太子妃や王妃がする仕事をしないので、文官や側近を増やした。それに不満を抱く者はいない。他国に顔を出す事も無い。会いたくば来い、とケレイネスが言えばそれで終わりだ。

レオニードが去って行き、残されたケレイネスは侍女達に世話をされる。天上でも下級神や天使があれやこれやと世話をしてきたので慣れている。


「あれは愛い奴よ。我によくぞあの日まで本音を隠し通した。子を産んだら父の元に帰ろうと思っておったが、あれが死ぬまではいても良いだろう」


神にとっては大した時間でもない。ケレイネスを神だと理解しながら一心に愛を捧げる姿はどこまでもいじらしい。

レオニードと同じ気持ちを返すことは無いが、少しは愛でてやろうという気持ちになったケレイネスは最終的に五人の子供を産んだ。いずれも半神であるが為にケレイネス程の力は持っていないが、守護や豊穣に関わる力を有していた。

レオニードが死ぬその時までそばに居たケレイネスは、彼が死して後、その魂を大切に籠にしまった。冥府の神の元へ赴き死者として管理され新たに産まれるのが理であるが、時に神は己が気に入った者を召し上げる事がある。

死ぬその時まで愛を捧げたレオニードを手放す事が出来なかった。その為、祖神に願いレオニードを神へと変じてもらった。


「早う目覚めるが良い。そなたがおらねばつまらぬぞ」


輝く黄金の果実の中でレオニードは人から神へと成っている最中である。その実をつんつんとつつきながらケレイネスはその時が来るのをゆったりと待ち侘びていた。

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