第2話 最適化されていない侵入者

 誠志郎がその異変に気づいたのは、警報が鳴る三秒前だった。


 天井裏の気流が、わずかに乱れている。

 空調のダクト内に設置したセンサーの数値が、想定よりも低速で推移していた。


「……詰まってる?」


 次の瞬間、警報が鳴った。

 音は短く、控えめで、しかし確実に侵入を告げる。


 誠志郎は慌てない。

 自宅兼ラボのセキュリティは、侵入者を排除するためのものではなく、「観測」するためのものだ。


 タブレットを操作し、天井裏のカメラを起動する。


 映ったのは——


「……」


 人だった。


 しかも、完全に止まっている。


 ダクトの中央で、うつ伏せの姿勢。腕は前に伸びているのに、そこから先へ進めていない。足はじたばたしているが、進捗はゼロ。


 理由は、論理的に一目で理解できた。


「サイズ設計ミスですね」


 誠志郎は淡々と呟いた。


 侵入者——女は、こちらに気づいていないらしい。

 ダクトの中で、くぐもった声が響いている。


「ちょ、待って……聞いてない……このダクト、細くない……?」


 独り言だ。

 しかもかなり切羽詰まっている。


 誠志郎はスピーカーをオンにした。


「聞いていませんでしたか」


「ひゃっ!?」


 女の身体がびくっと跳ね、さらに詰まった。


「な、なに!?誰!?」


「家主です」


「……は?」


「動かない方がいいですよ。無理に進むと、構造的に抜けなくなります」


 沈黙。

 数秒後。


「……あの」


「はい」


「これ、通報される流れ?」


「現時点では未定です」


「未定!?」


 女は必死に体勢を変えようとするが、ダクトは無情だった。どう考えても、侵入経路の選定段階で何かを見誤っている。


 誠志郎は冷静に分析する。


「侵入ルートは適切。工具も静音。行動も迅速。

 ただし——」


「ただし?」


「ご自身の身体的特徴を、考慮していない」


 再び沈黙。


「……それ、今言う?」


「事実なので」


 女は深く息を吐いた。


「……はあ。最悪」


「救助しますか」


「え?」


「このまま放置すると、物理的に朝まで出られません」


 少し考える間。

 そして、くぐもった声が小さくなった。


「……お願いします」


「条件があります」


「条件?」


「今後、この家に侵入する際は、事前に構造図を確認してください」


「……え?」


「冗談です」


 誠志郎は立ち上がり、天井点検口へ向かう。


「誠志郎です。あなた、名前は」


「リラ……」


「リラさん。次からは、最適化を」


 そう言って、彼は脚立を広げた。


 この出会いが、彼の完璧な日常を、少しずつズラしていくことになる。

 その予兆としては、十分すぎるほどだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る