隣の芝は、それでも青い。

おワンコ太郎

第1話「憧れ」とは「呪い」である

 


 私は3か月ほど前、漫画家になるという夢を諦めた。


 昔から私は、物語を作ることに憧れていた。中学生の頃には近くのレンタルビデオショップでドラマや映画のDVDを借りまくり、家の中にあった漫画を何周も読み、図書館で「ハリーポッター」シリーズや「都会のトム・ソーヤ」シリーズなどの小説をアホみたいに借りて・・・


 とにかくそうした物語に触れるのが大好きで、何故か自分は根拠もないのに将来「物語を作る人」になっているんだろうと確信していた。自分が米津玄師や星野源とアーティストとして対談する妄想を四六時中していた。


 ―しかし、現実はそこまで甘くなかった。


 大学に入学して間もなく、私は漫画家を目指して意気揚々と制作を始めた。人との関わりを殆ど絶ち、時間をほとんど漫画制作に費やした。自分の世界を作るのが楽しくて、自分が作った作品で周りを感動させる妄想が楽しくて、私は自分が漫画を描くために生まれて来たのだとさえ思っていた。


 初めて完成させた漫画を、私は意気揚々と少年ジャンプ+に持って行った。持ち込みでは編集者さんは見込みのある漫画家志望だと判断すれば、名刺を渡し以後その人の「担当」になってくれるという慣例のようなものがある。少なくとも名刺は貰えるだろうというエクストリーム勘違いをしたまま、私は編集者さんが漫画を読み終わるのをにこやかに待っていた。


「訳わかんない」


 最初の言葉はそれだった。


 いや、もっと柔らかい言葉だったとは思うのだが・・・その時の自分にはそれぐらいの印象があった。その後正確に数はわからないがマシンガンの如く20~30個ほど悪い点を指摘され、良い点は一つも言われなかった。


 今見れば鼻くそをほじった小学生の落書き以下のクソ漫画だったのだが、その時は本当にショックを受けて、帰りの都営新宿線で人目をはばからず泣いた。


 私はそれ以後、より血眼になって漫画制作に努めた。言われた悪い点を全て直そうと、遊びの誘いを全て断り、何冊もハウツー本を買って、漫画の分析をした。今思えば、「物語を作る才能がある」ということが自分のアイデンティティーそのもので、それを失う恐怖に駆られていたのだと思う。


 ともかく、そうして2年の月日が流れた。私は8か月かけておよそ50頁の読み切り漫画を作り上げ、それをまた少年ジャンプ+に持って行った。努力は必ず実る、なんてことはその時も信じているわけではなかったが、さすがに何かしらの進歩、少なくとも努力した意味はあるだろうと思っていた。


「読みづらい。読んでてストレスがかかる」


 総合的な評価はそれだった。唯一良い点を教えてくれたのだが、それは「二年目にしては絵がうまい」という物語の質とは何の関係もないものだった。

 

 私はもはや涙すら出ず、何の感情も沸かないままに再び都営新宿線に乗った。九段下で半蔵門線を探して迷子になっているおばあちゃんがいたので、改札まで案内してから帰るくらいの余裕はあった。


 不思議と、悔しい気持ちも別にわかなかった。それは今考えると、きっと私がある事を理解し始めていたからに違いない。

 ―私は、きっと漫画家になれないという事を。


 そこからの日々は地獄だった。諦念で足が止まる自分と、意地で前に進もうとする自分とが何度も何度も衝突する。このままでは漫画家になれない、努力をしなければとペンを握るのだが、「どうせ無理だ」「才能がない」などといったネガティブな思考が次第に頭を侵食していって、結局何もできずにベッドに潜る。


 自分の才能のなさをありありと自分の作品から感じ、だからこそ書かねばと思うのだが、手は動かない。前までは楽しく読めていた漫画も、すべてが自分の無力さを見せつけてくる鏡のように思えてきて、私は漫画アプリすら消した。夜になれば焦りや自分が浪費してきた時間の事がどうしても頭に浮かんで、情けなさで頭が爆発しそうだった。私はついに自分が正常ではない、このままでは壊てしまうと思って、そのことを泣きながら母に相談した。


 母から出た答えはシンプルだった。



「…何でわざわざ楽しくないことやってんの?」



 その単純な問いに、答えは出なかった。漫画を描き始めたあの時に感じていた、未知の世界へ踏み込む嬉しさも、自分の世界が出来ていく事への喜びも、もはや自分は感じないようになってしまっていた。

 そうして私はその夜、漫画家への道を諦める事に決めた。



 それからというもの、私の生活は段々と楽しいものへ変わっていった。それまで単発バイトしか入っていなかったが、通期のバイトを始め、大学の友達とも積極的にかかわるようにした。司法試験に合格するという目標もできて、予備校にも切磋琢磨する仲間ができた。平穏と刺激が自分にとってちょうどいいバランスで共存していて、最近は「ずっとこんな日々が続けばいいなぁ」とか思いながら、アホ面でほうじ茶を飲んでいる。




 しかしーそれでも、「自分の作った作品が誰かに認められたい」という醜い欲望は未だに自分の心にこびりついている。


 それは私を苦しめたはずのものだ。しかし、私は未だにそれを捨てられていないでいる。なぜか自分が物語を作らずに生きている将来を想像すると、私は無性に怖くなるのだ。現に、あんなに自分には物語を作る才能がないと実感したはずなのに、未練がましくも私はこのカクヨムという小説投稿サイトで小説を書いてしまっている。


―何故私は、分かってくれないのだろうか。

自分にはもはや素晴らしい作品を作る力も才能もないという事を。




・・・少しメンヘラちゃんのような文章になってしまったが、自分に向き合うとはこういう事なのだろうと思う。そしてこれをまたインターネットという大海に垂れ流すこともまた、自分の醜い承認欲求の表れなのだろうと思うのだがーそこはあまり考えても仕方のないことだ。


 下手くそな文章をつらつらと重ねてしまったのだが、こんなに不器用な人間がこの世にいるということ、少しでも心の糧にしてくれたなら大変うれしい。

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