魔法撲滅委員会
亜有我呼(ああああ)
第1話『魔法の杖』
『魔法撲滅委員会』
電気ランタンの頼りない豆電球だけが真っ暗な闇に立ち向かう薄暗い地下室で、白い球のついた黒い柄の杖を握りしめた男が立っていた。
まだ胸に残る香りと体温を感じながら、目の前で祈りを捧げるように跪く長い髪の美しい女性を見つめて、男は杖を高く掲げる。
——覚悟など、とっくの昔に出来ている。
杖を振るえば、償いは、終わる。
——杖は、魔法を恨む彼らに届くだろう。
——杖は、魔法のない世界を作るだろう。
だから——彼は、杖を振るわなくてはいけない。
最後の魔法を消し去る為に高く掲げられた魔法の杖は、彼の手と共振するかのように微弱に震えながら、振り下ろされるのを待つ。
「アルドゥハ————」
そして杖は時を超え、再び彼らの元へと届くだろう——
———————
第1章『魔法撲滅委員会』
第1話『魔法の杖』
机から発される木の香りを頬で感じながら、五時間目の終了のチャイムと共に目を覚ました少年は、直後の授業終了の号令で慌てて立ち上がる。
——少年は長い夢を見ていた。
それは『罪滅ぼしの為に罪を犯す』夢で、いざ目覚めてしまえばあまりに滑稽で、考えてみれば矛盾に満ちた夢だった。
なのに——夢の中にいる間はずっと悲しくて、ずっと泣きたいのを
——自らが不幸になる選択を強要され続けているかのような夢だった。
「おい、アルドゥハ。今日お前が日直だろ」
眠っていた少年の代わりに号令を行ってくれた、ゲーム仲間にしてクラスメイトのオゾンが、少年の方に身体をひねってどやすように声を掛ける。
——そういえばそうか、自分は学生で、今日は日直。夢の記憶と現実が混濁して、すっかり忘れてしまっていた。
もうひと眠りしたいという欲求を堪え、重たい体を立ち上がらせて、国語の板書でびっしりの黒板の方に向かって歩く。
「——まったく、給食を食べて、一番眠いタイミングに国語、六時間目は社会なんて、もうこれ睡眠魔法だろ。春眠暁を覚えずだ」
「どう考えても深夜までターキーとゲームやってたせいだろ……。春っていうか、もう五月だし」
教卓のすぐ前の席に座るオゾンとは昨日も共に戦場を掛け巡ったが、途中で彼が
——自分達はオンライン対戦の抗いがたい魔力の犠牲者に過ぎず、生活を改める気などさらさらなかった。
「そんな生活してて、またゲーム機没収されても知らんからな」
「ははは……」
黒板を消しながら、アルドゥハは目をそらすようにグラウンドの方を眺める。
一階の教室からの眺めは、それ程良いものでもないが、ゲーム機を風呂に沈められた時のトラウマから気を紛らわすには十分だった。
ゲーム機をもう一度買ってもらう為に二年生の期末テストは本気でやったものだ、普段は平均点のアルドゥハが五教科で400点を叩き出したことで、春休み中にようやくゲーム機を買い直して貰えたのだ。
そんな地獄の日々を思い出しながら外を眺めていると、アルドゥハの目を引く何かがグラウンドの手前の通路に現れていた。
「——なにあれ、犬?」
そこには何匹かの、真っ黒な犬か何かがいた。
しかし誰もそれを騒ぎ立てることもなく、アルドゥハ以外は誰一人として犬の存在に気付いていないようだった。
オゾンがアルドゥハの呟きに反応して、外に目を向ける直前に——犬たちはまるでゲーム内で倒した敵が消えるように、スゥーッと景色に吸い込まれていった。
「……なに寝ぼけてんだ、お前」
オゾンは呆れたようにそう言い放ち、困惑で黒板を消す手を止めているアルドゥハの方に向き直る。
——見間違いだろうか。おかしな夢を見たせいで、脳みそがまだ混乱しているのだろう。
彼は微妙に納得できないまま、怪奇現象か寝ぼけて見た幻覚としか思えない存在を理解するのを諦めて、再び黒板を消し始めた。
腰の曲がりかけたおばあちゃん先生が板書をしながら、穏やかな口調で語る戦争がどうのこうのという話は、毎晩しっかりゲームで予習しているので、アルドゥハは再び眠気に誘われていた。
うつら、うつらと船を漕ぎながら、ノートにミミズを這わせて——
これ以上は眠気を耐えられないと判断したアルドゥハは、大人しく睡魔将軍の降伏勧告を受け入れた。
———————
ゆっくりと夢の世界へと堕ちていき——気が付いた頃には、だだっ広く薄暗い無機質な空間に居ることを知覚する。
そんな場所で誰かが彼の名前を呼ぶ。
『アルドゥハ————』
髪が長くて美しい女の人が、石像のように一切動かないまま、少し距離のあるのところから彼を呼んでいる。
——誰なんだろう、この人は。
先程の夢でも同じ人を見た気がする。
誰よりも大切で守らなくては行けない人なのに——夢の中で、自分の手で消し去ってしまった人。
アルドゥハは思わず彼女の方に歩み寄り、目の前で立ち止まる。
『この祈り、あなたに届けたよ』
優しい声の彼女は、薄暗い空間を照らし出す眩しい光になり、アルドゥハは思わず目を逸らした。
——それでも何故か「見届けなきゃいけない」という強迫観念に駆られた彼は、眩しい中で目を開き、彼女の姿が消えていくのを見る。
わけも分からないまま、ただ堪えていた涙が溢れた。
全ての終わりを見届けているような——あるいは始まりを感じているような、そんな気分になっていた。
そして彼女は散りゆく身体をようやく動かして、腕を大きく広げてアルドゥハに抱き着く。
『私は幸せだったよ。だから————頑張って』
彼女はそんな祝福を残し、光となって消えてしまった。
言いようのない喪失感を感じながら——アルドゥハは腕の中に残った何かを手に取った。
杖だ、最初の夢で彼女に振り下ろした、あの『螺旋の杖』だ。
とはいえ、螺旋の部分はなくなっていて、一つの白色球体が先端についているだけだが。
しかし、黒い金属らしきもので出来ているこの杖は、確かにあの夢で見たものだった。
アルドゥハはその杖を本能的に両手で持ち、高く振りかざす。
すると頭の中で、今度は誰かによる呪詛が響き始める。
『——僕は認めない』
先程までの優しい女性の声とは違い、低い男の声だった。
突き刺す程に尖った呪いの声は、杖を持つアルドゥハを怯えさせる。
唐突に悪夢と化した世界は、その呪詛に形を与え——真っ黒な影は、アルドゥハの背後で実体を獲得した。
『僕は許さない——』
影はアルドゥハから杖を奪い取り、彼に背を向けたままゆっくりと歩いていく。
——いったい、なにを認めず、なにを許さないんだ。
彼が呪いの影に、言葉にならない問いをかけると、影は振り返る。
真っ黒で表情すらよく分からない影の姿は——まるで、10年後の自分の姿のようだった。
アルドゥハが未来の自分の姿をした存在に驚いていると、影は杖を振り上げる。
そして、彼の目を見て話をはじめた。
『——この世界には、魔法が存在する』
影は杖を振って火を飛ばし、アルドゥハの顔の横を通過させる。
夢の中なのに、その『火炎魔法』は頬を焦がす程に熱く、彼は思わず一歩後ずさる。
『宇宙を作った神は万能ではなく、現実を作る為の法則を必要とした。火が起きるのは、現実で条件を満たしたところに火という情報が与えられるからなのだ』
——未来の自分は、あまり頭が良くないらしい。
発火や燃焼という現象の法則くらいは、中学生のアルドゥハですら理解するところだ。
あらゆる現象は『法則』によって発生していて、その法則は種も仕掛けもない杖から火球を打ち出すことを容認するようなものではない。
しかし、影はアルドゥハの『法則』への信頼を打ち砕くように、その
『問題は、その法則が絶対のものではなく、書き換え可能な《プログラム》に過ぎない事だった。例えば火という情報の条件を書き換え『例外的に《今この場所に火を起こす》と』すれば、魔法は発動する』
——法則の書き換えだって?
もしもそんな事が可能なら——なんだって出来る。
先程の火炎魔法だけでも無限のエネルギーの生成が可能になるし、法則を書き換えられるのであれば——そんなケチな話だけではなく、あらゆる困難が魔法で解決する時代が来てしまう。
『だが、そうしてしまえば、その情報には改ざんの痕跡が残り続け、時としてそれは《
——この世界は、そんなゲームのような作りをしているのか。
ゲームの中の
しかも改ざんするのは、個人のデータではなく、
あり得ない、だが、もしもそんなことが可能なら——宇宙は脆すぎるなんてレベルじゃない、誰かの意思で簡単に作り変え、書き換えられてしまえば——
『いずれ世界は《
アルドゥハが出しかけた結論を先取りした影が杖を無機質な空間の地面に突き立てると、突如、空間は現実の学校のように——いや、ここは間違いなく現実の学校だった、目を覚ました感覚もないまま、現実に戻って来たらしい。
いつの間にか椅子に座っており、ただ困惑して周りをキョロキョロと見渡す彼を、オゾンが斜め前の席から見てニヤニヤ笑っている。
——だが教室の壁の向こう、位置的に中庭の方にいるであろう影の声は、目を覚ましたあとのアルドゥハに聞こえて来た。
『この魔法の痕跡を消し去り、情報をあるべき姿に戻し、宇宙規模の『魔法災害』を防ぐ——それが、
——すべての魔法を、この世から消し去れ。
次の更新予定
魔法撲滅委員会 亜有我呼(ああああ) @Alganiste
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