届けたいもの

@monokaki_story

届けたいもの

それは、帰り道の歩道に落ちていた。

犬用のおもちゃだった。ゴム製で、少し色あせていて、噛み跡がいくつも残っている。


普段の私なら、たぶん見なかったことにしたと思う。

落とし物だな、とは思っても、触らずに通り過ぎる。


なのにその日は、なぜか足が止まった。


しゃがんで、おもちゃを手に取る。軽い。

親指で押すと、きゅっと音が鳴った。


「……」


もう一度押す。

理由はない。ただ、少し楽しくて、指先で転がしながら歩き出した。


しばらくして、視界の端に動くものが見えた。


犬だ。


小型で、耳が少し垂れている。

――いや、気のせいだ。そう思って前を向く。


歩く。

また、視界の端に犬がいる。


立ち止まって振り返ると、そこには何もいなかった。

やっぱり気のせいだ、と自分に言い聞かせて、私はおもちゃをいじりながら家まで帰った。


自分の部屋に入って、ドアを閉めたときだった。


ベッドのそばに、犬がいた。


今度は、はっきり見える。

ただし、少し透けている。


驚いたけれど、不思議と怖くはなかった。

その犬は、じっとこちらを見ているだけだったからだ。


頭の中に、声が響いた。


『そのおもちゃを、主のところに届けてほしい』


短い言葉だった。

必死でも、命令でもない。ただ、願い。


犬の表情は、どこか安心したようにも、少し寂しそうにも見えた。


「……わかった」


気づいたら、そう答えていた。


次の日、私は犬と一緒に歩いた。

透けているけれど、隣にいるのがわかる。


しばらく行った先の家で、犬が立ち止まった。

門の前に貼られていた紙に、写真が載っている。


写真の犬は、今、私の隣にいる犬だった。


インターホンを押すのは緊張した。

知らない大人と話すのは、得意じゃない。


それでも、私はチャイムを鳴らした。


出てきた女性に、おもちゃを差し出す。


「これ……落ちてました」


女性は一瞬きょとんとしてから、そのおもちゃを見つめた。

そして、両手で大事そうに受け取った。


「これ、この子のお気に入りで……ずっと探してたんです」


そう言って、胸の前でぎゅっと握る。


その横で、犬が嬉しそうに尻尾を振った。

体が、少しずつ薄くなっていく。


『ありがとう。やっと、届けられた』


それを最後に、犬は夕方の光の中に溶けるように消えた。


帰り道、足元に何か落ちていないか、無意識に目がいった。


何もなかった。

それでも、悪くないと思った。

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