初デートと1枚の写真

そら

本文

 デートという言葉には、男女が前もって時間や場所を打ち合わせて会うこと、という意味があるらしい。

 それなら、これは間違いなくデートと言っていいだろう。


 「やがみ」というペンネームで執筆活動をしている俺、入賀いりが夜守やもりは少し浮かれていた。


 今日は同じWebサイト上で活動している女性作家、遊霊坂ゆれさか響奇ひびきさんとのオフ会当日だ。


 メッセージアプリを開いて駅前に着いたことを伝えておく。

 すると、すぐに返事がきた。


『ごめーん、バスが遅延してて。あと10分か20分か30分で着くと思う!!』


 高速バスを使って二時間半。遅延を考えるとそれ以上。

 決して気軽に来れる距離ではないと思うが、それでも会いに来てくれるのが俺の大ファンを名乗る彼女。


 個人的なやり取りを始めてからまだ一ヶ月も経っていないというのに、俺の心はすっかり彼女に魅了されていた。


 初めは大人しく可憐なイメージすらあったのに、今では高校時代の親友を思わせるような悪ノリさえ見せてくれる。

 心を許してくれているようで、それがとても心地よかった。


『もうすぐ着くよ』


 待ち合わせのためにお互いの写真は交換しているけれど、初めて会うならわかりやすい所がいい。

 駅から出て人のいない花壇を前に立ってバスの到着を待つ。


『着いたよ!』


 そのメッセージを確認して顔を上げると、赤と白のラインのバスが目の前に停まった。

 降りてくる人たちとスマホを交互に確認しながら待つ。


『あれ、どこ……?』

『大きな建物の方に歩いて』

『……どこ?』

『花は見える?』


 そう送ってから一分。

 顔を上げてバスから駅に向かう一本道を見ると、小柄な女性がスマホを両手で支えながらキョロキョロと辺りを見回していた。

 クリーム色のTシャツと揃いの色で指穴つきのアームカバー。斜めがけされた大きめのショルダーバッグ。

 薄青色のデニム生地のショートパンツを履いて、むちっと柔らかそうな脚を惜しげも無く晒している。

 そんな彼女がこちらに気付いてスマホを持った手を振ってきた。


 やっぱりこれ、デートだよな?


「あはは、メガネ忘れたから見えなかったぁ」


 照れくさそうにそう笑う彼女のそれが言い訳だなんてことはどうでもいい。

 薄くではあるがしっかりとメイクをしているためもあるのだろうか、写真で見たよりも実物の方が何倍も可愛い。

 そして、エロい。

 あのショートパンツが食いこんだ脚なんか最高にエロい。


「とりあえず駅ビルでも見てみる?」

「見る見るー。迷子になっちゃいそー」

「俺がいるから大丈夫だよ」


 この日のためにきちんと下調べは済ませたのだ。

 先導して歩くと、視界の端で時折小走りになりながら追いかけてくるのが愛らしい。


 それから、デパートで色んな小物や服を見て「高っ!?」と声を揃えてみたり。

 某ハンバーガーチェーン店で現役高校生よりも高校生してみたりと、楽しい時間を過ごした。


 読書が趣味の彼女のために何件か本屋を巡って、彼女が腰が砕けたんじゃないかというほど、甘い声を上げて手に取った一冊の本はプレゼントすることにした。


「そういえばかれこ……」


 キッと睨みつけられて口を噤む。遊霊坂さんの本名は彼此かれこれ響花きょうかという。

 これもオフ会以前に聞いていた情報だ。

 顔を合わせたら緊張してしまって、彼女がその呼ばれ方を嫌っているのだと失念していた。


 彼女曰く。


『だって彼此だよ? あのことこのことじゃないんだよ、どのこと? 苗字くらい定まっててよって思わない?』


 その言葉を聞いて、俺はセンスがあるなあと思ってほっこりしたものだ。


「苗字で呼ぼうとしたから罰金100万。カフェオレを奢りたまえ」

「小岩のやつ?」

「うん」


 るんるん、と音符でも飛びそうな声を上げながら頷いてから、彼女はある一点を見つめた。


「どうかした?」


 彼女の見つめる先を見ても、彼女が興味を持ちそうなものは何も見えない。


「んーん、なんでもない。そろそろカラオケ行く?」

「うん、行こうか」


 と、ここで手を握って歩きたい欲を抑え込む。


 普段のやり取りから、明らかに彼女は俺に好意を寄せている。

 これは間違いない。

 彼女いない歴=年齢の俺にだってわかるくらい、彼女はアピールしてくるからだ。


 とはいえ告白をしたわけでもないし、されたわけでもない。

 付き合ってもいないのに手を繋ぐのはどうかと思い、彼女がきちんとついてきているかを確認しながら数歩先を歩くようにした。


 そして、カラオケで何曲か歌った後、ついに彼女はアクションを起こした。


 マイクを持ったままの彼女が、俺の手を握って自分の口元に寄せていく。

 手の甲に柔らかく温かいものが触れ、そのまま熱は離れていった。


 い ま の は ?


 涼しい顔でBメロを歌い出した彼女に問いかけるわけにもいかず、悶々としたまま過ごすことになった。


「タバコ吸ってくるー」


 一日に一箱以上吸うこともあるという彼女はすぐに我慢できなくなったのか、喫煙所へと向かった。


 彼女の背を見送ったあと、ドアの向こうに人の姿がないことを確認して、手の甲に口付ける。

 今まではっきりとした答えは避けてきたが、これが答えなんだと確信した瞬間だった。


「楽しかったねー」


 カラオケが終わると、いよいよ今回のオフ会のメインイベントである夏祭りの会場に向かうことにした。


 それまでちょこちょこと小走りになりながらも着いてきた彼女が、ふと足を止める。

 俯きがちで少し顔色が悪い。


「大丈夫?」

「ちょっと……人酔い……」


 ふらふらと体が安定しなくなった。


「掴まってていいよ」


 そう言って手を差し出すと、彼女は俺の腕を胸に抱き込むようにして掴まってよろよろと歩き出した。

 触れたことがないからイマイチ確信は持てないけれど、これは恐らく胸が当たっている。

 思っていたよりもずっと柔らかい体つきに、思わず顔が熱くなった。


「人酔いするなら、あれか。穴場があるからそこに行こう。たぶんそこからもパレードは見れるはず」


 頭の中に入っている地図を少しずらして人の少ない高台を思い浮かべる。


「……なんなら、見れなくても」


 元も子もないことを言い出す程度には参っているらしい。


「ここから少し歩くけど大丈夫?」

「とにかく人から離れたい」

「ん、わかった。こっち」


 くっと腕を引くとぴったりとくっついている彼女は抵抗なくこちらに寄ってくる。

 出来る限り人の少ないルートを探しながら目的地にたどり着く。


「うん、ここも通りそうだ」

「まあ、通らないとしたらあの人集りは何って話だもんね。何のバーゲンセールやってんのかって」

「ぶはっ」


 余裕が出てきたのかそんな冗談を言って、彼女は人集りを指さした。

 あまり人は来ないだろうと予想していたものの、それにしても驚く程に人がいない。


「これ、なんだろ」


 そう言った彼女がつま先で示したのは、雨に濡れて丸まっている一枚の紙。

 拾い上げた彼女はそれを開いて、そして弾かれたように手を離した。


「……あれ、なんだろ今の」


 吸い込まれるように地面に落ちていった写真には、叫ぶ男のような模様が見える。

 霊だとかそういうものを見たことはないけれど、そう表現するのがぴったり合うような写真だった。


「これ、手だな……繋いでるのか掴んでいるのか……」


 もう一度拾い上げた彼女は冷静に写真を見つめている。

 霊視鑑定の真似事もしているという響奇は俺に見えない何かが見えているのかもしれない。


「うわっ」


 そして、また弾かれたように手を離す。


「嫌な感じはしないんだけどなぁ」

「……響奇、ちょっとこっちに来てくれない?」

「ん?」

「こっちから見るとさ。顔みたいなのが見えない?」


 もしかして、と思って彼女を手招く。


「あー、ほんとだー、すごいねー」


 彼女はぱちぱちと手を鳴らしながらのんびりと感嘆の声を上げた。

 能天気にも程がある。

 俺は今すぐにでもこの場所を離れなくてはいけないかと思っているのに。


「あ、黒猫!!」

「ちょっ!!」


 彼女は腰の辺りまでしかない木の柵に身を乗り出したのだ。

 指で示す先には確かに黒猫がいる。


「びっくりした……危ないからやめて……」

「あはは、ごめんごめん。ところであの建物って何?」


 好奇心が旺盛というか、彼女は公衆トイレを指差した。


「トイレだよ。そういえばここのトイレではないけど出るって噂があるところが……」

「え、ここじゃなくて?」


 たったそれだけの疑問に、思わず背筋が冷えた。

 ここじゃなくて? ということは、ここにも何かがいるのが、彼女には見えているんじゃないか。


「うん、ここではないかな」

「ふーん、そっか」


 あまりにも人の気配を感じない空間が妙なものにも思えたが、あまり気にしていても仕方が無いので、響奇が回復すると同時にそっと離れることにした。


 彼女とはそれから、何日もに渡って一枚の写真のことについて色々と話す機会があった。


「もしかしたらさ。ストーカーが撮った写真で、映っていた顔はそのストーカーの強い念みたいなものだったのかもねえ」


 爪を整えているのか、しゃっしゃっと音を響かせながら、のんびりと彼女はそんなことを言っていた。


「わたしが柵に身を乗り出したのも、写真の彼女に導かれて、とか」


 ふ、と息を吐いた彼女は小さく欠伸をした。


「まあ、なんにせよ害があるものじゃないよ。でなければ、のに何もないことに説明がつかない」


 ごくりと唾を飲む音がやけに響く。

 彼女が一枚の写真を送信してきた。

 カラオケの途中で撮った、ツーショット写真だ。

 俺の肩に手を回して微笑む響奇と、少し緊張しているせいか強ばった顔の俺。




 そして。




──だってほら、映ってるでしょ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初デートと1枚の写真 そら @Iolove0805

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画