1.刹那の森の白い悪魔

 ……これは遠い過去の話。

 誰にも触れることも変えることもできぬ、終わってしまった物語。

 

 古くから、刹那の森には『白い悪魔』が棲んでいると言われている。

 白い髪に赤い目。そして、光に透けるような白い肌。同じ姿、同じ顔、同じ性格を持つ僕らを見ては、皆一様に『悪魔』と呼ぶんだ。

 森の外の人間――暗い色の髪と肌色を持ち、多様な姿を持つ彼らから見れば、僕たちは異様に映るらしい。

 理不尽な噂だとは思いつつ、そのせいもあってなのか刹那の森はずっと平和だった。白い色と皆同じ姿を持つ以外には、目立った特殊能力なんて僕たちは持っていない。だから、下手に村へと踏み入られるよりは、静かに暮らせるほうがいい。それが村に住む同胞たちの見解だったし、僕もずっと何一つ疑うことなく過ごしてきた。

 ――あの、白い雪が降り積もった日の、月がひときわ強く輝いていた夜までは。

 

 その日は夜半まで激しく雪が降り続いていた。

 寒い夜に暖炉の前に座って、皆と他愛のない話をする。村の仲間たちは生まれてからずっと見知った顔ばかりで、そのせいか、いつも話題は似たり寄ったりだった。それを退屈だと思うことがたまにあっても、僕たちの世界は僕たちの一族だけで完結していたから、特に疑問を持つこともなかった。

「吹雪の音が静かになったね。きっと外は積もっているだろうなぁ」

 誰かが言った。呟かれた声に反応して、また誰かが言葉を返す。ぽつり、ぽつりと。雪が降り積もるような、些細なやり取り。

 そんな中で、僕は窓の向こうに小さな音を聞いた。高いような、少し掠れたような……聞きなれない音。最初は風の音かと思ったけれど、何かが違う。まるで小さな獣が鳴くような……そんな、生き物の声に似ていた。

「ちょっと出てくるよ」

「またきみ、勝手に……相変わらずおかしなやつだなぁ」

 僕の行動に仲間たちが顔をしかめる。皆と違う行動をとろうとすると、いつもこういう顔をされてしまうんだ。だからなるべく咎められないように気を付けているんだけど、今回ばかりはどうしても音が気にかかった。僕は防寒具を体に巻き付けると、家の扉を開けた。途端、冷たい風が吹き込んできて、僕は思わず身をすくませる。

 やっぱり外になんか出るものじゃないなぁ。後悔して扉を閉めようとしたら、今度こそ『声』がはっきりと聞こえた。

 ……ないている。風に紛れるほど細く、何かが。いや……誰かが、だ。

 気づけば僕は、雪の上を駆けだしていた。何かに導かれるように、冷たい白の世界を踏みしめ進む。月の光が雪を照らし、きらきらと光る。防寒着を着ていても風は冷たく、呼吸をするたび喉の奥が凍った。引きつれるような痛みに顔をしかめ、それでも声の主を探して雪原を走る。

 しばらくして、村の守り神でもある巨木の下、大きく空いたの中から声がすることに気づいた。慎重に足を進め、そっとうろの中を覗き込む。すると――。

 最初に、白い包みが見えた。僕の両腕に収まってしまいそうなほど小さな、何かの生き物が包まれている。恐る恐る近づくと、足音に反応して鳴き声を上げる。何の生き物だろう……? びくびくしながら包みを取り上げると、ひどく温かい。

「え……うそでしょ」

 中を確認して、ぎょっとそれを投げてしまいそうになった。そうしなかったのはちょっとした奇跡かもしれない。どっちにしろ驚いたことは確かで、僕は自分の見たものが本当であることをどうしても信じられずにいた。

 包みの中にいたのは、小さなだった。すべてが小さくて、ふわふわして温かい。僕たちとは違う生き物みたいに見えるけど、これは間違いなく人間だった。薄く生えた髪の毛が黒い色をしていても、これを人ではないと思えるほど無知ではなかった。

「なんでこんなところに……いや、そもそも」

 疑問が頭を駆け巡る。だけど、思考を遮るように、腕の中で泣き声が上がる。僕は何度も迷って、地面に置いて背を向けようとした。しかし、逃げ出そうとした僕の裾を小さな手が掴むに至って、ついに観念した。

 ええい、面倒が起こったとしても知ったことか! 僕は半分投げやりになりながら、防寒具を小さな人に巻き付けると、急ぎ足で仲間のところへ駆け戻った。

 

 ――これが『白い悪魔』と呼ばれる一族である僕の、最初の分岐点。

 これを選ばなければ、僕たちはずっと変わらずに平和なままでいられたはずだった。

 

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