鯨の骨を贈り合う民族

長谷川リュネ久臣

鯨の骨を贈り合う民族

 古代生物についての講義を取っていた。


 太古、クジラは陸を四足で歩んだ。

 鼻面の長い犬のように、アンニュイであった。


 しかし今、後ろ脚は、表舞台を降りている。


 ただ骨格上は、腹の下あたりに、骨だけがぽつんと残っている。



 海をゆくクジラは、腹に、かつての陸の思い出を連れているのだ。


 きみの鯨の足になりたい。


「こういう告白があり得るんじゃないかと、閃いたんだけど、どう思う?」


「つまり、最大の愛の告白として、鯨の骨を贈り合う民族があってもおかしくないということだね?」


 驚くべき、友人の理解力をみたまえ。彼は脳みそが働きすぎている。


「つまり、鯨の骨が過去の思い出を象徴しているんだよ。

 私との、かつての記憶を、これから先もずっと連れて行ってください……」


「ウーン、愛の告白にしては重くないか? もはや親子愛の域だ。安全基地としての陸、内的作業モデルとしての足の骨ということになる」


「精神分析家になれ、おまえは! 

 言いたいのはそこじゃない。親子愛に匹敵する激重愛が、いいんだ」


 友は、さいですか、グフフ、と言って肩をすくめた。


 我々のメンタルレキシコンは、インターネットの語彙か、最近覚えた専門用語のユーモアで構成されている。ニッチでジメジメした単語で会話している時だけしか、最近は、笑えない。


「鯨の足の骨をもらったら、どうしようね」


「ふたりの家の暖炉の上の方に、提げるんじゃない?」


 ねぇ、あなた。覚えてる?

 白くてまるい、鯨の足の骨。

 私たちの鯨の骨は、あんなに煤けてしまった。

 あなたの骨を、海に蒔いたの。

 私の骨もいつか、波間にゆきます。

 そうして大きな海で、いつか巡り合ったら、聞こえるのでしょう。


 鯨の歌は、遠い昔の、あたたかい土の歌。

 私たちのあたたかい愛の歌……。


「脳みそが働きすぎると、こうやって時々どこかに行ってしまうんだよ」


「人が、すごい! つかまれ、溺れるぞ!」


 トリップしているうちに、学食の前まで来ていた。

 昼時、膨大な人間がひしめき合っている。

 人の大波、柔軟剤と生乾きのかおり。

 しんどい、退散だ。


 私たちは、学食を諦め、陸(閑古鳥のなく個人経営のコンビニ)に上がらざるを得なくなった。


 太古、海にいた生物は陸へ上がり、その後でクジラは海に戻った。

 おお、つまり私たちは、今まさに陸に上がった、進化中の存在じゃないか!


 そんな私たちの民族では、鯨の骨でなにを象徴するのだろうか。

 友人が肩越しに振り返った。


「脳内辞書」


 脳みその働きすぎる友人よ。思考の海へ行く私の、鯨の足に……なんてね。


「…………グフフ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鯨の骨を贈り合う民族 長谷川リュネ久臣 @fuwafuwa_kani

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画