魔法少女◆トロポミオン
中田甲人
魔法少女◆トロポミオン
悪魔界――
捻じ曲げられた角のような岩が、ひび割れた地面からいくつも突き出し、
その表面には、禍々しいレリーフが刻み込まれている。
紫の空に浮かぶ黒い雲の連なりが、湿った風によって遠く彼方へ運ばれていく。
その様子は、見る者に陰鬱な葬列を想起させた。
昏い空を覆い尽くさんばかりに、
異形のシルエットが、ゆっくりと浮かび上がった。
「計画の進捗はどうだ」
巨大な影が、目前に拝跪している男に、重々しく問いかける。
「……は。すべては予定通りに」
幾度聞いても慣れぬ、底冷えするその声に、
背部の殻を冷たくしながら、跪く男は答えた。
「失敗は許されぬ。ゆめゆめ忘れるな」
「……御意。この身にかけましても、御身のため、必ずや使命を果たします」
◆
――七時十五分。
セットしたアラームと音声着信が、同時にスマホを鳴動させる。
「……」
めっきり冷え込んできた十一月。
冷たい外気が入らないよう、掛け布団から手だけを器用に伸ばす。
サイドボードに置いたスマホを、充電ケーブルごとベッドの中に引っ張り込み、応答ボタンを押した。
「……もしもし」
「おはよう! 起きた? 今日もいい朝だねぇ」
「……そだね……ふぁあ……」
油断すると落ちかけるまぶたを擦りながら、仕事用スマホのディスプレイを見る。
子犬と宝石と毛玉のハーフのような、見慣れたアバターが、
通話相手の声量を変数に、作り込まれたリアクションを取っている。
いつ見ても無駄にファンシーだ。
「悪魔を祓うには、悪くない天気だよぅ。な・の・で。
今日は忘れずにアレを持っていってね」
「え。ってことは、裏が取れたってことでいいの?」
「うん。九九パーで黒確かな。
とは言え、上に対しては現場を押さえてからって形が、
一番後腐れはないだろうけどねぇ」
「なるほど。了解」
布団の中で、うーん、と伸びをする。
今日でこの仕事も、やっと一区切りか。
短い間だったけど、居心地は悪くない街だったな。
「じゃ、また後で。リュリュ」
布団の暖かさと、ほんの少しの名残惜しさを振り払い、相棒に挨拶する。
ベッドを降りた。
「うん。いってらっしゃい。気をつけてね、あきら」
◆
向文館女子中学校二年一組教室。
地元では、お嬢様学校という評判でブイブイいわしているが、
昼休みの時間は、みんな年相応にかしましい。
机をくっつけ、それぞれのグループごとに、お喋りに花を咲かせている。
その中で、気になる話題が、ふと耳に入った。
わたしは友だちとの会話に相槌だけを打ちながら、そちらに聞き耳を立てる。
「だってさぁ、ウチのクラスだけでも、もう五人目でしょ」
「そうそう。今日で、さくちんも来なくなったから、
みーぴょん、がねちゃん、いわっち、あと、とーこ」
「先生が、学級閉鎖が近いかもって話してたんだってさ」
「でも、コロナとかインフルエンザじゃないらしいよ。
これ、ママンネットワークの情報ね」
「……えー、こわ。なんなんだろ」
不安げな、一瞬の沈黙。
「……まぁ、次の授業でさ、
高遠先生の建国顔を見て、癒やされとこうよ」
「えー、どっちかって言うと、亡国じゃない?」
きゃいの、きゃいの。
昼休みの終わりを、ウェストミンスターチャイムが告げる。
みんなが元の位置に机をガタガタと動かしていると、
社会科の授業を受け持つ教育実習生――高遠航一郎が、教室に入ってくる。
「はい。皆さん、席についてくださいね。
授業を始めますよー」
教室に響く、爽やか寄りのイケボ。
改めて見ると、丸眼鏡の似合う整った顔立ちを、
なるほど、していないでもない。
クラスメートの意見に、いまさらながら納得してしまった。
人間形態では、って話なんだけど。
◆
「鈴井さん、申し訳ないけど、
ゴミ箱を運ぶの、手伝ってもらえるかな?」
放課後の掃除が終わったタイミングで声をかけると、
獲物はあっさりついてきた。
――ふっ。精気を奪われるとも知らず……暢気なものだ。
前と同じく、グラウンドの隅のゴミ捨て場まで同行させる。
教室棟から死角となったこの場所。
“元の姿に戻り”、後ろから、ゆっくりと獲物の首に手を伸ばす――
「はい。そこまで」
突然の声に、慌てて振り返る。
夕日を背に、二年一組の本城あきらが立っていた。
教会所属を示す十字架のチャームがついたスマホのカメラを、
こちらに向けて。
◆
鈴井さんは高遠の姿を見るなり、
「ぴゃー、あくまー」と悲鳴を上げて逃げ去った。
高遠が、口惜しそうにこちらを睨みつける。
「貴様……教会の人間だったとはな」
「ええ。実はそうだったんです。
あれ、高遠先生。
ちょっと目を離した隙に、さらにイケメンになりました?
ただ、こっちの方向性はニッチっていうか、
もはやマニア寄りかも」
ブルーオーシャン戦略でしょうか。甲殻類だけに。
動画撮影済みの仕事用スマホを振り、
手を口に当てて、ふふふと笑う。
当然オンラインなので、動画は教会本部のサーバーにアップ済みだ。
エビとかカニの化け物めいた異形を、
にやにやと、無遠慮に眺め回してやる。
「ふん。たかが人間風情に、
この姿の美しさが理解できるはずもあるまい。
それに、教会ごときに身バレしたところで、
わたしがやることは変わらん。
貴様をここで殺し、姿を変えて、同じことをするだけだ」
「あー、はいはい。もう、いいから、そういうの。
……じゃあ、行くよ!」
わたしは、通学用のスポーツバッグに入れた“アレ”を、
強く掴んだ。
◆
「――変身ッ!!」
裂帛の気合が、桃色の極光となり、
地面から空へと吹き上がる。
その光は、上空で展開し、花のようなヴェールとなって、
いつの間にか浮かび上がった、わたしの身体を柔らかく包み込んだ。
暖かさと力強さに、うっとりと目を閉じる。
四肢が帯となった煌めきに覆われ、
それが“魔法少女”の装衣へと置き換わっていく。
リボンで装飾された浅葱色のロングブーツ。
新雪を縫い合わせたような、純白のショートパンツ。
ロゼンジカットされた大きなルビーがあしらわれたビスチェ。
優美な金糸の意匠が凝らされたグローブ。
そして、白金のティアラ――
天使の羽のようなパーティクルと共に地面に降り立ち、
ゆっくりと、まぶたを開く。
わたしは誇りを込め、自らの真名を名乗り上げた。
「魔法少女◆トロポミオン!
――さぁ、おいで。遊んであげる!」
◆
本格的な冬の始まりを告げる、冷たい十一月の風が、
二人の間を吹き抜けていった。
間とはつまり、わたし――本城あきらと、
“がっつりポーズを決め、魔法少女っぽい布で覆われた、
エビの化け物”との間である。
スポーツバッグで持ち込んでいたアレ――
九ミリ・パラベラムのサブマシンガン――の
アイアンサイトを覗き込み、
趣味の悪い化け物の胸部に狙いを付けた。
親指でセレクターをSAFEからAUTOに。
トリガーガードに置いていた人差し指を、
引き金にかけ、冷静にプル。
耳に馴染んだ射撃音が続いた。
「――ぐ、ぐわぁぁあああぁぁぁあああああ……」
謎にポーズを取ったまま動かなかった高遠が、
断末魔を上げる。
(冷静に考えると、
こいつの発声機関って、どうなっているんだろう)
五発程度で区切ったバーストを、三度。
愛銃から、カチ、と空打ちの感触が伝わる。
高遠は、緑の体液を景気よく吹き散らしながら、
仰向けに倒れた。
近づきながら空マグを落とし、予備を挿入。
チャージングハンドルを引き、
スラップで解放。初弾装填を確認する。
SAFEに戻していたセレクターを、再びAUTOへ。
今度は頭部に照準を合わせ、
そのまま弾が空になるまで、撃ち切った。
◆
この世界の悪魔は、ちゃんと頭が悪かった。
対人用の銃で、しっかり死ぬくらいには弱かった。
こいつの親玉も知能は低く、
なんとなくの雰囲気で、
意味もわからないまま、
それっぽく部下に指示を出している。
それは、諜報の結果、判明した事実であり、
教会内の共通認識だった。
◆
検体回収班への連絡が終わったタイミングで、
リュリュ――
(バツイチのアフリカ系フランス人男性・44歳)が、
スマホ越しに、思い出したかのように尋ねてきた。
「そういえば、なんで高遠の変身中に攻撃しなかったの?
隙だらけだったのに」
「え。さすがに、それはダメでしょ。
だって、マナーだし」
この街での仕事は、これで終わり。
部屋に帰って、荷物をまとめることにしよう。
魔法少女◆トロポミオン 中田甲人 @nakata_kouto
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