魔法少女◆トロポミオン

中田甲人

魔法少女◆トロポミオン

悪魔界――

捻じ曲げられた角のような岩が、ひび割れた地面からいくつも突き出し、

その表面には、禍々しいレリーフが刻み込まれている。

紫の空に浮かぶ黒い雲の連なりが、湿った風によって遠く彼方へ運ばれていく。

その様子は、見る者に陰鬱な葬列を想起させた。


昏い空を覆い尽くさんばかりに、

異形のシルエットが、ゆっくりと浮かび上がった。


「計画の進捗はどうだ」

巨大な影が、目前に拝跪している男に、重々しく問いかける。


「……は。すべては予定通りに」

幾度聞いても慣れぬ、底冷えするその声に、

背部の殻を冷たくしながら、跪く男は答えた。


「失敗は許されぬ。ゆめゆめ忘れるな」

「……御意。この身にかけましても、御身のため、必ずや使命を果たします」



――七時十五分。

セットしたアラームと音声着信が、同時にスマホを鳴動させる。


「……」


めっきり冷え込んできた十一月。

冷たい外気が入らないよう、掛け布団から手だけを器用に伸ばす。

サイドボードに置いたスマホを、充電ケーブルごとベッドの中に引っ張り込み、応答ボタンを押した。


「……もしもし」

「おはよう! 起きた? 今日もいい朝だねぇ」

「……そだね……ふぁあ……」


油断すると落ちかけるまぶたを擦りながら、仕事用スマホのディスプレイを見る。


子犬と宝石と毛玉のハーフのような、見慣れたアバターが、

通話相手の声量を変数に、作り込まれたリアクションを取っている。

いつ見ても無駄にファンシーだ。


「悪魔を祓うには、悪くない天気だよぅ。な・の・で。

 今日は忘れずにアレを持っていってね」

「え。ってことは、裏が取れたってことでいいの?」

「うん。九九パーで黒確かな。

 とは言え、上に対しては現場を押さえてからって形が、

 一番後腐れはないだろうけどねぇ」

「なるほど。了解」


布団の中で、うーん、と伸びをする。

今日でこの仕事も、やっと一区切りか。

短い間だったけど、居心地は悪くない街だったな。


「じゃ、また後で。リュリュ」


布団の暖かさと、ほんの少しの名残惜しさを振り払い、相棒に挨拶する。

ベッドを降りた。


「うん。いってらっしゃい。気をつけてね、あきら」



向文館女子中学校二年一組教室。

地元では、お嬢様学校という評判でブイブイいわしているが、

昼休みの時間は、みんな年相応にかしましい。

机をくっつけ、それぞれのグループごとに、お喋りに花を咲かせている。


その中で、気になる話題が、ふと耳に入った。

わたしは友だちとの会話に相槌だけを打ちながら、そちらに聞き耳を立てる。


「だってさぁ、ウチのクラスだけでも、もう五人目でしょ」

「そうそう。今日で、さくちんも来なくなったから、

 みーぴょん、がねちゃん、いわっち、あと、とーこ」

「先生が、学級閉鎖が近いかもって話してたんだってさ」

「でも、コロナとかインフルエンザじゃないらしいよ。

 これ、ママンネットワークの情報ね」

「……えー、こわ。なんなんだろ」


不安げな、一瞬の沈黙。


「……まぁ、次の授業でさ、

 高遠先生の建国顔を見て、癒やされとこうよ」

「えー、どっちかって言うと、亡国じゃない?」

きゃいの、きゃいの。


昼休みの終わりを、ウェストミンスターチャイムが告げる。

みんなが元の位置に机をガタガタと動かしていると、

社会科の授業を受け持つ教育実習生――高遠航一郎が、教室に入ってくる。


「はい。皆さん、席についてくださいね。

 授業を始めますよー」


教室に響く、爽やか寄りのイケボ。

改めて見ると、丸眼鏡の似合う整った顔立ちを、

なるほど、していないでもない。

クラスメートの意見に、いまさらながら納得してしまった。


人間形態では、って話なんだけど。



「鈴井さん、申し訳ないけど、

 ゴミ箱を運ぶの、手伝ってもらえるかな?」


放課後の掃除が終わったタイミングで声をかけると、

獲物はあっさりついてきた。


――ふっ。精気を奪われるとも知らず……暢気なものだ。


前と同じく、グラウンドの隅のゴミ捨て場まで同行させる。

教室棟から死角となったこの場所。

“元の姿に戻り”、後ろから、ゆっくりと獲物の首に手を伸ばす――


「はい。そこまで」


突然の声に、慌てて振り返る。

夕日を背に、二年一組の本城あきらが立っていた。

教会所属を示す十字架のチャームがついたスマホのカメラを、

こちらに向けて。



鈴井さんは高遠の姿を見るなり、

「ぴゃー、あくまー」と悲鳴を上げて逃げ去った。


高遠が、口惜しそうにこちらを睨みつける。


「貴様……教会の人間だったとはな」

「ええ。実はそうだったんです。

 あれ、高遠先生。

 ちょっと目を離した隙に、さらにイケメンになりました?

 ただ、こっちの方向性はニッチっていうか、

 もはやマニア寄りかも」


ブルーオーシャン戦略でしょうか。甲殻類だけに。


動画撮影済みの仕事用スマホを振り、

手を口に当てて、ふふふと笑う。

当然オンラインなので、動画は教会本部のサーバーにアップ済みだ。


エビとかカニの化け物めいた異形を、

にやにやと、無遠慮に眺め回してやる。


「ふん。たかが人間風情に、

 この姿の美しさが理解できるはずもあるまい。

 それに、教会ごときに身バレしたところで、

 わたしがやることは変わらん。

 貴様をここで殺し、姿を変えて、同じことをするだけだ」

「あー、はいはい。もう、いいから、そういうの。

 ……じゃあ、行くよ!」


わたしは、通学用のスポーツバッグに入れた“アレ”を、

強く掴んだ。



「――変身ッ!!」


裂帛の気合が、桃色の極光となり、

地面から空へと吹き上がる。


その光は、上空で展開し、花のようなヴェールとなって、

いつの間にか浮かび上がった、わたしの身体を柔らかく包み込んだ。

暖かさと力強さに、うっとりと目を閉じる。


四肢が帯となった煌めきに覆われ、

それが“魔法少女”の装衣へと置き換わっていく。


リボンで装飾された浅葱色のロングブーツ。

新雪を縫い合わせたような、純白のショートパンツ。

ロゼンジカットされた大きなルビーがあしらわれたビスチェ。

優美な金糸の意匠が凝らされたグローブ。

そして、白金のティアラ――


天使の羽のようなパーティクルと共に地面に降り立ち、

ゆっくりと、まぶたを開く。

わたしは誇りを込め、自らの真名を名乗り上げた。


「魔法少女◆トロポミオン!

 ――さぁ、おいで。遊んであげる!」



本格的な冬の始まりを告げる、冷たい十一月の風が、

二人の間を吹き抜けていった。


間とはつまり、わたし――本城あきらと、

“がっつりポーズを決め、魔法少女っぽい布で覆われた、

 エビの化け物”との間である。


スポーツバッグで持ち込んでいたアレ――

九ミリ・パラベラムのサブマシンガン――の

アイアンサイトを覗き込み、

趣味の悪い化け物の胸部に狙いを付けた。


親指でセレクターをSAFEからAUTOに。

トリガーガードに置いていた人差し指を、

引き金にかけ、冷静にプル。


耳に馴染んだ射撃音が続いた。


「――ぐ、ぐわぁぁあああぁぁぁあああああ……」


謎にポーズを取ったまま動かなかった高遠が、

断末魔を上げる。

(冷静に考えると、

 こいつの発声機関って、どうなっているんだろう)


五発程度で区切ったバーストを、三度。

愛銃から、カチ、と空打ちの感触が伝わる。

高遠は、緑の体液を景気よく吹き散らしながら、

仰向けに倒れた。


近づきながら空マグを落とし、予備を挿入。

チャージングハンドルを引き、

スラップで解放。初弾装填を確認する。


SAFEに戻していたセレクターを、再びAUTOへ。

今度は頭部に照準を合わせ、

そのまま弾が空になるまで、撃ち切った。



この世界の悪魔は、ちゃんと頭が悪かった。

対人用の銃で、しっかり死ぬくらいには弱かった。

こいつの親玉も知能は低く、

なんとなくの雰囲気で、

意味もわからないまま、

それっぽく部下に指示を出している。


それは、諜報の結果、判明した事実であり、

教会内の共通認識だった。



検体回収班への連絡が終わったタイミングで、

リュリュ――

(バツイチのアフリカ系フランス人男性・44歳)が、

スマホ越しに、思い出したかのように尋ねてきた。


「そういえば、なんで高遠の変身中に攻撃しなかったの?

 隙だらけだったのに」


「え。さすがに、それはダメでしょ。

 だって、マナーだし」


この街での仕事は、これで終わり。

部屋に帰って、荷物をまとめることにしよう。

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魔法少女◆トロポミオン 中田甲人 @nakata_kouto

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