おーい

蓮音

証言

 いやね、あんまこういうの話をしてもなかなか信じてもらえないと思うんですがね・・・


 私、少し前に引っ越しをしたんですよ。小さいアパートでしたけどね。それでもよかったんです。それこそ、駅は近いわ、コンビニは近いわ、大家さんも優しいわで大満足とまではいきませんけど、長いこと住み続けたいなぁとそう思えるとこだったんです。


 でも、いつだったかなぁ。ちょっと前に仕事が長引いて、終電で帰ったんですよ。なに、ちょっと取引先でトラブルがありましてね。それの後始末をさせられたんです。


 私、ぎりぎりって言うのが本当に嫌いで、待ち合わせとかも十分前には目的地に着くように家を出るようにしてまして。だからね、これまでの人生で終電を使うなんてこと、なかったんです。乗り遅れてタクシーなんかに乗る羽目になったらそれこそお金もかかりますし、勿体ないでしょう? やることも目的も変わらないのにお金だけはたくさんかかるなんて、本当にもったいない・・・


まあそんなことはいいんです。それでなんでしたっけ。ああそうだそうだ、終電に乗って帰ったんですその日は。でね、いつもは真っすぐ家まで帰るんですけど、なにせそれが金曜日だったもんで。なんとなく近くを散歩してから帰ろうかなーなんて。あるでしょう? そういう日も。


 ええ、それで家までちょっと遠回りをして帰ることにしたんです。思えば、こっちに越してきてから、こんな風に街を歩く機会もなかったなーなんて思ったりしてね。深夜ということもあってか、普段はもっとうるさいんでしょうけど、街の中はシーンと静まり返っていて。それが妙に心地よかったのを憶えてますよ。


 もう何年ぶりになるかもわからない公園を通ってみたりとか、普段なら絶対に通らないような小径に入ってみたりとか。なんだか童心に返ったみたいで、たまには散歩もいいなーなんて。それでついつい疎水の方まで行ってしまったんですよ。ありゃ、これはちょっと遠くにきちまったなぁと思って、十分楽しんだし、もう家に帰ろうと思ったんです。


 その時ですよ。

 どこからともなく、子どもの声で「おーい」って呼ぶ声が聞こえてきたのは。


 最初は聞き間違いかと思ったんですが、どうも違う。その声は一定の間隔で「おーい、おーい」ってずっと繰り返してるみたいなんです。その時にはもう夜中の一時を回ってましたから、良い子は寝ている時間だ。いや子どもどころから大人ですら大半は寝ているか、自分の家にいるような時間帯ですよ。こんな時間に外を出歩いているのは不良か、自分みたいな変わり者くらいでしょうに。


 だのに聞こえてくるんです。おーい、おーいって。後ろから聞こえたと思ったら今度は前から。ビルの方から聞こえたと思ったら今度は森の方からって具合でね。私、あんまり幽霊みたいな非科学的なもンは信じていないんですが、やっぱり人間、心のどこかにそういったものを怖がる感情ってのがあるんでしょうね。暑くもないのに気づいたら額から汗がこぼれてきましてね。


 そんで、柄にもなくちょっと小走りで家まで向かったんです。でもね、走っても走っても、もう疎水なんて見えやしないってくらいのところまで来たってェのに声はついてくる。姿もなにも見えてないんですよ? けどそれが余計に恐ろしくって。


 ただ、この年になると走る機会なんて滅多にないですから、もちろんすぐにばてちゃいましたがね。いよいよまずいなと思いました。交番にでも駆け込もうか、なんて一瞬思いましたけど、大の大人がそんなことに怖がっているのを人様に見せるのは、まあ当然ですが恥ずかしくって。


 結局、とうとう家に着いちゃいましてね。ちょっと遠ざかってはいるみたいですが、声はまだ聞こえてました。家の場所をバレたらそれこそまずいんじゃないかと考えはしたんですが、背に腹は代えられないと言いますか。まあ行くあてもありませんからね。


 思い切って鍵を開けて部屋の中に入ってしまったんです。それで・・・


 

 知ってしまったんですよ。



         〇


 そこまで話し終えると、男はまるで充電が切れてしまったかのようにピタリと動きを止めた。虚ろな目をして、私の胸元をじっと見つめている。


「知ってしまった? なにをですか」

「……」

 最近、こういう輩が多くて困る。せめて普通の会話をさせてもらいたいものだ。


「あのね、黙っていてもわかりませんよ。大貫さん」

「……」


「あなたね、自分がなにをしたのか、わかってるんですか」

 依然、男は口をつぐんだままだ。その態度が俺を余計にイライラさせる。


「私が聞きたいのはホラ話じゃないんですよ。どうしてあなたの部屋に、一か月前に行方不明になった男児の遺体があったんですか」


「・・・フ、フフフフ」

「おい何がおかしいんだ」

 男は顔を引きつらせてニタニタと不気味な笑みを浮かべている。


「刑事さん、世の中には知らない方がいいこともあるんですよ」

「はぁ? お前何を言って、」

 私がその男につかみかかろうと立ち上がった瞬間、


 

 おーい



 小学生くらいの男の子だろうか。

 誰かに呼びかけるような声が窓の外から聞こえてきた。


「ほら言わんこっちゃない」

「誰だ!」

 私はすぐさまブラインドを指で下げて、窓の下を覗いた。

 しかし、そこには誰もいない。


「お前、何か仕込んだのか」

「やだなぁちがいますよぅ」

 妙に間延びした声でその男は答える。ああ気持ち悪い。


「調子乗ってんじゃねえぞ!」

 今度こそ本当に男の胸倉をつかみ上げた。それなのに、こいつは相変わらずヘラヘラと笑い続けている。本当に気味の悪い奴だ。


「刑事さぁん離してくださいよぉ」

「吐けぇ! お前がやったんだろ!」

「フヘヘヘヘ」

 こいつは明らかに異常者だ。なんの罪もない子供を殺しておいて、平然と笑ってやがる。俺がこの手でムショに送ってやらないといけない。


「だいたいな、そのおーいって声が何だってんだ!」

 その言葉に、男は徐々に真顔になっていく。


「刑事さん」

「なんだ」

「ほんとうに、ほんとうに知らない方がいいんです」

 男は急に声のトーンを落としてそう言った。目の焦点があっていない。その変わりように少したじろいでしまう。


「さっきから何を言っているんだお前は!」

「助けてください、刑事さん」

「だから何を言って、」


「おーい」

 男が唐突にそう叫んだ。


「な、なんだよ・・・」

 思わず掴んでいた襟首を放し、後ずさりする。


「おーい、おーい」

「どうしたんだ急に」

 男にはまるでこちらの言葉が聞こえていないようだった。天井を仰ぐようにして、その言葉を連呼し続ける。


「おーい」

「なんなんだよお前!」

 途端、男がぐるりと顔をこちらに向けた。あの嫌らしい笑みを再び顔に浮かべる。


「だから言ってるじゃないですかぁ、知らない方がいいって」

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おーい 蓮音 @Tsukumosan

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