時には昔を思い出して

リリィ有栖川

あの日の通学路を歩いて

 園原みゆきは二か月後には大学を卒業して、立派な社会人になる。


 しかし今の彼女を見ても社会人間近だと気づける人はいないだろう。


 彼女は高校の制服を着ていた。


 背が低く童顔の彼女は、違和感なく制服を着こなして、今海沿いを歩いている。


 ダッフルコートまで着て、完全に冬の女子高校生だ。


 最後の春休みに入って、ふと思い立って、彼女は制服に身を包んだ。


 昔歩いた通学路を、なんとなく、なぞりたくなった。


 歩きながら、ため息を吐く。白く冷たい息が何処かへ漂っていくが、下を向いていたみゆきには、吐息の行き先はわからない。


 そうして歩いて行き着いたのは、思い出の終着点である母校。海に臨む校舎は静かに波音を受けて建っている。


 時刻は平日午後一時。生徒は授業に集中している。


 みゆきは当然の様に校門を通り、生徒用の昇降口に来て自分の使っていた下駄箱を見ると、みゆきよりも三センチは大きい靴が置かれていた。


 自分で持ってきたスリッパに履き替えて、使ってない下駄箱の中に靴を入れると、職員室を目指す。そう思っていたのに足は教室に向かっていて、癖が抜けていないことがおかしくて、みゆきの笑い声が静かな校舎に響く。


 くるりとターンをして職員室に足を向け、きょろきょろと、懐かしい景色を眺める。


 職員室には人の気配があまりなかった。少し緊張をしつつ、みゆきはどうどうと足を踏み入れた。


「失礼しまーす」

「授業中だよって、そ、園原ぁ!?」

「お久しぶりでーす山本先生」


 運良く知っている教師、それも、今日会いにきた人物に会えて、みゆきの緊張が一気にほどける。


 書類に目を落としていた女性教師、山本春香は、ペンを半ば投げ捨てるように机に放りだして、みゆきに近づいて爪先から頭まで一瞥する。


「うわー園原だわ。お前また変なことしてんのか! あっはは! 昔と変わんないじゃん!」


「山本先生は老けましたか?」


「男子生徒からの熱い視線を一心に集めてるあたしになんてこと言うんだ」


「老けても綺麗ですよー先生は。私も魅力ある大人になりたいわー」


「そうだろうそうだろう、日々のケアをしっかりすることがポイントだぞって、そんなことはどうでもいい、今日はどうしたんだそんな恰好で」


「懐古趣味に目覚めまして。ふへへ」

「嘘つけお前過去とか興味ないだろ」


「失礼な。過去を大事に今を生きる女ですよ私はー」


「じゃあ当時ほとんど着なかった制服着て何しに来たんだよ」


「当時着なかったから着てみたくなったんですよ。見てくださいほとんど新品ですよ」


「何度言ってもジャージで来てたもんなお前」


「ジャージの動きやすさヤバくないですか?」


「開き直るなっての。で、ああ、いや、場所変えるか」


 山本はちらりと職員室を見て、目の合った別の教師に困った様な笑みを見せる。


「すいません、ちょっと課外授業してきます」


 そう言うと、山本は上着を着て、みゆきを連れて学校を出た。校門を出て五分もかからず海へとたどり着ける。


 二人は何か話すこともせず、防波堤まで辿り着く。


 海に背を向け防波堤に座った山本は、ポケットから煙草と携帯灰皿を取り出すと、迷いなく火をつけた。


「禁煙区域ですよー」


 みゆきに注意されても、山本は煙を出しながら悪い笑みを浮かべる。


「吸い殻捨てなきゃいいんだよ」

「違うと思いますけどねー」


 山本は煙を楽しむと言うより、補給するように一気に煙草を灰にしていく。


「煙草ってゆっくり吸うものじゃないんですか?」


「話聞く前のスイッチの切り替えだからな。一本分チャージできたらそれでいいんだ」


 そう言って、数回で煙草を灰にした山本は、綺麗に灰と吸い殻を携帯灰皿にしまうと、灰皿を軽く振ってからポケットにしまった。


「ほんで、何があったんだよ」

「んーそうですねー」


 みゆきは山本の横に座ると、地面を見て、近くにあった小石を足でコロコロと転がす。


「何がってわけじゃないんですよー。順風満帆な人生で未来はとても明るいわけです」


「まあ、お前は躓いてもただじゃ起きないタイプだわな」


「そうですよー。転んだ原因は調べますし転ばされたらそいつの足を掴んでそいつも転ばせます」


「懐かしいな。お前のこと何人がトラウマになったんだろうな」


 山本は思い出し笑いで肩を揺らす。


「教師が笑っていい話でもないですけどねー」


 そう言いながら、みゆきも笑って、視線を学校へと向けた。


「そんなお前が何を悩むことがあるんだよ」


「私だって悩みますー」

「何を悩んでんだって」


「なんていうんですかねー。漠然と、未来についてなんですよ」

「未来か」


「このままでいいのかなーって。とりあえず自分的に条件良さそうな会社選んで内定もらいましたけど、まあ選択して決定もらえるように頑張って来たんで当然なんですけど」


「お前友達いる?」

「不思議といるんですよー」

「ならよかった。で?」


「その仕事があってるかとかわからないじゃないですか。もっと自分に向いた職種あったかもなーとか、もっとできたことあったかなーとか」

「ふうん?」


「特に仕事になりそうな好きなこととかないですし、これといって大きな楽しみみたいなのも持ち合わせていないですし、なんか、なんていうか、……あれーって。生きてる意味ってなんだろーって」

「生きてる意味ねぇ」


「そうなんですよー。色々と考えてたら、今までの自分を見つめ直したら何かわかったりするかなーって思って、制服着てみました」


「そこはわかんないけど、まあ悩みはわかった」


 気が付けば、みゆきの視線はまた地面に戻っていた。それに気が付かずに、みゆきは息を吐く。視界が少しだけ、凍った息で白くかすむ。


「あたしが教師を続けてる理由を教えてやろう」


「なった理由ではなく?」


「なったのは成り行き。教員免許とれたからとりあえずで始めたんだよ」


「へー。先生にもそんな時代がねー」


「あったさそりゃあね。まあでも、すぐ辞めるかなーとも思ってたよ」


「二十年も続けてる人の発言とは思えないですねー」


「そうだろう? やってみて気が付いたけど、あたしは人に教えるのが好きなんだよ」


「意外だー」

「自分よりバカを見るのが好きでな」

「腑に落ちたー」


「塾講師とかでもよかったんだけどな。学校はいいぞ。バカの溜まり場だ」


「教師としては最低の発言ですけど大丈夫ですか? というかじゃあ、私なんかは嫌いなんじゃないですか?」


「ははは! お前ほどのバカはなかなか見れないって」


「この成績最優秀卒業生に向かって何を言うか」


「卒業生の答辞蹴っ飛ばしたり持久走の距離わざわざ測って同じ距離走るからいいじゃないですかって海沿い走った女をバカと言わずになんて言うんだ」


「魅力的な子」


「間違いない。そう、バカは魅力的なのさ。あたしはバカになれないから、そういうバカを見るのが楽しくて仕方ないっていうのは、教師を選ばなきゃ気づけなかっただろうな」

「なるほどー?」


「あたしはだから、運が良かったのかもしれない。でもな、結局やってみないとなんもわかんないよ。だから園原も、悩みながら色々試してみたらいいんだ。違うなって思ったら辞めたらいいんだ」


「そんな無責任な感じでいいんですかー?」


「いいんだよ。社会なんて、誰がいなくなっても回んだから」


「そんなもんですかー?」


「そんなもんだよ。今ここであたしが逃げ出しても、新しい教師が補充されるだけだし、お前が今から内定蹴っても会社は少し困るくらいだし、その会社が入った瞬間倒産しても次はたくさんあるよ」


「そんなもんですかねー」

「そんなもんさ」


「じゃあ、焦らなくてもいいんですかねー」


「そうそう。焦らず、あ、いや、いつ始めても遅くないとか、そういうのは信じない方が良いぞ。遅いもんは遅いから。早く何かを見つけられることに越したことはない」


「急に現実的だー」


「そうさ現実だからな。だから、いっっぱい悩んで、いっっぱい行動しろよ、園原。お前なら出来るの知ってるけどな。はっはっは!」


「無責任な言葉だー」


 みゆきは自分が笑顔になっていることに気が付いて、それがおかしく笑い声を漏らす。


 笑い声を合図にしたかのように、授業終了のチャイムが聞こえてきた。


「お。授業が終わったな。どうする? 学校の中見てくか?」


「特に興味ないですねー」

「懐古趣味はどうしたんだよ」

「向いてないから引退です」

「そうかい」


 二人は立ち上げると、校門まで一緒に歩いた。


 途中の自動販売機で山本が温かいミルクティーの缶を買い、みゆきにわたす。


「ありがとうございます」

「また悩んだら来な」

「制服で?」


「いつまで着れるか見物だよ。まあでも、今度は私服で来いよ」


「私の私服がみたいってことですかー?」


「制服だと飲みに行けないだろ」

「先生のおごりですか?」


「初任給で恩師におごってもいいんだぞ」


「それもありですねー」


「ははは! 楽しみにしてるよ。またな!」


「はい、また」


 二人は同時に背を向けて、振り向かずにそれぞれ歩いていく。


 みゆきは懐かしい通学路を歩きながら、買ってもらった飲み物で手を温めてる。


「熱い飲み物は苦手なんだよねー」


 そう言いながら、プルタブ上げると、甘い香りが湯と共に立ち上がる。


 それに誘われるように口をつけて、少し目を見開く。


「おいし」


 笑顔を零して、もう一口。


 吐く息は白いけれど、みゆきには温かいものに見えた。


 その白が見えなくなるまで、見つめて歩いた。



   おわり

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