OutLands編_第6話_砂の上の約束

 数日が過ぎた。


 第八の空は、相変わらず光の帯に縁取られていた。

 ただ、その上を流れる光の点の数は、前より明らかに増えている。


 昼でも、夜でも、ウォッチャーの小さな機体が防衛ラインの上空を巡っていた。

 撃ってくるわけではない。

 ただ、見ている。

 線のこちら側を、隙間なく舐めるように。


「……また増えたな。」


 第八の外れで、サムが空を見上げて呟いた。


「前は、あの光の間をぬって遊べたのに。」


 イリヤも、同じ方向を見た。


 以前なら、あの光と光の間の“影”は、まだ広かった。

 第七で制御塔を落としたあと、一度は減ったようにも見えた。



 だが今、影は細くなっていた。


「線が近づいてきてるみたいだな。」


 カイが言う。


「向こうは“守ってるだけ”のつもりなんだろうけど。」


「こっちから見れば、首輪を締めてきてるようにしか見えねぇよ。」


 サムは肩をすくめた。


「……リオも、あの目に見られてたのかな。」


 イリヤは、胸のあたりがざらつくのを感じながら言った。


「鍋持って、ヤギ追いかけてただけなのに。」


「多分見てなかった。」


 背後から、レイモンドの声がした。


「ちゃんと見えてたら脅威とは思われなかったろう。」


「ちゃんと見えてなかったから“敵だ”って判断されて撃たれたってことか。」


 カイが噛みつくように言った。


「鍋持った子供を、よく見えなかった、だからとりあえず撃ちましたってか?」


「あいつらも身を守るのに必死なんだろう。」


 レイモンドはあっさり言った。

「どっちの味方なんだよ。」

カイは舌打ちした。

「だが、こうして線の上空が騒がしくなってるのを見る限り、

 “子供が一人死んでも、都市の中は何も変わらなかった”ってことだけは確かだ。」


 イリヤは、光の帯から目をそらした。


「……あいつらの中で、リオは、何行くらいなんだろうな。」


 ぽつりと漏れた問いに、誰もすぐには答えなかった。


「“外縁域にて、非識別対象一件排除。影響なし。”」


 カーンの声が、少し離れたところから飛んできた。


 ジャンクを積んだ荷車の上で、古い端末を弄りながら、彼は乾いた笑いを漏らした。


「せいぜい、その程度だろ。

 名前も、年も、鍋の中身も、ログには残らない。」


「……子供を殺しても、何とも思ってないってことか。」


 カイが唇を噛んだ。


「そう決めつけるのは早いかもしれない。」


 ソフィアが、荷車の反対側から顔を出した。


「クラトスの中身に、“悲しい”とか“悪いことした”とかいうフラグがあるかどうかなんて、こっちは確かめようがない。」


「でも、あの光は何も変わらない。」


 イリヤは言った。


「リオが死んでも、第七の十二人が戻ってこなくても。

 こっちで墓を掘っても、泣いても、怒っても。

 向こうから見えた景色は、きっと“いつも通り”なんだ。」


「なら、“いつも通りじゃない”ことを一回くらい見せる必要がある。」


 そう言って、レイモンドはハウリングの方角を顎で示した。


「第七から声がかかった。

 ディスパーサの連中が、人を集めてる。」


「嫌な予感しかしないな。」


 サムが小さくため息をついた。


「どうせまた“でかい石を投げようぜ”って話だろ。」


「話だけは聞く。」


 レイモンドは、イリヤとカイに視線を向けた。


「お前らも来い。

 線の向こうに噛みつくってのが、どういう空気の中で決まるか、見ておいたほうがいい。」


 イリヤは一瞬ためらってから、頷いた。


 リオの墓から、あまり離れたくはなかった。

 だが、あの光の帯を見上げているだけで何かが変わるとも思えなかった。


 ***


 第七の半壊ビルの地下は、前に来たときよりも人の気配が濃かった。


 狭い空間に、十数人の人間が集まっている。

 壁際には武装したディスパーサが何人か立ち、中央には古いテーブルが据えられていた。

テーブルの奥には、黒いローブをまとった男が立っていた。

 アーク・サンクチュアリの高祭司、カリム・ドレイク。ナディムよりもずっと上の立場にいる男だ。


「で、高祭司どの。」


ディスパーサの隊長格の男――ダリルが、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「そっちの“敬虔な連中”も、何人か前線に回してくれると助かるんだがね。

 第七だけで都市相手に歯を立てるのは、そろそろ限界だ。」


 カリムは、指先でテーブルの縁を一度だけ叩いた。


「兵を貸せ、ということか。」


「武装と物資はありがたく受け取ってるさ。」

 隊長は笑うが、その目は笑っていない。

「だが、引き金を引く腕が足りない。あんたらの信徒にも、そろそろ本物の戦場を見せてやってもいい頃合いだろ。」


 カリムは、薄く笑った。


「……聖戦の前に、兵を散らすつもりはない。」


「つまり、貸さないと。」


「お前たちに貸せば、ほとんど戻ってこないだろう。」

 カリムはあっさりと言い切って続けた。

「生きて帰ってこないなら、それは訓練にもならん。あれらは、灰域から何年もかけて集め、口を極めて口説き、教義を叩き込んできた者たちだ。

 聖戦の火を点ける前に、焚きつける薪を減らす愚行は犯さない。」


 ダリルが舌打ちした。


「――都市の壁をかじるのは、お前たちの役目だ。好きにやれ。」


 そう言うと、カリムはローブの裾を払って一歩下がった。


 地下室の入口のほうで、足音がした。遅れて、レイモンドが姿を見せる。


「遅ぇぞ、レイモンド。」


 レイモンドは肩をすくめた。


「用件は何だ。

 制御塔をもう一回ぶっ壊したいって話か?」


「悪くない案だが、今回はもっとでかい。」


 男は地図の上を指で叩いた。


「第八側の防衛ライン。

 ここだ。」


 指先は、第八から少し離れた砂地のあたりを示していた。

 以前、リオが鍋を持って歩いたあたりよりも、少し都市寄りだ。


「第七の制御塔を落としたのは、ここにいる何人かも見ただろ。」


 別のディスパーサが口を挟む。


「巨人の目を一度潰してやった。

 十二人死んで、その映像だけが残った。」


「そして、そのあとどうなった?」


 ダリルが続けた。


「線の上空は、前よりもうるさくなった。

 第七だけじゃない。第八の頭上にも、ウォッチャーがわんさか湧いてきた。」

焚き火の痕が残るドラム缶のそばで、別の男が鼻を鳴らした。


「……それでも、“丘の連中”は動かねぇ。」


 ダリルは、つまらなそうに指先でテーブルを叩いた。


「ウォッチャーが増えようが、外縁に鉄の牙が生えようが、やつらは“その時”が来るまで待つんだとさ。何年もそう言い続けて、結局こっちが先に血を流してる。」


「だったらなおさらだろ。」


「そいつらが夢見てる“最後の聖戦”を待ってたら、第七も第八も、先に飢えちまう。」


「向こうにとっちゃ、“物資の守りを固めました”で終わりだ。」


 サムが吐き捨てるように言った。


「十二人死んでも、リオが撃たれても、あの光の帯は同じ顔してる。」


「そうだ。」


 男は頷いた。


「子供を一人撃ち殺しても、都市は何とも思っちゃいない。

 “外縁域でノイズを一件処理した”だけだ。」


 イリヤの手が、勝手に握りしめられた。


「そんなこと、向こうの中身覗いたわけじゃないだろ。」


 レイモンドが、低く言った。


「クラトスとやらのログの行数も、誰が何を感じてるかも、こっちは知らない。」


「知らねぇよ。」


 ダリルはあっさり言った。


「でも、見りゃ分かるだろ。

 こっちで墓を掘っても、十二人の名前を呼んでも、

 あの光も、ウォッチャーの巡回も、“いつも通り”なんだ。」


 彼は地図を指で弾いた。


「だったら、こっちから“いつも通りじゃない”ことを一回くらいぶつけてやる必要がある。」


「……で、“ぶつける”ってのは具体的に?」


 カーンが口を挟んだ。


「その指で地図を叩いてるだけじゃ、ウォッチャーは落ちねぇぞ。」


「お前のオモチャを借りる。」


 ダリルはカーンを顎で指した。


「リサイクル帯から引っ張ってきた、あのキャタピラ付きの“デカブツ”だ。

 旧世代の戦車シャーシ。中身はスカスカでも、殻だけならまだ動くだろ。」


 ソフィアが眉をひそめた。


「……無人戦車にするつもり?」


「そうだ。」


 ダリルはにやりと笑った。


「中を空にして、エンジンと市販アクチュエータを詰め込む。

 上にはリモートタレットを載せる。

 操縦はお前ら、“ジャンクの魔術師”の仕事だ。」


 カーンは頭をかいた。


「動かすだけならできる。

 ちゃんと走らせる自信は……半分くらいだ。」


「とりあえずでも走れば十分だ。」


 ダリルは言った。


「三両用意する。

 キャタピラの唸りとエンジン熱と、鉄の塊が三つ、線の手前まで突っ込んでいけば──」


「クラトスの目は、そっちに集中する。」


 レイモンドが言葉を継いだ。


「ウォッチャーもセンサーも、“デカブツ三両”を追いかける。

 その間に、別口で仕掛ける気だな。」


「話が早くて助かる。」


 ダリルは、地図の別の箇所を叩いた。


「ノイズを流してる間に、こっちの歩兵が砂丘を抜けて、ライン近くまで詰める。

 義体兵とTFが出てきたところを、できる限り叩く。」


「勝てると思ってるのか。」


 マイクが、壁にもたれたまま口を開いた。


「何人帰ってくるって計算してる。」


「勝つとは言ってない。」


 ダリルは肩をすくめた。


「ただ、“子供を撃ち殺しても何も変わらなかった”って世界に、

 一発ぐらい“変わった”って跡を残したいだけだ。」


 イリヤの胸の奥で、何かがうずいた。


 リオの顔。

 鍋。

 HTLの白い棒。

 砂に染みた汁の匂い。


「……やり返したら、リオが戻ってくるのか。」


 イリヤは、自分でも驚くほど静かな声で言った。


「戻ってこねぇよ。」


 ダリルはあっさり言った。


「十二人だって戻ってこない。

 ただ、“何も感じてない”連中に、

 “感じざるを得ない出来事”をぶつけるだけだ。」


「線の向こうの誰かが、“ログ”じゃなくて“顔”を思い出すような一撃をな。」


 部屋の空気が、重くなった。


 レイモンドが、ゆっくりと息を吐いた。


「……で?」


 彼は問う。


「その“でかい石”を投げるのに、何で俺たちを引っぱり出した。」


「お前らがいないと、石が届かない。」


 ダリルははっきり言った。


「俺たちは殴るのは得意だが、機械の腹の中までは分からねぇ。

 ウォッチャーが嫌がる動きも、クラトスが嫌うノイズの作り方も分からない。」


 彼はカーンとソフィアを順に指さした。


「センサーを騙すのは、そっちの仕事だ。

 それに、負傷者を見られるのは……。」


「俺らしかいない。」


 マイクが言葉を継いだ。


「殺すのはお前らの得意分野でも、

 “まだ死んでない奴”を繋ぎ止めるのは、こっちの役目だ。」


「だったら最初から“こっちの医者”を巻き込むな。」


 サムが毒づいた。


「お前らが吠えたあと、避難テントで何人数えることになるか、計算したか?」


「してねぇよ。」


 ダリルは即答した。


「でもな、何もしねぇで黙ってたら、

 “次のリオ”が出たときも、同じように何も変わらねぇ。」


「それは……。」




 カイの言葉が詰まる。

物資の強奪が生きるうえで必要なのは分かっている。

 ──そもそもお前らが襲うからだろ、とまでは言えなかった。



 彼の頭の中に、リオの顔が浮かんだ。


「都市が子供を殺しても何とも思ってない、って決めつけるのは、

 もしかしたら言いすぎかもしれない。」


 レイモンドがゆっくりと言った。


「けど、外から見えるのは“何も変わらない”って現実だけだ。」


 彼は、地図の上の第八と防衛ラインの間を指でなぞった。


「守るためだか何だか知らないが、

 ウォッチャーの目はじわじわこっちに寄ってきてる。

 これ以上黙ってたら、“ここまで来たら撃たれる”って線が、また一段、家の近くに来る。」


 サムが目を細めた。


「間違えんなよ。」


 レイモンドは、ダリルを睨んだ。


「俺はお前らと同じ“都市と戦争したい連中”じゃない。

 俺が守りてぇのは、第七でも第八でも、ハウリングでも、そこで飯食ってる連中だ。」


「向こうからすれば、全部“外縁ノイズ”だ。」


 ダリルは薄く笑った。


「だからこそ、一回くらい、“ノイズじゃなかった”って思い知らせてやる価値がある。」


 レイモンドは黙り込んだ。


 地下室のどこかで、ジャマーの低い唸りが続いている。


 ソフィアが、静かに口を開いた。


「……条件を出してもいい?」


「条件?」


「共闘するにしても、こっちはこっちで線を引きたい。」


 ソフィアは地図を引き寄せ、ペンで防衛ラインの手前に細い線を引いた。


「ここより内側には踏み込まない。

 ここよりこっちで燃える火は、できるだけ少なくする。」


「逃げ道も要る。」


 カーンが続けた。


「砂丘の陰から無人戦車を走らせる。

 その操縦と制御は俺とソフィアでやる。

 でも、撤退経路と合図は事前に決めておく。

 “戻れない突撃”は、英雄行為じゃなくて、ただの馬鹿だ。」


「前線に出る救護班は最低限。」


 マイクが、指を一本立てた。


「メインの治療ポイントは第八の後方だ。

 負傷したら下がる。

 “その場で死ぬまで戦え”ってやりかたは、うちの診療所の方針じゃない。」


「ずいぶん勝手な条件だな。」


 ダリルが鼻を鳴らした。


「無茶やるのはお前らで、尻拭いだけこっちに押し付けるってか。」


「逆だろ。」


 レイモンドが言った。


「どうせお前らはいつか無茶をやる。

 だったら、こっちが条件を付けておいた方が、まだマシだ。」


 ダリルは一瞬黙ってから、大きく息を吐いた。


「……いいだろう。

 線の内側は踏まねぇ。

 撤退の合図と経路は、お前らに合わせる。

 負傷したら下がるってのも、できる範囲でやってみせる。」


 ダリルはレイモンドを睨み返した。


「ただし、線の向こうに一発ぶち込むって目的は変えねぇ。」


「それは、最初から承知の上だ。」


 レイモンドは頷いた。


「こっちも誤解するな。

 “仕方なく”だ。

 俺たちは、お前らに賭けてるんじゃない。」


 彼は、天井の向こうの光の帯の方向を見上げるように顎を上げた。


「線の向こうの連中に、“子供を撃っても何も変わらない世界じゃない”って教える必要に賭けてる。」




「……で、後は戦えるヤツがどんだけ居るかってところだな…」


 ダリルが伸びをしながら言った。



「第七は兵を出せる。第八も、あの顔ぶれなら動く。あとは――」


「丘の連中だ。」


 レイモンドが短く答えた。



「お前が来る前にもう聞いた。兵は出せないってよ。」


 ダリルはテントの奥を顎でしゃくった。


「いつものとおり、輪には入らず、隅っこで祈ってやがる。」


 テントの一番奥、ランタンの明かりが届きにくい場所に、ローブ姿の人影が三つ並んでいた。


 中央のひとりが立ち上がる。年齢はよく分からない。日に焼けた皮膚に刻まれた皺と、若者のような身のこなしが同居している。


 男はフードを下ろし、レイモンドに向かってわずかに頭を垂れた。


「第七の守人よ。」


「名前で呼んでくれ。」


 レイモンドは椅子に腰をかけたまま、顎を引いた。


「ここは灰域だ。肩書きより顔の方が覚えやすい。」


「ならば、レイモンド。」


 ローブの男は微笑を浮かべた。



「私はアーク・サンクチュアリ、祈りの丘会堂の高祭司、カリムだ。」




 ダリルがわざとらしく肩をすくめる。




「こっちが血と弾を数えてるときに、あんたらは星と預言を数えてたってわけだ。」




「血も星も、同じ空の下に落ちる。」




 カリムは、怒りもせず淡々と言った。


「我らは見ていた。第七の炎も、第八の煙も。」


 レイモンドがテーブルの上の地図を指で叩く。


「第七が襲われたときも、第八が燃えたときも、お前たちは兵を出さなかった。今回もだ。理由は簡単だ、“時が満ちていない”。」


「その通りだ。」

 カリムはうなずいた。


「空には目が絶えず、外縁には鉄の牙が並んでいた。灰域の子らがどれだけ血を流そうと、“箱”そのものには届かぬ戦いだった。」


「だから黙って見ていた、と。」


 ダリルが吐き捨てるように言う。


 ローブの左右に立つ従者が、わずかに身じろぎした。カリムは手を上げて制する。


「怒りは理解できる、ダリル。」


 カリムは彼を真っ直ぐ見た。


「だが、我らの神兵は一度きりしか“全て”を燃やせない。中途半端な戦で削れば、最後に“箱”に届かぬ。」


「さっき聞いたよ。俺たちからすりゃ、第七も第八も“最後”みたいなもんだったがな。」


 ダリルの口調に棘が混じる。


 低い声がテントの中に落ちた。


「都市が自滅するか、お前らの兵隊が満足するまで増えた時までか。」


 レイモンドが言い換える。


「今のままじゃ、とても無理だ。そもそも都市が自滅するってのが夢物語だ。」


 ダリルが鼻で笑う。




「ウォッチャーは毎年増えてる。外縁砲台も見たろ、あんだけ並べてりゃ、灰域のどこから突っ込んでも蜂の巣だ。」




「だからこそ、神兵は出せない。」




 カリムの声は静かだった。




「そんな都合のいい瞬間が、本当に来ると?」


 レイモンドが問う。


「預言は、ただ待つための言葉じゃない。」


 カリムはゆっくりと砂色の瞳を上げた。


「それが来たとき、躊躇なく飛び込めるよう、自らを削るための刃だ。」


 一瞬、テントの中が静まり返った。外から風の音と、遠くの笑い声がかすかに聞こえる。


「……理解はする。」


 レイモンドが椅子から立ち上がる。


「だが、俺は預言じゃなくて“目の前の距離”で動く。」


 彼は都市を示す円と、第七・第八、第九の印を順に指で押さえた。


「ウォッチャーの配置も、外縁砲台の向きも、実際に見てきた。今この灰域に残ってる戦力を全部集めても、まともに殴り合えば粉々にされる。」




「だからお前たちは、頭を切りに行く。」




 カリムが応じた。




「第七の男、レイモンド。お前は“箱”そのものより先に、その殻――都市の支配者たちを折ろうとしている。」


「箱は人が作った道具だ。」




 レイモンドは短く答える。




「道具を握っている手を折れば、少しはましな握り方に変えられるかもしれない。」




「悪魔の角を削っても、悪魔は悪魔のままだ。」




 カリムは首を振った。




「だが――」




 彼はレイモンドに一歩近づいた。




「お前たちが殻を揺らすなら、その“後”に我らが核を撃ち抜くこともできる。」




「ずいぶん都合のいい話だな。」




 ダリルが口を挟む。


「血は、どのみち流れる。」


 カリムはダリルから視線を外さない。




「違うのは、その血が“箱のため”に流れるか、“箱を討つため”に流れるかだ。」




「……好きにしろ。」




 レイモンドは会話を切り上げるように息を吐いた。




ダリルが皮肉げに笑った。




「そのときまで、好きなだけ星でも数えてろ。」




 テントを出ると、夜の冷気が一斉に押し寄せてきた。レイモンドは襟を立て、遠くの都市側の空を見やった。




 まだ、ウォッチャーの光は消えていない。




 そのときは、ただそれだけの事実だった。






 ***


 会合が終わったあと、第七の地下から地上に出ると、風が少し冷たく感じられた。


 イリヤは、息を深く吸い込んだ。


「……行くのか。」


 カイが隣で呟いた。


「レイモンドたち。」


「行く。」


 背後から、サムの声がした。


「俺もだ。」


 サムはライフルのストラップを引き直した。


「どうせ誰かが前に出なきゃ話にならねぇ。

 だったら、第八の顔見知りが前に立ってたほうが、まだマシだろ。」


「だからって、お前まで──。」


 カイが言いかけたところで、レイモンドが口を挟んだ。


「サムは前に出る。

 あいつは前線の空気を知ってるし、避難導線も頭に入ってる。」


 レイモンドは、イリヤとカイに向き直った。


「だが、お前らは来ない。」


「は?」


 カイが一歩踏み出した。


「今の話聞いてただろ。」


 レイモンドは腕を組んだまま言った。


「これは“勝てる戦”じゃない。

 だからこそ、“今はまだ死なせたくない奴”を連れていくわけにはいかない。」


「ふざけるなよ。」


 カイが噛みつく。


「リオを殺されたのに、何もしないでここで見送れってのか?

 “子供を撃っても何とも思ってない”連中に、一発食らわせるって話だろ。」


「そうだ。」


 レイモンドは否定しなかった。


「だからこそ、帰り道と、帰る場所が必要なんだ。」


「……。」


「お前らが全部出ていったら、

 第八で子供の頭数を数える奴がいなくなる。」


 サムが小さく笑った。


「俺は前に出るけどよ。

 避難テントの配置と水場の位置を覚えてるのは、お前らも同じだろ。」


 マイクが、少し離れたところから口を挟んだ。


「それに、お前らには別の仕事がある。」


「別の?」


「負傷者を受け止める側だ。」


 マイクは、いつものぶっきらぼうな調子で言った。


「第八の後方に簡易の治療テントを張る。

 戻ってきた奴らの止血と固定くらい、お前らでもできるようにしておく。」


「……それって。」


「お前らがそこにいるってことは、

 “戻ってくる場所がまだ残ってる”ってことだ。」


 ソフィアが、ジャマーの小型版を肩に担ぎながら言った。


「向こうに噛みつきに行く連中だけが“戦ってる”わけじゃない。

 線のこっちで歯を研ぎ続ける連中も、ちゃんと必要なんだ。」


 カーンも、荷車の上から手を振った。


「戻ってきたら、また変な機械見せてやる。

 そのとき、そこにいなかったら困るだろ。」


 イリヤは、しばらく何も言えなかった。


 悔しさと、怖さと、分かってしまう自分への苛立ちが、混ざり合っていた。


「……じゃあ、約束してくれ。」


 やっとのことで、言葉が出た。


「必ず、戻ってくるって。」


 レイモンドは少しだけ目を細めた。


「約束は、簡単にはできねぇ。」


「じゃあ、誓え。」


 カイが続けた。


「全部じゃなくていい。

 “誰か一人でも多く、生きて戻す”って。」


 レイモンドは、空を一度見上げてから、二人を見た。


「……分かった。」


 短くそう言ってから、彼は右手を差し出した。


「線の向こうに一発噛みついてくる。

 お前らは、線のこっちで歯を研いでろ。」


 イリヤとカイは、その手を握った。


 サムも、横から手を重ねる。


「戻ってきたら、リオの墓の前で、ちゃんと報告してやるよ。」


 イリヤの喉が、少しだけ熱くなった。


 ***


 出撃の朝、砂地に列ができた。


 第七と第八から集まった武装した人影。

 その中には、ディスパーサの荒い顔も、普通のアウトランズの顔も混ざっている。


 砂丘の陰には、即席のオペレーションポイントが設営されていた。

 古い端末と発電機、ジャマーの小箱。

 その前には、キャタピラ付きの無骨な影が三つ並んでいる。


 旧世代の戦車シャーシを引きずり出して、装甲だけ残した無人車両。

 車体上部には、市販品を寄せ集めて作った対人用リモートタレットが増設されている。


「……ようやく“戦車”って呼べるもんが揃ったな。」


 カーンが、油だらけの手で車体を叩いた。


「中身はほとんど空だが、遠目には本物に見えるはずだ。」


「本物以上に厄介だよ。」


 ソフィアが、リモコン端末の配線を確認しながら言った。


「人が乗ってない分、派手に突っ込める。

 クラトスがどう嫌がるか、見るのがちょっと楽しみなくらい。」


 マイクは、背中に小さな救急バッグを背負っていた。

 前線には出るが、突撃隊の一番前ではない。

 少し下がった位置で、倒れた者を引きずり戻す役だ。


 サムは、突撃隊の列の中ほどにいた。

 ライフルを肩にかけ、いつもより少しだけ硬い顔をしている。


「……行ってくる。」


 レイモンドが言った。


「行ってらっしゃい。」


 イリヤは、それしか言えなかった。


「戻ってきたら酒持ってこいよ。」


 サムが軽く笑って言う。


「それでチャラにはならねぇけどさ。

 何も無しよりはマシだ。」


「分かったよ。」


 カイが、半ば本気、半ば冗談で返す。


「高いヤツ用意しとくから、ちゃんと戻ってこい。」


 列が、砂塵の中へと歩き出す。


 無人戦車のエンジンが唸り、キャタピラが砂を噛む。

 少し遅れて、カーンとソフィアの端末にも、機体ステータスのランプが順に灯っていく。


 ウォッチャーが、高い空からその動きを見下ろしている。

 撃ってはこない。

 ただ、見ている。


 この日、砂の上を歩き出した列と、

 キャタピラの唸りを追いかけたウォッチャーの視線が、

 第八と都市の運命をまとめて巻き込むことになるなんて──


 このときのイリヤは、まだ知らなかった。

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