人鳥温泉街の冬支度
高橋志歩
人鳥温泉街の冬支度
12月30日は、厳しい寒さが訪れた日になった。
全宇宙征服連盟日本支部のエーテル所長は、コートを着込みマフラーをきっちり巻いて、人鳥温泉街の中央通りを歩いていた。エーテル所長は異星人で、彼の星系の種族は低温に弱い。だから所長はしっかり防寒をしていたが、真冬の朝はそれでも堪える。白い息を吐きながら、ようやく人鳥土産物屋に到着した。シャッターは開いていたので店の中に入る。店内は暖かく、所長はほっと息をついた。
カウンターの向こうから、店長の海田が立ち上がった。
「こりゃエーテル所長。おはようございます。久しぶりですね」
「ああ、おはよう。月面都市の停電騒ぎのおかげで、色々停滞してな。昨夜ようやく帰ってこられたよ……それで君に少し話があるのだが」
「どうぞどうぞ。まだお客も来ませんからね」
所長は海田が出してくれたパイプ椅子に座り、店頭の据え置きの細長い暖房機から出る温風に手をかざす。
「やはり手袋が必要だな……ん、大福もおはよう。どうした?」
ペンギンの大福が店の奥からテトテトと出て来て、所長の腕を羽でぽすぽす叩くと、嘴でカウンターの上を指す。
所長がそちらを見ると、小さな透明な丸い置き物が、キラキラと輝いている。海田が笑った。
「大福の恋人ペンギンの杏さんから、大福への贈り物のガラス製の
さすがに所長も笑顔になった。
「なるほどそうか。実に美しい品だ。君の恋人は非常にセンスが良いぞ、大福」
大福は褒められたので、一声小さく鳴くと満足してまたテトテトと戻って行った。
エーテル所長は、棚の商品をカウンターに積み上げている海田を見ながら言った。
「私の不在中に、支部に年配の訪問者があった。受付で海田君の知人だと申告して、私が中央首都に出張中と聞くと伝言も残さずさっさと出て行った。君に心当たりはあるかね?」
海田は顔を上げずに返事をした。
「俺の以前の上司ですよ。中央諜報局日本支部の支部長だった人です」
エーテル所長は思い切り不機嫌な顔になった。
「支部長? 諜報局の上級幹部がなぜ面会予約も無く、突然私に会いに来たんだ?」
海田は所長の方を見て、肩をすくめた。
「ただの好奇心でしょう。異星人の所長に興味があったようですから」
「冗談ではない。顔を合わせた程度でも、私は上層部に面倒な接触報告書を提出させられるのだぞ」
「申し訳ないですが、俺にはあの変わり者の行動はどうにも出来ません」
エーテル所長は海田を睨みつけたが、海田は平静だった。
「その変わり者の支部長は、10日間も温泉街を歩き回っていたらしいな」
「休暇を取っての湯治ですよ。彼は頭は切れますが、何といってもかなりの老人ですから。あと元支部長です」
「……爆破後に閉鎖されていた中央諜報局の日本支部が再開される事になり、君が諜報員として復帰するという話を耳にしたが」
海田は眉をひそめた。
「何ですかそれは。噂にしてもありえませんよ」
「すると全くの、根も葉もない話なのだな?」
「俺を用無しと放り出したのは、諜報局の方ですよ。まあ手続き上、退職は俺の意思という形になってますが。日本支部の再開の件も全く知りません」
「ではなぜ、元支部長が君を雲雲温泉館に呼び出したのだ?」
「ああ、そこまでご存知ですか……」
海田はしばらく黙ってから溜息をついた。
「所長だから白状しますがね、俺に元上司として睨みをきかせる為に呼び出したんです。諜報員の世界には、まあ色々ありますからね。無視も出来なかったし、本当に店長をやっているのか散々探られたし。いい迷惑でしたよ」
「そういう用件ならば、わざわざ君に会いに来る必要は無いように思えるが」
「彼は、実際に相手と会う事を重視するんですよ。何せ古参ですから迫力だけはあります」
「……ふむ。なるほど」
エーテル所長は考えを巡らせた。もちろん海田の話も全ては信用出来ないし、信用するつもりも無い。元支部長が変わり者というのは本当のようだが、諜報局が海田を手放さない為に裏で動いても驚きはしない。今はここまでか。
「では、君は今後も変わりないという事を信じて良いのだな」
「勿論ですよ。今は売上と在庫管理と、大福の年末年始のスケジュールを乗り切る事で頭がいっぱいです」
海田のにこやかな笑顔を見て、エーテル所長はとりあえず頷いた。
特製スノードームを購入したエーテル所長を、海田は愛想よく見送った。
彼が海田の復帰の件をどこから知ったのかを追及する必要は今はない。外交官でもあるエーテル所長には、所長だけの様々な情報網がある。だが、所長の元まで届くのが早い。何者かが界隈に、効果的に噂を流しているようだ。今度は海田が所長に話した内容が流れていき、何者かが動くだろう。
海田は別に重要人物ではない。だが諜報の世界では目立つ存在だった。海田が動けば周囲が注視し、ゆるやかに動く程度には。そして海田は、自分の立場をずっと楽しんできた。
何が、誰が、どう出てどう動き、どう接触してくるか……海田はかすかに笑みを浮かべると、ガラスの月球儀に「非売品」の小さな札を貼った。
その日の夕刻。
海田は店番をギュンターに任せ、小型2輪車に荷物を積んで海鳥神社に向かった。明日の大晦日から元旦にかけて神社で開催される宝くじ大会の賞品として、巨大ペンギンぬいぐるみを事務所に預ける。しばらく自治会の人々と雑談をしてから帰路につき寒さに耐えつつ小型2輪車を走らせていた時、暗くなった空に低く浮かぶ三日月がふと視界に入った。道端に小型2輪車を止めて月を眺める。
海田の生まれた月。10歳の時に命以外の全てを失った月。暗黒の空の下に広がる、空気の無い冷え切った世界。
――犬のマッシュが葬られている月。
白い息を吐きながら空に散らばる星々に視線を移し、いつかあの遠い宇宙世界に行ってみるのもいいなと考える。
それから苦笑した。まだ温泉街では忙しい日々が続く。早く帰って大福に夕飯を食べさせないと。それから夜中までギュンターと無駄話をしながら酒を飲もう。海田は再び小型2輪車に乗り、走り去った。
明日は大晦日。人鳥温泉街の1年が終わろうとしている。
人鳥温泉街の冬支度 高橋志歩 @sasacat11
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