第2話:高みの見物と、あたたかい「ざまぁ」

国境の検問所が見えた。

俺は速度を落とさずに、懐から羊皮紙を取り出した。

アレク王子が投げつけてきた、直筆サイン入りの「国外追放命令書」だ。これさえあれば、面倒な出国手続きはすべてパスできる。


「止まれ! 何者だ!」


門番が槍を構えるが、俺は止まらない。

その鼻先に、追放命令書をビシッと突きつける。


「王命による緊急追放だ! 通せぇぇぇ!!」


「なっ、王家の紋章!? よし、通れ!」


門番が慌ててゲートを開ける。

俺は風のようにその横をすり抜けた。

一歩、また一歩。

そしてついに、俺の両足が国境線を越える。


(エリアチェンジ確認……!)


脳内で、マップ名が『アグラン王国』から『ガレリア帝国・辺境』へと切り替わったのがわかった。

これで完全にセーフティゾーンだ。

俺は街道を少し外れ、国境沿いの小高い丘へと駆け上がった。ここなら、アグラン王国の全景が見渡せる。特等席だ。


「はぁ、はぁ……間に合った……」


膝に手をついて荒い息を整える。

携帯食料の干し肉を齧りながら、俺は眼下を見下ろした。


時刻は夕暮れ。

だが、アグラン王国の空だけが、異様な紫色に発光している。

まるで空全体が内出血を起こしたような、禍々しい色だ。


「始まったな。イベントムービー『邪竜の目覚め』だ」


俺がつぶやくと同時だった。

王都の中央、王城の地下から、黒い奔流が噴き上がった。

大地が悲鳴を上げ、頑強な城壁がビスケットのように砕け散る。

噴き上がった黒い靄は、空中で凝縮し、巨大なドラゴンの形を成した。


『古の邪竜』だ。

設定上の推定レベルは999。

今のプレイヤーはおろか、ラスボスを倒した後でも勝てるか怪しい、いわゆる「負けイベント用」の舞台装置である。


「グォォォォォォォォォッ!!」


竜の咆哮が、ここまで届いた。

空気がビリビリと振動する。

王城の尖塔が、竜の尻尾の一撃でへし折れたのが見えた。あそこは確か、さっきまで俺がいた謁見の間だ。


「あーあ、派手にやってるなぁ」


俺は干し肉をモグモグと咀嚼しながら、他人事のように感想を漏らす。


王城では今頃、あのアレク王子や取り巻きの貴族たちが腰を抜かしていることだろう。

「無能め!」と俺を罵った口で、「助けてくれ!」と泣き叫んでいるに違いない。

だが、残念ながらこのイベントはスキップ不可だ。

慈悲もなければ、救済もない。

彼らは俺を追放したことで、唯一の「攻略のヒント」を持つ人間を自ら手放してしまったのだから。


ズドンッ!!


邪竜が口から紫色のブレスを吐き出した。

それはレーザーのように王都を薙ぎ払い、触れたものすべてを消滅させていく。

美しい街並みも、権威ある王宮も、数分もしないうちに黒い焦土へと変わっていった。


本来なら、プレイヤーはここで主人公キャラを操作し、命からがら国境を脱出する。

その背中で故郷が焼かれる絶望感を味わい、打倒魔王を誓う……というのが、このゲームの導入部分だ。


だが、俺は開発者だ。

あの炎のエフェクトにプログラマーがどれだけ苦労したかとか、建物の破壊処理が重くならないようにポリゴン数を削ったとか、そんなことばかりが頭に浮かぶ。


「うん、処理落ちもしてないな。いい仕事だ」


俺は最後に一つ残った干し肉を飲み込むと、パンパンと手を払って立ち上がった。

眼下の国は、もう火の海だ。

あの中に生存者はいない。アグラン王国は、これで地図から消滅した。


「さてと」


俺はくるりと背を向けた。

もう過去に用はない。

俺の目の前には、広大な『ファンタジー・クロニクル』の世界が広がっている。

そして俺は、この世界のすべての隠し要素、すべてのアイテム配置、すべての攻略ルートを知っている。


「まずは金だな。近くの『迷いの森』に、開発者がデバッグ用に隠した100万ゴールド入りの宝箱があるはずだ」


俺はニヤリと笑った。

追放された無能魔導師?

いいや、ここからは俺の「強くてニューゲーム」だ。


俺は軽い足取りで、帝国の奥地へと歩き出した。

背後で響く轟音は、俺の新しい人生を祝う祝砲のように聞こえていた。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

あとがき

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