2.
「協力……ってなんですか?」
おそるおそるどうにか訊ねると、東雲先輩はわたしを安心させるように笑顔を浮かべ、講義室の中をうろつき始めた。
「単刀直入に言うよ。君が仲良くしているという夢咲瞳。彼女は危険な存在だ」
「は、はぁ……」
「信じてないね。でも、そうなんだ。先週、君たちの周囲で起こったという騒動。あの犯人は間違いなく彼女だ」
東雲先輩は迷いなくそう断言する。その態度に、わたしは少々反感を覚えた。
「……なんの証拠があってそんな」
「証拠……そうだね。私は見ていないんだけど、鬼ちゃんが報告してくれた。倒れた人達の首筋にはいずれも奇妙な痣があったらしくてね」
「痣……それが……瞳ちゃんと何の関係が……?」
察しが悪いと感じたのか、東雲先輩は深く溜息を吐いた。
「そっか。君は彼女の正体すら知らないんだね。そんな状態で仲良くしていたんだ。確かに危険だ。月影さんが積極的に介入するはずだ」
意味ありげにそう呟くと、東雲先輩は再びわたしを振り返った。
「百合野さん。この際だから、私たちから君に説明しておこう。君のお友達の夢咲瞳。あれはね、人間じゃないんだよ」
「は?」
「言った通りのことさ。彼女は人間じゃない。彼女はね、生きるために人間の血を欲する者。吸血鬼の一種なんだ」
それは、あまりに突拍子もない話だった。
この人たちは何を言っているのだろう。そんな疑問が頭を過ぎるなり、早くここから逃げ出したいという気持ちが起こった。
けれど、それを許さない空気がここにはあった。東雲先輩の眼差しだけじゃない。竜門先輩に、鬼塚さん。
彼女たちの立っている場所をよくよく考えてみて、ぎょっとした。いずれもこの特別講義室の出口を塞ぐ形で立っていたのだ。
「……どういうつもりですか?」
逃げ場のないままそう訊ねると、東雲先輩は先に笑みを漏らした。
「そう怯えないで、百合野さん。君に関しては何の心配もいらない。私たちは人間だし、人間社会を守るためにここに居る。だからこそ、同じ人間である君の事は放っておけない。あのね、百合野さん。君のお友達の夢咲瞳はね──」
「聞きたくないです」
「いいから聞きなさい。あの子は人間の敵になり得る存在なんだ。私たちの警戒すべき相手。恐るべき捕食者なんだよ」
「お願い、やめて」
思わず耳を塞いでしまった。この場にいることが耐えられなかった。
大好きな瞳ちゃんを全力で否定する人達。それだけでわたしからすれば敵のようなものだった。それなのに、彼女らはわたしの味方のようなつもりでいる。
「……どうして。瞳ちゃんが何をしたっていうの」
嘆く私に対して、鬼塚さんが口を開いた。
「夢咲さんは人間に手を出した。そこにどんな事情があろうと、その事実だけがわたし達にとっては重要なの。今回は幸い誰も死なずに済んだけれど、この先はどうなるか分からない。加減を誤れば死人が出てもおかしくない。そうである以上、彼女にはもう人間の世界に居続ける権利はない」
「それって、どういうこと。ねえ、鬼塚さん。あなた達、瞳ちゃんに何をするつもりなの?」
混乱するわたしの姿に、竜門先輩が心底呆れたような視線を向けてきた。
「何をするつもり……か。全く腹立たしいね。アタシらがしようとしていること、コイツは全然分かっていないようだ。せっかく助けてやろうっていうのにさ」
「竜ちゃん」
咎めるように東雲先輩はその名を呼び、そしてわたしを見つめてきた。
「あのね、百合野さん。私たちだって心苦しくはあるんだ。彼女だって、この歳まで懸命に溶け込もうとしてきたのだろう。そう思うとね。でも、だからと言って、黙認はできない。私たちはこの白蘭に通う生徒たちを守るという使命がある。その為にも、やらなくてはいけないことがあるんだ」
と、そこで東雲先輩はある机の上に置かれた棒を手に取った。
良く見ればそれは鞘のようだった。抜刀すると現れたのは白光する刃。模造刀に見えるが、恐らくそうではないのだろう。青白い光が揺らめいてみえるのも、目の錯覚とかじゃなさそうだ。
「これはね、退魔師にしか扱えない刀なんだ。この学園に通う生徒の中では、私と竜ちゃん、そして鬼ちゃんにしか扱えない」
青白い刃を見せつけながら、東雲先輩は言った。
「斬れるのは人ならざる者だけ。仮にここで百合野さんを斬ったとしても、無傷でいられるはずだよ。けれど……君のお友達は違う。息の根を止め、この世から消し去ることが出来る。そんな代物なんだ」
出鱈目だと鼻で笑いたいところだが、刃を包むような青白い光がそれを許さない。きっと東雲先輩の言っている事は本当なのだろう。だとしたら、本当に……本当に彼女たちは、瞳ちゃんを殺すつもりなのだ。
「……やめて。やめてよ。そんなのやめてよ!」
悲鳴染みた声が喉の奥から飛び出した。
このままだと瞳ちゃんを失ってしまうかもしれない。それがあまりにも怖かった。あまりにも取り乱したからだろう。すぐに鬼塚さんが近寄ってきた。
「落ち着いて、百合野さん。百合野さんは大丈夫だから。夢咲さんがいなくなったとしても、あなたは今まで通り学校生活を送れるから」
「送れない。送れるはずないよ。だって、瞳ちゃんがいなくなっちゃうなんてわたしには考えられない」
「一人になるのが怖いの? だとしたら、心配いらないよ。私もいるし、それに、春成さんだって……いつも百合野さんの事を気にかけているでしょう? 他にも、百合野さんと仲良くなりたい人はいっぱいいるよ。別に夢咲さんじゃなくたって──」
「違う。違うの。わたしは……わたしは瞳ちゃんを失いたくないの!」
心からの訴えが特別講義室の中に響く。
そんな時だった。鬼塚さんの背後で、講義室の扉が開いたのだ。中を覗くその人物の顔を見て、鳥肌が立つのを感じた。
「瞳ちゃん……!」
そう、そこにいたのは瞳ちゃんだったのだ。相変わらず青ざめた顔で中を覗き、わたしとそしてわたしを取り囲む人たちの姿を確認する。
緊張が増すのを感じた。特に鬼塚さんと竜門先輩の眼差しが変わった。だが、東雲先輩だけは違った。余裕のある表情で、彼女は瞳ちゃんを手招いた。
「ようやくのお出ましか。君を待っていたんだ。さあ、こっちへ」
「駄目……瞳ちゃん、入ってこないで!」
遠ざけようと声をあげたが、訴えむなしく瞳ちゃんは入ってきてしまった。扉を閉めると、瞳ちゃんは緊張気味に溜息を吐いた。
「用があるのはわたしの方でしょう。どうして佳奈ちゃんを巻き込むの」
「巻き込みたくなければ、最初からアタシらの呼び出しに応じていればよかったんだ」
ぴしゃりとそう言ったのは、竜門先輩だった。腕を組みながら、瞳ちゃんを睨みつけている。
「そうすれば、大切なお友達だって無駄に傷つけずに済んだ。でも、アンタはそうしなかった。身勝手な吸血鬼だから」
そう言って竜門先輩もまた隠し持っていた刀を見せつける。鞘を抜くと、あの青白い揺らめきを持つ刃が現れる。鬼塚さんも気づけば同じものを持っている。
訳が分からない。でも、本気だ。本気でこの人達は瞳ちゃんを傷つけようとしているんだ。このままじゃ、本当に瞳ちゃんが傷つけられてしまう。
「さあ、こっちへ」
東雲先輩が言った。
「無駄に苦しませたりはしないと約束する。それが、この年齢まで人間のふりをしてきた君への敬意だ」
判決はもう下っているらしい。恐らくそれは揺るぎないものなのだろう。瞳ちゃんもよく分かっているようだ。
話し合う気は毛頭ない。その気配すら感じさせないまま、彼女は怪しい刀を持つ三人を静かに見比べた。
「……分かった」
「瞳ちゃん!」
諦めたようなその口調に思わず叫んでしまった。だが、直後に見せた瞳ちゃんの眼差しからは、わたしの不安とは裏腹に闘志が消えていなかった。
「そっちがその気なら、わたしだって……黙って命を差し出す気なんてない」
その言葉が決定打となったようだ。端から敵意しか見せていなかった竜門先輩は勿論、鬼塚さんも、そして東雲先輩も、瞳ちゃんを見る目がガラリと変わってしまった。
会話の通じる人間を相手にしている眼差しから、危険な猛獣と対峙しているような眼差しへ。その空気の違いに気づくや否や、もうじっとしている事なんて出来なかった。
「駄目!」
思わず駆けだして、わたしは瞳ちゃんの前に立ちはだかった。
「……佳奈ちゃん!」
咎めるような声が背中から聞こえたが、振り返る余裕もなかった。わたしが睨むのは東雲先輩たちだ。刃を向ける三人を睨みつけ、必死に訴えた。
「絶対に駄目!」
そんなわたしの態度に竜門先輩は舌打ちをし、鬼塚さんは表情を歪ませる。そして、東雲先輩は困ったように、あるいは、呆れたようにわたしを見つめてきた。
「説明不足だったかな」
東雲先輩は言った。
「夢咲さんは、君が思っているようなお友達じゃない。そいつは、君にとっても敵なんだ」
断言するようなその言葉が、かえってわたしの反発心を呼び覚ました。そんなわたしの表情を見て、深く息を吐いたのが竜門先輩だった。
「先輩、もはやコイツに説得は無意味だ」
そう言って、彼女は駆け出した。
「竜ちゃん!」
制止するような東雲先輩の声も無駄だった。走り出した竜門先輩の足は止められない。瞳ちゃんを殺せるのだとかいう物騒な青白い刃を構え、一直線に向かってくる。
嫌だ。
強烈な拒否感が生まれ、わたしもまたとっさに前へと飛び出した。竜門先輩が持っている怪しい刀を振り被るのとほぼ同時。青白い光を伴う刃がわたしの脳天から下へと降ろされる。
斬られた。
強い衝動が、わたしの体を縦に割る。けれど、受けたのは衝撃と熱さだけだった。痛みは全くない。確かにあの刃が当たった気がしたのに。
目の前で竜門先輩が舌打ちをする。
敵意と苛立ちが一斉にわたしへと向けられている。その威圧感に動揺していると、不意にわたしの腕が掴まれた。
ひんやりとした馴染みのある感触。瞳ちゃんだった。
「こっちへ……!」
一瞬生まれた隙を狙って瞳ちゃんはそのまま特別講義室の外へと飛び出した。
しばらくは引っぱられるまま走り、途中からはむしろ自分が瞳ちゃんを引っ張って階段を駆け下りていく。
早く安全な場所へ。その思いでとにかく彼女らから距離を取り、遠く離れた職員室の近くの廊下で息を整えた。
「……瞳ちゃん、だ、大丈夫?」
ゼエゼエ言いながら訊ねると、瞳ちゃんの方も青ざめた顔で頷いた。
「大丈夫。佳奈ちゃんは、怪我してない?」
「うん。大丈夫」
おでこからずいぶんざっくりいかれた気がしたのだが、やはり傷一つなかった。
「佳奈ちゃんは人間だからね。痣にもなってないようで良かった」
「瞳ちゃんは……違うの?」
恐る恐るその横顔を見上げると、瞳ちゃんは暗い表情で頷いた。
「いつか……機会をみて、この秘密を打ち明けられたらって、そう思っていた」
「吸血鬼……だって」
わたしの言葉に、瞳ちゃんは静かに瞼を閉じた。
そして再び開くと、わたしの両肩を掴み、じっと目を合わせてきた。その目を見てわたしはぎょっとした。光っている。目の錯覚じゃない。両目が光っている。
「何色に見える?」
「……赤」
「間違いない?」
「う……うん」
震えながら頷くと、瞳ちゃんはわたしの肩を手放した。
「怖がらせてごめんね。でも、そういうことなの」
力なくそう言うと、瞳ちゃんは周囲を警戒する。その様子は心成しか、さっきよりもどっと疲れているように見えた。
「昔ながらのホラー作品に出てくるようなものとはちょっと違うかも。わたし達は人間のように生まれて、人間のように年を取って死んでいく。だけど、人間とは違う力があって、生涯、血への渇望に苦しみ続ける」
「じゃあ……先週の事件は……」
「わたしがやった」
その短い告白に、目の前が真っ暗になった。
瞳ちゃんがあの事件の犯人。本当に、瞳ちゃんがやったのか。みんなの血を吸って、あわや命を奪いかねないことをして。
覚悟していたはずじゃないか。動揺の中で、わたしは自分に言い聞かせた。思い出すのは響子さんの言葉だった。彼女は確かめるように言っていた。瞳ちゃんが犯人だったら、どうするつもりなのかって。
わたしは……あの時、なんて答えたのだっけ。
「失望したでしょう。それでいいの」
瞳ちゃんは言った。
「佳奈ちゃんは人間で、わたしはそうじゃない。初めからわたしは異物以外の何物でもなかった。小学生の時だってそう。もう名前すら思い出せないあの子はきっと、本能的な感覚でわたしの違和感に気づいちゃったんだろうね。ただのイジメじゃない。小鳥たちがネコやヘビに気づいて逃げ出すのと同じだった。それは理解していても、やっぱり小さなわたしは寂しくて、だから、あの時のあなたの無邪気さが嬉しかった。けれど、同時に申し訳なかった。あなたを騙しているみたいで。それに、自分が怖かった。先祖を辿れば、わたし達はあなた達人間を騙して、捕食していたんだって。あなたと手を繋いでいると、その血がわたしにも流れているんだって自覚してしまって」
苦しそうに告白する瞳ちゃんの姿に、わたしは震えてしまった。
怖かったから?
いや、違う。そうじゃない。
じゃあ、何故だろう。何故、わたしは震えていて、何故、泣きそうになっているのだろう。
「でも……でも、今まで誰かに危害を加えたりなんてしなかったのでしょう?」
「……そうだね」
「じゃあ、どうして。どうして手を出しちゃったの? わたしにも事情を教えて」
堪えきれずに零れた涙を慌てて手で拭う。そんなわたしを見つめると、瞳ちゃんは静かに目を逸らしてから力なく答えた。
「耐えられなかったの」
彼女の目からスッと赤色が消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます