六.

『──昨年、行方不明になった牧本美優さんの白骨化した遺体が見つかった事件で、警視庁は死体遺棄の容疑で会社員の蟹江次郎容疑者を逮捕しました。蟹江容疑者は取り調べに対し支離滅裂な発言を繰り返しているとのことです。現場から約二キロ離れた蟹江容疑者のアパートからは包丁や寸胴鍋が押収されており、それらからは血液反応が──』

「あ、またこのニュース」

 高校からの帰路、商店街の電器屋で自然と足が止まる。テストも終わったことだし甘いものでも食べようという友人二人の誘いに乗り、結はほかほかのカスタードクリーム入りのたい焼きに舌鼓したづつみを打ちながら歩いていた。店先に並べられた大小様々な画面には全て同じ夕方のニュース映像が映っている。

「相当残忍だったみたい」

 西垣にしがきが手元の本から顔を上げ、淡々とした口調で言う。それに同意するように何度も頷くのはあずまだ。ポニーテールが激しく揺れている。

「ね! この事件のせいで親がうるさくってさあ。捕まったって言うのに、早く帰ってこいって毎日めっちゃラインくるの! こっちは部活にテストに青春に忙しいのにさあ!」

「我が家も姉がピリピリしてる。同僚が現場行ったって」

「げ、マジぃ? がっきーの家も大変じゃん?」

 大々的に報じられている近所で起きたひとつの事件。友人たちも興味津々ではあるようだし、報道機関や警察官らしき人々を連日目にしていた。いつもであれば世の中で起きた数ある事件の中の一つに過ぎない。しかし今回は身に覚えのありすぎる案件だ。友人らの他愛のない会話はもやがかかったように入ってこない。代わりに、美優を輪廻へ還した日のことを、結は思い返していた。

 

 榊は今回の事件を語りたがらなかった。結が事の顛末てんまつを聞こうとしても未成年には聞かせられないとはぐらかされ、報道も一部規制がかかり、テレビのニュースからも詳しい情報が得られなかった。ただ、珍しく榊から「暫く肉は食いたくない、特に骨付き」という食事のリクエストがあったため従っているし、相当凄惨な現場だったのだろうという予想はついた。

 一件の後、澱みは事務所に連れ帰った。てっきり結自身が輪廻へ還すものとばかり思っていたが、十一歳の女の子に榊は選択を迫った。

 結に輪廻へ送ってもらうか、榊に斬られて滅せられるかのどちらかを。

 榊の考えとしてはこうだった。

「輪廻転生したら記憶は無くなる。次にこの世に生を受けた時、何に生まれ変わるかは誰にも分からない。だが、こいつには大の男に殺された記憶が最後だ。そんな思いを二度としたくないってなら、祓う選択肢もあるだろ。祓うって言ったってこれで一突きだ。実質もう一回殺されることになるが」

 確かにそんな考え方もあるかと結は理解しようとしたが、真に納得するのは難しかった。恐らく榊も避けたい手段であるだろう。あの怨恨と悲痛の鋭い絶叫は、結も二度と聞きたくない。それでも選択肢を提示するのは、過酷そうに見えても、榊なりの優しさなのかもしれない。

 美優は、気丈にも輪廻転生の道を選んだ。「生まれ変われるなら、もう一度お父さんとお母さんの子供として生まれたい」と。保証はできないことを念押ししたが、こくりと頷く。

 そう言われてしまえば、結にできることはただ一つ。

 結にしかできないことが、ただ一つ。

「来世はどうか、心穏やかに過ごせますよう──」

 そう心から願いながら、言葉を唱えて澱みを輪廻へと還すことしか、結にはできない。


 融合してしまったもの達の澱んだ声は脳裏に焼き付いて、そう簡単には離れない。全てが終わり一息つこうと榊がその場を離れようとした瞬間、彼を引き留めるように結はその手を咄嗟とっさに握っていた。結はソファの前でしゃがみ込んだまま、寸前まで美優が佇んでいた虚空を見つめていた。榊が戸惑っているのは彼の手からも伝わる。やがてなだめる口調で言う。

「……コーヒー淹れてくるだけだよ。お前もカフェオレ飲むだろ。それともココアの方が」

「後でいい」 

 榊に対し食い気味に答えると、手に込める力が強くなる。

「……後でいいから」

 そばにいてほしい、という二の句は告げなかった。

 こらえようとあらがったつもりだったが、顔を見られまいと下を向いた瞬間、重力に負けて落涙らくるいした。嗚咽おえつが漏れ、大粒の涙がこぼれていく。共に依頼をこなすようになって最初の頃は榊を酷く困惑させたものだった。このような理不尽な案件は特に感情が揺さぶられやすい。その度に人のぬくもりが欲しくなる。経験の蓄積から榊だって推測できることではあるだろうし、お互い理解していた。しかし慣れたものでは全くない。涙は出来るだけ見せたくないし、榊だって見たくはないだろう。

「お前は、人の悲しみや苦しみに寄り添いすぎだ。それは全部が全部、お前の感情ものじゃない」

 ソファに座るように促され、榊もその隣に座る。自身の小さな手は、榊の手ですっぽり覆われている。その手が冷えている気がするのは、暖房の効きが悪い所為なのか。

 普段は気を遣って接触を拒む榊だが、こういう時ばかりは拒むことは出来ないようだ。それは助かっていた。拒まれれば結自身がガラスのように砕け散ってしまいそうだからだ。

「人はあっさり死ぬし、大往生なんてできない」

 ──そんなことは分かっている。分かっているつもりだ。

「死は死だよ。一人の人間の死。そうやって、割り切ったほうが良い。今は」

「難しいよ、そんなの」

 榊の言葉は、彼なりの結に対する優しさであることは理解できる。背負いすぎるな、考えすぎるな、と。

「これから先も、俺たちの仕事なんか特に艱難かんなん辛苦しんくの凝縮されたもんばっかだ。それを全部、全身全霊で受け止めるな」

「だって、こうしないと分かんないんだもん」

 自分がこうしてむせぶ意味も、嘆く価値も無いのも分かっている。

 結の力は特殊だ。何故自分が先祖返りとしてつかわされたのか。魂の総数が崩れるのを防ぐためだとか予想は立てられるが、どれも推論に過ぎない。

 人も霊も救う力だと榊は言う。使命であると結自身も認識している。それは決して間違っていないとは思う。

 だが救うためには、いかなる状況からも逃げられない。悲しみ、苦しみ、恨み、辛み、憎しみ──負の感情は必ずそこにあり、結自身に全て流れ込んでくる。

 それはある種、「呪いの力」ではないだろうか。

 祓い刀を使って問答無用で斬り捨てることだって、霊たちの話を聞かずに触れて送ることばを唱えることだって可能だ。

 それはしたくなかった。

 何を思い、何が心残りで、どうしてほしいのか。その思いを汲み取るだけでなく、目の前で起きている事実を、結は全て理解する必要があった。生と死の境界に立ち、それぞれの世界を結ぶ唯一の者として。

「ちゃんと分かりたい。分からなきゃいけない。私は、他の人と違うから」

 時折落ちてくる大粒の涙の暖かさを、榊は黙ったまま手の甲で受け止めている。応接用のテーブルにあったティッシュ箱が無言で差し出される。左手で二、三枚取り出して目元を拭うが、榊の手を離す気は無かった。

「……いつか」

 声を震わせながらも落ち着かせるように、結は長くゆっくり息を吐いて、吸い込む。零れ落ちないように、上を向きながら。無理やりにでも口角を上げながら。

「いつか、割り切れる日が来るのかな」

 自分はまだ子供だ。行き場のない感情を大人の榊にぶつけることだって多々あったし、今後も必ずあるだろう。今は振り回されていても、いつかは冷静に対処できるのだろうか。目の前に座る彼のように泰然たいぜん自若じじゃくとしていられるのは、自分にとって良いことなのだろうか。迷いは尽きないが、彼は割り切れとも言っている。結にとって唯一頼れる存在は、選択肢を提示してくれている。

「さあな。少なくとも……」

 榊は目を伏せて暫し考え込み、言葉を探しているようだ。

 握るその手がほんの少し強くなる。

 かさついていて無骨なその手は、いつも自分を守ってくれている──結はそう感じた。

 やがて、見た目にそぐわない穏やかな声音で榊は言った。

「昔こんなことあったなって、いつか語り合える日が来ると思ってるよ。酒、飲みながらでもさ」

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