余命マイナス王女のバフ係 ―寿命口座チートの俺が選ぶのは、最悪じゃない地獄―

のだめの神様

第一話 寿命口座と余命マイナスの王女

 最初に「この働き方は人間のすることじゃない」と思ったのは、日本での話だ。


 終電はとうに終わり、午前二時半。

 24時間ビルのオフィスフロアには、白い蛍光灯だけがやけに元気に光っていた。


 机の上には、タスク表とレッドブルの缶と、何度更新されても終わらないチャットの通知。

 PCの時計は、日付が変わってからだいぶ経つのに、勤怠システム上は「定時のまま」。

 画面の上でしか動かない“勤務時間”とは別に、一時間ごとに俺の寿命がちょっとずつ削られていく。


(打刻したら怒られるからな……。若いんだから平気だろって)


 俺の時間は、会社の都合でいくらでもただ働きに変換される。

 そうやって一年、二年と過ぎていった。


 春日悠真(二十四)。社畜。趣味は寝ること。

 それが、俺の自己紹介の全部だった。


「……あー、眠」


 モニターの文字が二重に見えてきた頃。

 ふと、視界の端で違和感が走る。


 同じフロアの先輩の頭の上に、数字が浮いていた。


 ──四三・二年。


「は?」


 思わず目をこする。

 もう一度見る。


 ──四三・二年。


 消えない。

 デスク向かいの後輩の上にも、数字。


 ──五六・八年。


 コピー機の前で伸びをしている課長の上には。


 ──一三・五年。


(……寿命、か?)


 脳が勝手に意味を当てはめた瞬間、背中に冷たいものが走った。


 じゃあ、俺はどうなんだ。


 窓ガラスに映る自分の頭の上を見る。

 ガラス越しに、白い数字が浮かび上がる。


 ──〇・四年。


「……おい」


 思わず笑いそうになった。

 半年。

 このまま働けば、半年で心か体かどっちかが壊れるってことか。


 いや、もう壊れてるのかもしれない。

 だってほら──。


 デスクでうたた寝している総務のおばちゃんの上には。


 ──〇・二年。


(マジで、笑えねぇ)


 そう思った瞬間、頭の奥で「カチッ」と何かが鳴った。


 次の瞬間、目の前に青いウィンドウが浮かぶ。


 ──《寿命口座システムへのアクセスを検知》

 ──《所有者:春日悠真》

 ──《残高 〇・四年》

──《周辺個体の寿命残高を参照しますか?》


 会社のセキュリティツールでも、ブラウザのポップアップでもない。

 脳内に直接響くような、機械的な女声。


「参照って……」


 ふざけてるのか、と言いかけて、やめた。

 どうせ夢だろう。寝不足で幻覚見てるだけだ。


 そう思いながらも、俺は心の中で「はい」と呟いていた。


 ウィンドウが静かに広がる。


 ──《周辺個体の寿命残高を参照します》


 フロアにいる人間の頭上に、次々と数字が浮かび上がる。

 四十年。五十年。二十年。半年。

 白い数字が、オフィスの中に星みたいに散らばっていた。


(……俺のだけ、妙に少ないな)


 自嘲気味にそう思っていると、もう一枚ウィンドウが重なる。


 ──《寿命残高の再配分機能が有効です》

 ──《再配分先を選択してください》


 先輩。後輩。課長。総務。清掃員。

 名前と寿命残高が、リストのように並ぶ。


(俺の残りの寿命を、誰かに“分ける”ってことか)


 理解は早かった。

 だって、会社で散々やってきたからだ。


 自分の時間を削って、誰かの仕事を助ける。

 その代わりに何が来るかって? 「助かったわ」の一言か、次のタスクだ。


(……冗談じゃねえ)


 俺はそっと目を閉じ、ウィンドウを見ないようにした。


 これ以上、自分の寿命を誰かに配る気はない。

 もう十分配ってきた。給料明細を見れば、それは明らかだ。


 そう思った瞬間、胸の奥がズキ、と刺さる。


「……っ」


 心臓が不規則に跳ねた。

 モニターの光が滲む。


 ──《警告:寿命残高が閾値を下回りました》

 ──《残高 〇・〇一年》


 声が遠のく。


(あー……やっぱ、こうなるか)


 どこかで予想はしていた。

 自分の仕事量と睡眠時間、食生活。

 数字で見れば、壊れない方がおかしい。


 先輩が、こちらに向かって何か言っている。

 耳に入ってこない。

 椅子が軋む感覚と、キーボードの上に倒れ込む、自分の重量だけがやけにリアルだった。


 視界の隅で、自分の頭の上の数字がゼロに近づいていく。


 ──〇・〇一年。

 ──〇・〇〇〇年。


 そして。


──《寿命口座 残高ゼロ》


真っ白になった世界の中で、俺はひとつだけ思った。


(……次の人生があるなら、もうちょいマシな使い方したいな)


 それは、諦めと、ほんの少しの未練が混ざった、しょーもない願いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る