第2話



 男女の差、相違、それは基本的に優劣というよりも、質的なことが多い。と思う。 脳の重さは男が重い。 筋肉や膂力、スポーツの記録は男性が強い。 格闘技しかり。 が、文明社会では能力を発揮する場面が多岐多彩、種々様々ですから、女性の指導者は普通に見られるし、岸田秀さんは、「男社会で出世をする女性は、比較的に優秀だから、能力が高いことが多い」つまり、ハンディキャップがあるゆえに、相対的に能力面では却ってウエに上り詰めてくるオンナは余程に優秀…例によって逆説めいているが?そう書いていた。


 文学や語学は、女性に有利か? コトバ、コミュニケーションに長けているのも女性的な特質。 論理よりも感性が重んじられると、文芸や芸術一般にはそういう傾向がやはりありそうだ。


 右脳、左脳、そういう発想も関係しそうである…論理脳やら、デジタルが左脳。 アナログは右脳。 七田眞先生の右脳の本とかはかなり熟読して、DSの右脳トレもやりこんだが、右脳の開発とか、いまだに曖昧…が、自分は右脳型らしい。 イメージで考えるほうがだいたいしっくりくる。 漢字は象形文字で、自分に合っている。 そういえばフロイトは、精神分析を「象形文字の解読」に似ている、と述べていたらしい。 明晰にデジタル化されていない漠然とした情報を、デジタルに翻訳する…確かに右脳が活躍しそうなプロセスに思える。 七田さんは「超右脳革命」という著書を書かれていて、当然「これからは右脳の時代」と、考えているのだろう。 右脳には特殊で超絶的な潜在能力があると考えているらしい。 画一的な、左脳優位の男尊女卑社会は、狭量で、時代錯誤。 柔軟な、左右の脳を縦横に使い分けられる、フェミニズムな新時代が、地球の危機を救う…烏滸がましいですが、オレもそちらに賛同したい。


 女性のほうが左右の脳を連結する脳梁という器官が、一般に太いらしい…で、女性のほうがおしゃべりが得意。 古舘伊知郎氏は「俺は脳梁がかなり太くて、それでトークが得意なのも当然らしい」とか、述べていた。


 よく、基本的に、ニンゲンのいろんなことに敷衍できる二元論を漠然とデザインしていて、「自分の思想の萌芽」とか言ってますが、これは<男⇔女><戦い⇔愛><社会⇔家庭><自我⇔エス><サド⇔マゾ><戦争⇔平和><死⇔いのち><デジタル⇔アナログ>…等々あらゆることに二項対立を当てはめるわけです。


 で、自分はだいたい女性の側にカテゴライズされる。場合が多い。 富国強兵、殖産興業、シャカリキに働いてこなければならなかった時代は既に過去のものとなり、これからはより内面的で女性的な属性がより重要となってきて、戦いや自然淘汰よりも、共生、愛と平和が肝腎になり、精神的な充実が主眼となってくる…どんどんますますそうなっていくのでは? 漠然とですがいろいろと社会を観ているとそうも思える。 精子は、圧倒的に男性になる精子が多いが、女性の精子も一定数いて、酸性に強いので?生き残りやすい…femaleのsexは、「精子の時代から適応能力ゆえにサバイバルする運命」。 だから、もともとオンナは、強くたくましいというよりも、環境への適応能力に長けていて、こういう困難な時代には女性のそういう属性が生きていくのでは? と、これは今思いついた空論ですが…


  

 

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