「ご自愛ください」
河村 恵
隅に座る女
これは昨日のことだった。
病院へ行くと、待合室は満員だった。
私はしばらく立ったまま待つことになった。
簡素な待合室は、雑誌や絵本の類はない。
改装したばかりの綺麗な待合室だった。
白い床、赤い椅子、空気清浄機があるだけのシンプルな作り。
居眠りする人や本を読む人が3人ばかりいて、あとはスマホを見ていた。
一人、隅にいる女が少し動いて起きたようだった。髪は長く、前髪で目元が隠れてはっきりと見えなかった。
ちょうどその時、席が空いたので私はつかつかと歩いていき、座った。その席からは女の様子がよく見えた。それなのに、顔は影になって見えなかった。
私は気にせず、持ってきた本を取り出して読み始めた。
一人ずつ名前が呼ばれ、診察室へ入っては出て行った。
午前の診療では、私はおそらく最後だろう。
本もだいぶ読み進んだ。あの女はまだうつむき加減で座っている。
「山田さん」
呼ばれた時にかすかに揺れた。
他の席の男性が立ち上がると、女はまた元に戻った。
それから少しして、ようやく私の番が来た。
私が診察を終えて戻ってくると、その女はまだ席にいた。
受付の人が「午前の診療は終了しました」と札を下げている。
「あのう」
「はい?」
「あちらの女性は?」
「どちらですか?」
受付の人は女の方に向けた目を私にまた戻した。
「どなたもいらっしゃいませんけど」
電話がかかり、受付の人は戻って行った。
女の方を見ると、女はわずかに頭を傾けて私に会釈をした。そのまま、立ち上がり、消灯した診察室へ入って行った。受付の人は女の体をかすめたのに気づいていない。
私は背中の辺りから妙な寒気を覚え、そのまま病院を後にした。
あの女が誰だったのか、いや何者だったのか、わからずじまいである。
ともかく、病院に世話にならないよう身の引き締まる思いにさせてくれたことだけは感謝している。
「ご自愛ください」 河村 恵 @megumi-kawamura
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