第2章 第1話 黒い大型カラクリ箱、到着す
新宿の上空には巨大な浮遊都市が静止し、その影が地上に長い縞を落としている。現代的な高層ビルのガラス面と、古い木造建築の屋根が同じ影に覆われ、素材も年代も異なるもの同士が無理に並べられているように見えた。
裏路地では、微かな震えが続いている。発条石――ゼンマイセキが稼働するときに生じる、硬く細い振動だ。現代電力とは決して混ざらないその動力が、この街では電線と並行して使われている。両者は交わらず、補い合うこともない。それでも都市は、均衡を保ったまま機能していた。
その均衡を凝縮した存在が、東京・遺跡技術研究局の解析施設に搬入された。
関西の山間部にある古い蔵から、厳重な輸送を経て届けられた黒い大型カラクリ箱。
外殻は光を吸い、石棺のように無言で鎮座している。近づくだけで、周囲の空気が一段重くなる。
解析室には十名を超える研究員と技術者が集まっていた。だが、誰も声を荒らげない。足音は抑えられ、咳払いすら控えめだ。人の気配だけが幾重にも重なり、静かな圧力を生んでいた。
「古代木材の劣化、ゼンマイセキの噛み合わせ、墨脈回路の死角」
誰かが低く注意を促す。
「一箇所でも誤れば、復元は不可能だ」
その言葉に、室内の緊張がわずかに引き締まる。
解析チームの中心に立つのは、研究責任者のトモエだった。穏やかな表情と裏腹に、彼女の目は箱から一瞬も離れない。古代構造物への強い執着と好奇心が、自然と立ち居振る舞いに滲んでいた。
トモエは両手を軽く叩く。
「はい、空気が重すぎ。
失敗が許されないのは事実だけど、萎縮してもいい結果は出ないわ。楽しみましょう。歴史の扉を開ける瞬間なんだから」
言葉は明るいが、軽率さはない。周囲の研究員たちは、その調子にわずかに肩の力を抜いた。
壁際には、黒い制服の男が立っている。現代科学側の武装調査員、レオだ。警護任務に加え、電気系統の管理とスーパーコンピュータの運用を担当する。彼は解析室全体を視野に収めつつ、モニターに映る数値の変化を逐一確認していた。
中央の操作卓には、白い手袋を嵌めたタカセ博士がいる。古代カラクリ分析の専門家であり、今回の技術的要でもあった。複数のモニターを睨み、淡々と結果をまとめていく。
「トモエさん。スキャンは完了しました」
タカセ博士の声は落ち着いている。
「極めて古い墨脈回路が、高密度で重なっています。
多層構造の規模は、既存の遺跡データに類例がありません」
少し間を置き、続ける。
「回路は固定構造ではなく、環境に応じて再配置されているように見える。
自己組織化に近い挙動です。解析難度は非常に高い」
トモエは短く息を吐いた。
「予想以上、ね。
なら、まずは動力源の確認から行きましょう」
彼女の指示で、高純度の発条石が用意される。
研究員たちは慎重に作業し、一つずつ受け皿へと配置していった。
内部で、淡い光が走る。
一瞬だけ、箱の内部に反応が生じたことは、全員が確認できた。
しかし、それだけだった。
光は消え、箱は再び完全な沈黙に戻る。
「反応は瞬間的です」
タカセ博士が解析結果を読み上げる。
「投入エネルギーは、多層墨脈の第一層で遮断されています。
外部からの正規動力入力を、構造的に拒否している」
その声音には、落胆よりも興味が勝っていた。
トモエは額に手を当て、一瞬だけ考え込む。
「なら、現代側を使うしかないわね」
レオが合図を受け、システムを切り替える。
スーパーコンピュータとAIが接続され、短時間限定で現代電力による起動試験が行われた。
電流が流れ始める。
解析室に、ファンの低い唸りが広がる。
一分。
二分。
変化は起きない。
「……反応なし」
レオが簡潔に報告する。
トモエは小さく首を振った。
「やっぱり、互換性はゼロね」
電力と発条石。
この世界を支える二つの動力は、決定的に交わらない。都市はその断絶を抱え込むことで成立しているが、この箱は違った。どちらの論理にも属さない設計思想が、はっきりと示されている。
解析室の空気が、再び重く沈む。
誰もが理解し始めていた。
この黒いカラクリ箱は、まだ目覚めてすらいない。
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