保健室のセンセーは今日も平常運転

aiko3

プロローグ 転校生、またトラブルを呼ぶ

また、やってしまった。


いや、正確には「また、起きてしまった」と言うべきか。

黒川智也は、燃えさかる校舎の前で、制服の袖を焦がしながら立ち尽くしていた。

空には巨大な魔法陣。校庭には召喚された謎の騎士団。

そして、なぜか体育教師がドラゴンに乗って空を飛んでいる。


「……俺、何もしてないんだけどな」


それが彼の口癖だった。

だが、誰も信じてくれない。

彼が転校してきたその日から、学校はおかしくなり始める。

黒板が喋り出し、給食のパンが空を飛び、校長が異世界の王になった。

そして今日、ついに校舎が燃えた。


「黒川くん、ちょっと職員室まで来てくれるかな」

担任の先生の声は、もはや怒りでも困惑でもなく、諦めに満ちていた。


「……はい」


智也は静かに頷いた。

彼はもう慣れていた。

こうして、またひとつ学校を去るのだ。


* * *


「次の学校でも、どうせ同じだろうな……」


電車の窓から流れる景色をぼんやりと眺めながら、黒川智也はため息をついた。

制服の袖には、まだ焦げ跡が残っている。

新しい学校に行く前に、クリーニングに出すべきだったかもしれない。

だが、どうせまたすぐに燃えるか、凍るか、異世界に飛ばされるかするのだ。

そんな気がして、もうどうでもよくなっていた。


彼は、いわゆる“トラブル吸引体質”だった。

本人に自覚はないが、彼の周囲では常に何かが起こる。

しかも、普通のトラブルではない。

異常現象、超常現象、異世界現象——

彼の人生は、まるで“転生モノ”の主人公のようだった。


だが、彼は一度も転生したことがない。

毎回、ギリギリのところで踏みとどまり、現実世界にしがみついている。

それが幸運なのか、不運なのか、もはやわからない。


「今度の学校は、せめて一週間もってくれよ……」


彼はそう呟き、目を閉じた。

電車の揺れが心地よく、少しだけ眠気が差してくる。

だが、そのとき——


「くしゅんっ!」


小さなくしゃみの音が、どこかから聞こえた。

それは、電車の中ではなく、外からだった。

不思議に思い、智也は目を開けて窓の外を見た。


そこには、通り過ぎる校舎の一角。

開いた窓から、白衣を着た女性が顔を出していた。

長い髪が風に揺れ、彼女はぼんやりと空を見上げている。

くしゃみの余韻に鼻をすすりながら、どこか眠たげな目をしていた。


「……誰だ?」


思わず呟く。

その姿は、どこか浮世離れしていて、けれど妙に現実味があった。

まるで、世界の“異常”とは無縁のような、そんな空気をまとっていた。


彼女は、何かを感じ取ったように、ふとこちらを見た。

だが、電車はすでに校舎を通り過ぎていた。

視線が交わったかどうかも、定かではない。


「……まさかな」


智也はもう一度、ため息をついた。

そして、電車は次の駅へと滑り込んでいった。


——このときの彼は、まだ知らなかった。

この“白衣の女性”との出会いが、

自分の運命を大きく変えることになるなんて。


彼女の名前は、白石つばき。

保健室の先生。

そして、世界の異常を“無自覚に”スルーする、最強の平常運転者である。

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