運気鑑定家
あべせい
運気鑑定家
「師匠。きょうの出し物はお決まりですか」
「こうしてネタ帳を繰りながら、考えているところだ」
「それでしたら、さきほど、ファンの方からおもしろい話をうかがいましたので、枕にでもお使いになられたらと思いまして、メモしておきました」
「この前も、おまえに乗せられて、そんな話を高座にかけたな」
「ニワトリが車を運転していて、カラスをひき逃げするお話です」
「受けたか」
「被害者のカラスが、ウシのお巡りさんに『何に轢かれたんだ』と聞かれて、カラスが一声『カー!』と鳴きました」
「お客は笑ったか」
「どなたもご不幸があったみたいで、元気がありませんでした。でも、そのあと、ウシのお巡りさんが運転手のニワトリの首根っこを、ギュウギュウ締め上げ、『どうだ。もっとやるか』といったら」
「客席から声が飛んだな。『ニワトリが、ケッコウ、だろう』って」
「そのあと師匠がウシのような顔をして、一声『もォ!』とおっしゃったのには、感心しました」
「それで、ウケたか」
「客席は見事に静まり返りました」
「おまえは、破門されたいのか」
「トンでもない。しかし、きょう仕入れてきたお話は、絶対にウケます。正真正銘、掛け値なしの傑作です。これがウケなかったら、私は噺家をやめます。金輪際、師匠の悪口は言いません」
「わかった。出番がくるまで、話してみろ」
こうして、翌日、師匠は無謀にも、弟子から聞いた話を高座にかけてみました。受けたか受けなかったか、その答えは、すぐに出ます。
「このお話の主人公は、いまはやりの派遣社員。次の派遣先がなかなか決まらず、途方に暮れ、最寄駅の改札口が見えるベンチに腰をおろし、ぼんやり通行人を眺めていました。
財布の中には、数千円しかありません。このまま派遣先が決まらなければ、家賃が払えず、小さな娘と妻を抱えた彼の家族は食べていけません。
昔の偉い学者が言っています。天災は忘れた頃にやってくる。悪妻は金がなくなると逃げていく……これは私の個人的体験ですが。
駅前のベンチに腰掛けていたこの男の頭上に、悪妻、いや天災がふりかかりました。
稲妻です。その少し前から急に黒い雲が湧き起こり、雷雨の気配がしていたのですが、途方に暮れたこの男、明日からの暮らしのことで頭が一杯で、空模様にまで気がまわりません。
それでも先に雨が降ってくれば、この男も駅の構内に逃げたのでしょうが、いきなりの雷です。辺りに閃光が走ったかと思うと、まるで爆音のような激しい雷鳴が轟き、通行人から悲鳴があがりました。
見ると、男がベンチからずり落ちるようにして路上に倒れています。雷が男を直撃したのです。幸いというか、不思議というべきか、雷はそれだけでおさまり、黒い雲も消え去り、たちまち青空が戻りました。
しかし、男は倒れたままです。このため通行人が男を取り囲み、たちまち人垣ができます。
『どうしたんだ』
『雷に打たれたらしい』
『救急車を呼んでやれ』
などと声が飛び、次第に騒ぎが大きくなります。ところが、その声に反応したのか、男が不意に、何事もなかったように立ちあがりました。周囲からは落胆の声があがります。
男を取りまいていた人だかりも、一人減り二人減り、潮が引くようにすっかり消えてしまいました。
お話はこれからです。まもなく駅前の交番から若いお巡りさんが駆けつけ、派遣社員の男に話しかけました。ところが、男の言動がおかしいのです。
『君、大丈夫ですか。どこか異常はないですか』
『平気です。ただ、目が……』
『どうしました?』
『ヘンなモノが見えるんです』
『ヘンなモノ?』
『煙です。人の体から煙が出ているのです』
『それは、煙草の煙でしょう。煙草を吸って煙を吐き出しているんです』
『でも、人の体から煙が出るだけではありません。煙が、人の体に入っていく。ほら、あの人……』
男が指差したのは、ベンチで横になり、昼寝をしているホームレスらしき男性です。
『煙? 何も見えません。あなたは、雷に打たれたショックで、視神経をやられたのでしょう。眼科で診てもらったほうがいい。腕のいい眼医者を紹介しましょう』
『そうですか。視神経がおかしいのですか』
しかし、男の目には、周囲の人々がそれぞれ自分の身の回りに煙を漂わせていて、そのうちの幾人かはその煙を吸い込み、また他の幾人かは煙を吐き出しているように見えます。
もう少し目を凝らして、よォく観察していると、煙はそれぞれ微妙な色彩を帯びています。白い煙があれば、黒っぽい煙もあり、赤味がかった煙もあるといった具合です。
『お巡りさん。ぼくの眼はどうしたのですか。仕事も、お金もありません。眼科に行きたいけれど、お金がかかるでしょう』
『心配はいりません。その医者は貧乏人からはお金をとらない親切な医者です。早く、行きなさい』
『ありがとうございます。ちょっと、お巡りさん、あなたの体に、いま白い煙が吸い込まれています』
男はそういってから、教えられた眼科医院を訪ねました。
その医院は、見るからに古ぼけた建物で、男が近付くといまにも崩れそうに、ミシミシと無気味な音を立てます。とても人が住んでいるようには思えません。
半分壊れかけた扉を押して中に入りますと、待合室にはだれもいない。受付を見ますと、人の気配が全くありません。
休診日なのかと男が思ったとき。
『だれだ。わしの昼寝を邪魔するやつは』
不機嫌な声がしたかと思うと、白い無精髭を蓄えた、しかし眼光の鋭い、がっしりした60代半ばの男が、どこからともなくヌゥーと姿を現しました。
『すいません。お巡りさんに紹介されて、うかがいました』
『なんだ。あのバカが、またバカを寄越したのか。まァ、いい。退屈しのぎにはなる。立ってないで、診察室に入って、座れ』
『お邪魔します』
『どれ。わしの目をしっかり見ろ。こうして患者の目を見ていると、患者の目に見えているモノが見えてくる』
『先生。私の目にいま何が見えていますか』
『けむり、煙だな』
『先生! すばらしい。先生、わかっていただけますか。お巡りさんは、煙なんて気のせいだとおっしゃって』
『昔はわしにも見えた、同じような煙がな』
『なんですって!?』
『わしの場合は、残念なことに、ひと月で見えなくなった』
『残念って、どういうことですか』
『君が見ている煙は、本当は煙ではない』
『煙でなかったら、何だと言うのですか』
『キ、だ。キだよ』
『キ!? キ、って』
『空気の気、元気の気だ。自然界には人間の目に見えないものがたくさんあるが、気もその1つだな。ところが、通常目に見えない気を、見ることができる人間がこの世に稀に存在する。君はその数少ない特殊能力をもった人間ということになる』
『これが、特殊能力ですか。そうは思えない。目障りなだけです』
『いまにわかる。君はその能力のおかげてひと財産つくるかもしれない。但し、わしがひと月でその能力をなくしたことを肝に銘じておくことだ。用はすんだろう。さァ、帰ってくれ。わしは忙しいんだ』
医者は、それだけいうと、奥に消えてしまいました。
派遣社員の男は、夢を見ているような面持ちで自宅に帰りました。家には妻と娘がいます。
『お帰りなさい。あなた、きょうはどうだった?』
『ダメだった。もっと若い人が欲しいそうだ』
『いいじゃない。そのうちあなたに合ったいい仕事がきっと見つかるわ、焦らない焦らない』
『何か変わったことはなかったか』
『そういえば、おかしな電話があったわ』
『おかしな電話?』
『煙の正体がわかったから、大至急連絡して欲しい、って』
『だれだ』
『名前を聞いたんだけれど、そういえばわかるって。あなたの知り合いでしょう』
『煙の正体、って言ったのか』
『煙の正体って、何のこと?』
男は、妻から煙の正体といわれて、ハッとしました。
家に着いたとたん、仕事のことが気になって、気のことを忘れていたのです。妻を見ると、妻の体を取り巻くように赤い煙、すなわ赤い気が漂っています。
『おい、いまどんな気分だ』
『気分、って』
『だから、いい気分なのか、悪い気分なのか。どうなんだ』
『いつも通り、そんなに悪い気分じゃないわ』
『そうか』
『待って』
『どうした?』
『なんだか、急に意欲が湧いてきたわ。やる気が出てきたって感じ』
『おまえの体に気が吸い込まれていくゾ』
男が目を凝らすと、妻の周囲に漂っていた赤い気が、どんどん妻の体内に吸い込まれています。
『わかったぞ。気だ。気が人間を変えるんだ。これで生活の心配はなくなるぞ』
男はそう叫ぶと、妻を強く抱きしめました。
1ヵ月後。
男は高級マンションの一室に「命運鑑定クリニック」という看板を掲げ、莫大な収入を得ていました。
男の仕事は、お客の求めに応じて、お客の運勢や運命を判断して、的確なアドバイスを行うことなのですが、これが百発百中、ズバズバ当たるのです。それはそうでしょう。
彼が見るのは、手相でも星座でもない。お客の身の回りに漂っている気です。赤い気や白い気がお客の回りに漂い、それがお客の体内に取り込まれていれば、お客の運勢は上昇傾向にあります。反対に赤い気白い気がお客から吐き出され、黒い気が取り込まれているようでしたら、お客の運勢は下り坂にあるため、無理しないように勧めればいいのです。
鑑定料を高く設定したせいか、お客は主に、会社の経営者をはじめ医師や弁護士といった高収入の自営業者ですが、この日はじめて若い女性がお客として訪れました。
女優です。すっかり落ち目になり、このまま女優を続けるべきか、思いきって仕事を変えるべきか、これからの生き方をみてほしいというのです。
彼女は、映画デビューした後、テレビドラマ、舞台、CMと仕事の場を広げ、売れっこ女優として活躍していましたが、妻子ある男優との不倫が発覚して以来、人気が急降下。最近ではローカル局のCMや深夜帯のバラエティ番組に顔を覗かせる程度、すっかり忘れ去られています。
しかし、年齢が28とまだ若く、すばらしい肉体をもった、すこぶるつきの魅惑的な美女ときている。当人は、いま一度花を咲かせたいと意欲は十分にあるのですが、きっかけがつかめず寂しい日々を送っているというのです。
命運鑑定家は、女優をじっと睨みつけました。女優の気の動きを見るためです。
『こいつはダメだ』
鑑定家は、がっかりしたようにつぶやきます。
というのも、女優の口、鼻や耳の穴から、白い気と赤い気が少しづつ漏れ、逆に黒い気がわずかながら吸い込まれ、女優の体の周囲には、赤、白、黒の3つの気がもやもやっと漂っています。
黒い気は病を引き起こす気、すなわち病気です、赤い気はやる気を起こさせる気、すなわち生気、白い気は運命を切り開く気、すなわち運気です。
人の体から黒い気が出て、赤い気と白い気が取り込まれれば、その人間にとってよい方向に向かうのですが、この女優は気の流れが全く逆。この先、ますますひどい状態になることを示しています。
『先生、ダメなんですか』
『ウーン』
鑑定家は、女優の美しい顔を見て、なんとかしてやりたいと思います。
『運命が切り開けるものなら、私、先生のために何でもいたします』
女優はそういうと、じっと鑑定家の目を見つめます。鑑定家は、ブルッと身震いしました。女優の妖しい魅力に、体中が鳥肌たったのです。
鑑定家は、その瞬間、貞淑な妻のことや、素直で父思いの娘のことなど、家庭の一切合切を忘れました。この美女を離したくないの一心です。
『かしこまりました。明日、もう一度おいでください。ご期待に沿える答えを用意しておきます』
鑑定家はその夜、眼科医を訪ねました。鑑定家に、見える気の存在について教えてくれた、あの流行らない眼医者です。
『先生、気の出し入れを私の手でできないでしょうか。その方法を、教えていただきたいのです』
『おまえさん、ずいぶん繁盛しているそうだな。病の状態やこれからの行く末について適確に言い当てると評判だ』
眼科医は、1ヵ月前に会ったときと比べて、まるで別人のように痩せ衰え、やつれています。しかし、鑑定家は眼科医がなぜ急激にやつれたのか、そんなことには全く関心がありません。彼の頭の中は、女優の柔らかな肉体のことだけです。
『先生、私が知りたいのは、気の操縦法です。気を自由自在にあやつりたいのです』
『おまえさんは、行きつくところまで行かないとおさまりがつかないようだな。だが、教えてやる。但し、こんなことなら教えてもらうんじゃなかったと、後で吠え面かくんじゃないぞ』
『そんなこと、するわけないじゃないですか』
『では、よく聞け。病気を引き起こい黒い気や、生気を司る赤い気、運命を左右する白い気は、人間の持つあらゆる穴から出入りする。すなわち、口をはじめ、穴という穴をふさげば、黒い気が入らなくなり、いま以上の病気になる恐れはない。
ただ、そうすれば、人間にとってよい気、赤い生気や運命を切り開く白い運気も入らなくなる。こんなことは自然界ではありえないことだが、都合のいい気だけを取り込み、病になる黒い気を吐き出すには、ちょっとした仕掛けが必要だな』
『仕掛けですか』
『そうだ』
鑑定家は固唾をのんで、身を乗り出しました。眼科医は、険しい表情で話します。
『生気と運気は元々、人間の体内で作られたものだ。それが、その人間の心がけが悪く、外部に漏れ出て、宙に漂っている。従って、空中に漂っているそれらの気を集め、耳や鼻から思い通り取り込むことができればいいわけだ。そこで、その仕掛けだが、よォく聞け』
すると眼科医は男に近付き、何やらささやきました。
翌日、命運鑑定家の男は、くだんの女優を鑑定室に招き入れると、こんなことを言いました。
『これから、あなたと私の気を入れ替えます。そうすれば、私の莫大な運気と生気が、あなたに注入できる。そうすれば、あなたの行く末は、ばら色になる』
『先生。でも、そんなことをすれば先生の運は失われ、この先悲運に見舞われるのではないですか』
『心配はいりません。あなたに運気と生気を注入する同じ方法で、私は元通りの運気と生気を取り戻します。そんなことより、私のために何でもしますといった約束は違えないでください。いいですね』
『もちろんです。私の体は先生にお預けしています』
『では、早速隣の部屋でとりかかりましょう』
鑑定家は女優を隣室に案内しました。
六畳ほどのその部屋の中央に丸いテーブルがあり、テーブルの上には、ソフトボール大の金属製の球が載っています。鑑定家は、そのテーブルに女優と向き合うように腰をおろすと、こういいました。
『この金属球は静電気発生装置ですが、特別に作らせたもので、通常の十倍、すなわち十万ボルトの静電気を発生させることができる優れものです。あなたはこの金属球に手を触れたまま、目を閉じ、じっとしていればよろしい。それだけで全て解決します』
『先生、十万ボルトの電気に触れて危なくないのですか』
『この部屋の床は電気を通さない特殊なカーペットが敷いてありますから、例え十万ボルトの電気であっても、あなたの体を電気が通りぬけることはありません。電気が通りぬけない限り、あなたは安全でいられます。電気はあなたの体内に溜まるのです』
『電気が溜まる、って、どういうことですか』
『あなたの体が電気を帯びるということです。電気は、気という文字を用いていることからもわかるように、生気や運気と同じ、気の仲間とお考えください。ですから、運気や生気は、電気に吸い寄せられます。そして電気の圧力、すなわち電圧が高いほど、気を吸い寄せるパワーは強くなる。あなたの体が十万ボルトの電気を帯びると、どうなります。私がそばにいるのですよ』
『アッ』
『そうです。私の体内にある気という気が、あなたに吸い寄せられ、私の体から抜け出すというわけです』
『でも、そんなことをして、先生のお体は大丈夫なのですか』
『前にも言いましたように、私は失った気をほかから取り寄せて補給しますから、心配は無用です。では、静電気発生装置に手を触れてください。スイッチを入れますから』
鑑定家は女優が装置に手を当てたのを確認すると、手元にあるボタンを押しました。
途端に、鋭い金属音が部屋中に響きわたり、壁の表面が小刻みに震動を始めます。
鑑定家は、体中の毛が逆立つのを感じ、同時に力が抜けていくような激しい脱力感に襲われました。
『全身の毛穴から、気が抜けているのだ』
鑑定家は、自身の体から抜け出していく赤や白い色をした煙を見ました。そして目の前の女性に目を転じると、驚いたことに彼女は白目をむいて気絶しています。
『どうした。しっかりしろ。気絶するのは君じゃない。気をなくした私のほうだ。しかし、大量の気を失ったはずなのに、どうして、私は意識があるんだ』
鑑定家はなぜ意識がしっかりしているのか、自身を怪しみます。
肩を揺さぶられた女優は、うっすら目を開け、
『先生。気が、気が、私の体の中に気がいっぱい詰まって、気が変になりそう。少し気を抜いていいですか』
『ここに来て気を抜くって。せっかく、私の気を注ぎ込んだのに。出世したくないのですか。女優として成功したくないのですか。その気は現在の私を作り出した大変役に立つ気ですよ。その気が必要ないというのですか』
『そんなことをおっしゃっても……、先生の気は怖い……苦しい。私の体のなかにあふれて、私は息ができません。死にそうです』
『しっかりなさい。それでは私の気がまるで殺気や毒気のようじゃないですか。私の気は決してそのような悪質な気ではありません。
人のためになる善良な気です。しかし、どうも、少しばかり、好い気になりすぎたようです』
(了)
運気鑑定家 あべせい @abesei
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