波の残響、渇いたプール

不思議乃九

波の残響、渇いたプール

波の残響、渇いたプール


 カリフォルニアの灼熱の太陽は、今日もまたヴェニスビーチの乾いたアスファルトと、錆びたフェンスの向こうに広がる太平洋を容赦なく照りつけていた。潮風が、汗と埃、そして仄かな反抗の匂いを運んでくる。

 1970年代半ば。ここはまだ、未来への扉が半開きになったまま、誰にもその鍵が見つけられない場所だった。


「ジェイ、今日の波はクソだぜ」


 ステイシーが肩をすくめ、ボードを抱え直す。彼の視線の先では、眠りこけたような波が、白く泡立っては消えていた。

 ロングボードで波を捉え、しなやかなボディターンで水面を切り裂く。そんな時代は、すでに過去になりつつあった。


 ジェイ・アダムスは何も言わず、虚空を見つめていた。

 わずか十四歳。だが、その瞳の奥には、人並外れた孤独が棲んでいる。

 彼はサーファーであり、ストリートの住人であり、そしてまだ名前のない「何か」の伝道師だった。


 トニー・アルバが、怒りを込めるようにスケートボードを地面に叩きつける。

 デッキテープがアスファルトを擦る、甲高い音。


「だったら、陸で波に乗るしかねえだろ」


 波がないなら、生み出せばいい。

 それは諦念ではなく、創造だった。

 ドッグタウン。ヴェニスとサンタモニカの間に挟まれた、薄汚れた土地。だがそこには、無限の可能性が横たわっていた。


 彼らの足元にあるスケートボードは、もはや玩具ではなかった。

 ウレタンの車輪がアスファルトを吸い付き、摩擦が心臓を打つ。


 彼らは「Z-ボーイズ」と呼ばれた。

 ゼファー・サーフショップのチームライダーたち。

 ジェイ、ステイシー、トニー、アレン、クリス、ペギー。

 誰もがどこか欠け、どこにも収まらない眼をしていた。


 サーフィンができない日、彼らのホームグラウンドは移動する。

 荒れ果てた住宅地。

 放置された庭。

 使われなくなった、空のプール。


「見てくれよ、このライン!」


 ジェイが、ボードのノーズでプールサイドの曲面を叩く。

 そこは人工の波だった。垂直のチューブだった。


 泥を掃き、落ち葉を掻き出し、剥がれたペンキの痕が残るコンクリート。

 彼らはそこに、新しい波を見出した。


 水とは違う重力。

 コンクリートという硬質な抵抗。


 だが身体は覚えていた。

 流れることを。


 ステイシーが恐る恐る壁を駆け上がる。

 ぎこちないカービング。

 やがて、それは滑らかになる。


 トニーはよりアグレッシブだった。

 闘牛士のような情熱と、計算された暴力。

 コーピングを削り、垂直の壁を駆け上がり、テールを叩きつけて反転する。


 それは、垂直のサーフィンだった。


「まるで、水が凍ったみたいだ」


 クリスが呟く。

 彼らは重力を裏切り、時間を越えていた。


 ジェイは、誰よりも深く、低く、そして孤独だった。

 底から縁へ。

 縁から底へ。

 彼のライディングには、詩と飢えが同時に宿っていた。


 それは儀式だった。

 乾いたプールの底で行われる、魂の解放。


 だが、その世界はやがて発見される。

 大会。

 スポンサー。

 契約。

 自由の商業化。


「こんなはずじゃなかった」


 夜のビーチで、ジェイが呟く。

 波音に溶ける声。


 名声も富も、彼らの目的ではなかった。

 ただ、無限のラインを描くこと。

 それだけだった。


 ある日、プールは埋め立てられた。

 家が建ち、聖地は消えた。


 彼らは散っていく。

 成功する者。

 伝説になる者。

 光から離れる者。


 だが、ラインは残った。

 放物線は受け継がれた。


 乾いたプールに響いた音は、やがて世界中のストリートへと広がる。


 ジェイ・アダムスは、生涯、飢えを失わなかった。

 終わらないセッション。

 終わらない探索。


 ドッグタウンの風に乗った革命の残響は、今も潮風に混じって聞こえてくる。


 それは失われた青春のレクイエムであり、

 次の時代を告げる、静かな鼓動だった。

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