最強のライバルは最愛の人
南條 綾
最強のライバルは最愛の人
今日は格闘ゲーム「ブレイズアーク」の全日本大会の日だった。
ここ数年、負けなんてほとんどなかった。
会場は東京ゲームショウのメインステージ。観客三千人、配信視聴者二十万超え。
決勝の相手は「Yuri」というハンドルネームの無名選手。
対戦表に載った瞬間、周囲がざわついた。誰も知らない。顔出しもしていない。
「どうせ予選を運で抜けた雑魚だろ」って、みんな笑ってた。私もそう思ってた。
でも、試合が始まった瞬間、すべてが変わった。
彼女の使うキャラは、私のメインと同じ「レイカ」だった。
最初は、その動きがまるで私のものと重なって見えたから、ただの偶然だと思った。
しかし、試合が進むにつれて、それが偶然ではないことに気づいた。
鏡のように、彼女の動きが私をトレースし、私の読みを裏切るように、常に一歩先を行かれていた。
コンボの選択、起き攻めのタイミング、ガードの崩し方。
すべて完璧だった。
三本先取の決勝で、私は一度もラウンドを取れなかった。3-0。
完敗だった。
ステージの照明が眩しく、目を開けるのもつらかった。
まるで目の前に巨大な壁が立ちはだかっているような感覚。
観客の歓声が遠くで鳴り響く雷のように耳を打ち、体の奥が冷たくなっていった。
心臓が激しく打ち震えているのがわかる。
負けた。
プロゲーマーの私が、無名の相手に完封された。
その事実が、じわじわと体を締めつけてきた。
握手のために相手側のブースへ向かう足取りは、まるで石のように重かった。
体は動いているのに、心だけが空回りしている感じ。
負け惜しみでもなんでもなく、ただ「誰なんだお前は」と聞きたかった。
ブースの奥にいたのは、予想外に小柄な女の子だった。
黒髪のショートボブが、ステージの照明を受けてほんの少し光っている。
その光が、まるで私の目に刺さるように感じた。
銀縁の丸メガネが、彼女の柔らかい表情を少しだけ隠しているが、それでも、その奥に何か輝くものが見えた。
頬に小さな泣きぼくろが、まるで私に語りかけてくるような気がした。
その存在が、今の私を余計に痛く感じさせた。
年齢は私と同じ二十歳前後だろうか。
白いパーカーの袖を指先まで引っ張って、ちょっと恥ずかしそうに立っているその姿が、思ったよりも幼く見えた。
こんな子に……負けたのか?
その疑問が、心の中で何度も繰り返されていた。
「あ……綾さん、ですよね?」
最初に声をかけてきたのは、向こうだった。
その声には、信じられないという気持ちが色濃く滲んでいて、私は一瞬耳を疑った。
「私、初めての大きな大会で……本当に、信じられないです」
彼女は両手をぎゅっと握りしめて、目を輝かせている。
その瞳に映る私は、どこか遠い存在のような気がした。
「綾さんの配信、全部見てました。レイカの使い方、教科書みたいに勉強してたんです」
……は?
その言葉が耳に入った瞬間、私の頭は一瞬、真っ白になった。
「だから今日、綾さんに勝てたのが……夢みたいで……」
彼女がぺこりと頭を下げた瞬間、私は初めて気づいた。
この子、めちゃくちゃ可愛い。
試合中の冷徹な相手とは全然違う。
その笑顔が、なんだかあまりにも眩しくて、私は言葉が出なかった。
「……Yuriって、最近ランクマで噂になってるYuriってあなただったの?」
声が震えた。悔しさと、別の感情が混じって、思わず言葉がもつれてしまった。
彼女は顔を上げて、にこっと笑った。
最近、ランクマで順位を上げている新人がいるっていう情報は耳にしていた。
まさかこんな女の子だとは思わなかった。
その事実に、私はしばらく言葉を失っていた。
「本名は
その言葉が、私の胸をぎゅっと締めつけた。
試合中の冷徹な読み合いの相手とは別人の、ふわっとした笑顔。
そんな笑顔を向けられると、どうしても目を逸らさずにはいられなかった。
「強いね、あんた」それだけ言って、私は逃げるように会場を後にした。
その夜、私は無意識にTwitterで「Yuri」アカウントを検索した。
フォロワーは三百人程度。アイコンはアニメの女の子のイラスト。
『初めてのオフ大会、優勝できました!対戦してくださった皆さんありがとうございました!特に決勝の綾さん……憧れの人に勝てて、泣きそうです』
リプライ欄は祝福で溢れていた。
その中に自分の名前を見つけた瞬間、胸が締め付けられるようだった。
私はスマホを投げ出して、ベッドに突っ伏した。
悔しさが込み上げてきた。
でも、それ以上に……あの笑顔が、どこかで私を引き寄せている気がして、心がざわついた。
翌週、いつものゲーセンにいた。
アーケード版ブレイズアークの筐体前で、ぼんやりとリプレイを見ていた。
その瞬間、足音が聞こえた。
「あ、綾さん」
振り返ると、優莉が立っていた。
今日はパーカーじゃなく、白のニットにチェックのスカート。
メガネはそのまま、でもその姿がどこか学生っぽくて、少し幼く見える。
普段の冷徹な彼女とは違って、まるで別人みたいだ。
「……なんでここにいるの?」
私はぶっきらぼうに言った。
自分でも、その言い方が少し冷たかったかもしれないって思ったけど、どうしても素直になれなかった。
「綾さんがよく来るゲーセンだって、配信で言ってたから……」
彼女は頬を赤くして、筐体の反対側に座る。
その姿が、なんだか照れくさそうで、少しだけ可愛く見えた。
でも、私はその感情を無視するようにして、視線を外した。
「対戦お願いしてもいいですか?」
私はため息をつき、コインを入れた。
十戦して、八勝二敗。結果的には圧勝に見えた。
でも、実際はすべて紙一重だった。
あの大会の反省を繰り返して修正していったのに、彼女はそれにくらいついてきていた。
ただの新人っていうレベルの成長スピードじゃない。
少しだけ焦りを感じていた。
試合が終わると、優莉は息を弾ませて笑った。
「やっぱり綾さん強い……でも、ちょっと近づけた気がします」
その笑顔が、悔しいけれどどこか嬉しくもあった。
私は黙って缶コーヒーを買って、彼女に放り投げた。
「次は全勝してあげるよ」
その言葉に、ちょっと強気になっている自分がいた。
でも、優莉の目が少し輝いて、その後の言葉に少しドキっとした。
「約束ですよ?」
それから、私たちの関係は急速に近くなった。
平日は夜にオンラインで対戦。
終わったら通話で反省会。
土日はゲーセンか、私の家でオフ練習。
優莉は本当にゲームが好きだった。
私の癖を全部覚えて、それを真似するんじゃなく、自分流に昇華してくる。
一緒にいると、悔しいのに、なんだか楽しい。
負けそうになるたびに、胸がざわつく。
その感覚が、私を突き動かしているのだと、ようやく気づいた。
ある冬の夜、練習が終わって、私の部屋で二人並んでソファに座っていた。
外は雪。暖房の効いた部屋で、優莉が私の肩に頭を預けてくる。
その温もりが、心地よくて、なんだか胸がいっぱいになった。
「……綾さん」小さな声だった。
「ん?」
「私、最初は綾さんに勝つことしか考えてなかった。でも、今は……もっと一緒にいたいって思うようになった」
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
優莉は顔を上げて、私をまっすぐ見つめている。
その瞳に、何か真剣なものが宿っているのがわかった。
泣きぼくろが、部屋の灯りに光ってる。
「好きです。ゲームじゃなくて、綾さん自身が」
その言葉が、静寂の中で響いた。
私はゆっくりと、優莉の頬に手を伸ばした。
冷たい。でも、震えてる。
その震えが、彼女の気持ちを確かに伝えているようで、私は無意識に手を止めた。
「……バカ」
私は呟いて、そっと唇を重ねた。
初めてのキスは、コーヒーの味がした。
その味が、今でも鮮明に思い出される。
優莉の唇が震えて、私の背中に腕が回ってきた。
温かかった。
その温もりが、私の心にじんわりと染み込んでいくような気がした。
それから、私たちは付き合い始めた。
大会ではライバル。
家では恋人。
対戦が終わったら、負けたほうが勝ったほうにご褒美のキス。
それが私たちのルールになった。
あのキスから、すべてが変わったような気がした。
でも、変わるのが怖くなかった。むしろ、それが嬉しくてたまらなかった。
次の大型大会。
また決勝で、私と優莉が当たった。
観客は大歓声。
実況は「宿命のライバル対決!」と叫んでいる。
3-2。
最後は紙一重の読み合いだった。
私が勝った。
表彰式の後、控え室で二人きりになったとき、優莉が静かに笑った。
「おめでとう、綾さん」
その言葉が、胸にじわりと響いた。
「……綾さん次は絶対勝ちます」
「望むところだよ」
私は優莉の手を取って、指を絡めた。
その手の温もりが、まるで心の中にまで届くように感じた。
「でも今日は、私のご褒美」
そう言って、私は優莉を壁に押し付けて、深くキスした。
優莉の吐息が甘くて、頬が熱い。
その感覚が、まるで夢のようで、私は少しだけ現実感を失いかけた。
「大好きだよ、優莉」私は耳元で囁いた。
優莉は目を潤ませて、ぎゅっと抱きついてきた。
「私も……綾さんが、世界で一番好きです」
格闘ゲーマーとして、私はまだ負けられない。
でも、恋人としては、もう完全に負けてる。
この先、何度負けても、何度勝っても。
優莉と一緒なら、それでいい。
私の最強のライバルで、最愛の人。
それが、優莉だった。
最強のライバルは最愛の人 南條 綾 @Aya_Nanjo
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