生存確認

あるかり

つまらないほどにバカらしくなる人生と

 なんのために生きているかなんて言うことを中学生ながらに考える。

 今何の夢に向かっているのか。

 何を目指しているのか。


 朝会で学年主任が言った。


「人生を24時間とするならば君たちはまだ起きていない」


 と。まだ諦めたりするのは早いと、起きていないのだからまだいけると。

 ならばなぜ起きてもいないのに今大事な選択をしないといけないのだろうか。


 高校受験。これだけでだいぶ人生が大きく変わる重大な選択。その選択の道に立たされる中何も選べないでほっつき回りあとまわし、もしくは人任せにしている自分は今後どのような道に進むのだろう。進める道はあるのだろうか。


 周りの奴らは当たり前のように持っている夢だとか目標だとか。

 そんなたいしたものでなくても行きたい高校ぐらいは決めてあるだろう。


 12月後半、進路懇談であり成績の返される今、クラスの雰囲気は受験モード。

 そんな中自分は今何をしている?


 朝勉強できる時間には配布されている一人一台のタブレットで政治に関するニュースを見て問題のある国家に対して嘲笑っているだけだ。

 今自分の置かれてる状況も自分の住んでいる国の危機的な状況をエンタメとしてしか消費できない。


 私立高校を確実に決めることになった。定員割れの起こっているそれなりの学力のところを志望することで自分の安全性を守ろうとしている。

 保守的なタイプの人間ではない。

 どちらかというと毒を吐き人を馬鹿にしているタイプのクソみたいに攻撃的な人間だと客観的に見て思っている。

 そのくせ初対面の人には優しくするとはまた違うが適当にあしらうからこそ上面だけ見たやつには優しいねと言われたことがある。

 優しいと言われたからと言って自分が必要とされているわけではない。


 数ヶ月前に友達だったやつと縁が切れた。別にどうでも良かった、自然と自分は連絡をしなくなると縁が切れやすいタイプの人間だったから。

 でも真っ向から言われるのは初めてだった。

 誰か一人ひとりとつながりが切れてしまったとしたのならその分また一人ひとりと増えていく。

 増えたとしても、本音が言えるような程の仲のやつは少なくなった。

 優しいね、沼になりそうみたいなことを言ってきた陽キャ女子の何人かはもともと小学生の頃から少し仲のいいやつがいてその人のおかげで輪が広がった。

 でもそれが面白い関係かと言われたらそうじゃない。

 本音を吐き出せる友達もそれは本音ではなく冗談を言い合える友達でしかなく本音で本当に言いたいような話はしない。

 彼氏がいたことは?告白されたことは?と聞かれたことがある。

 こういうときどう返事をしたらいいのかわからない。

 ネットでならいたことがある。特に恋愛感情はなかったが悪い気はしなかった。自分のことを好きでいてくれる人がいるのはたまらなく心地が良い。

 自分は「いない」と答えた。

 恋人がいた事はある。でもあの関係をそう言っていいのかわからない。

 冗談で自分がそいつに好きと言ってそいつが右往曲折して付き合うことになった。

 それは一部分の人しか知らないことで付き合っているというということを隠したいあいつと、自分の恋愛対象が女子かもしれないということを隠したかった自分。


 そしてデートなんかすることもなく別れたのが唯一本音を言うことのできた縁が切れたやつだ。

 だから彼氏は?と聞かれると答えにくくなる。

 ただでさえ会話に入る気のない自分がそこにいる理由がなくなる。

 告白は幼稚園の時に一度だけ。

 中学の時は相手が言う前に逃げた。嫌いなやつと一緒にいる空間が嫌だった。

 碌に普通がわからないやつが混ざるのは面倒だった。混ざれてはいなかったかもしれない。

 だとしても一人でいるよりは良かった。


 一人でいると陰鬱とした気持ちが流れてくる。今だってそうだ。

 だれかに言われた言葉を心のなかで反芻し否定する。意味のない時間だ。

 それを虚無な時間だと感じ、過ごしているといつも思う。


 あれ、今生きている意味なくね?

と。

 生きてったて二酸化炭素を排出したり今ある資源を使ったりデメリットしかない。全体的に何も貢献していない。親にとっては金の無駄。

 自分が生まれていなかったら結婚すらしていないような家庭だ。

 いつも母からはしんどい、離婚したい、あんな人と結婚してごめんね、父は母のことを家事がでいないだめな人という。


 一生懸命と結果は違う。


 母が頑張ろうが父の口には合わなかったということ。

 自分と出来損ないと同じだ。

 どれだけ勉強しようと出来損ないは出来損ないでしかない。他のなにかにはなれない。そこまで上へは上がれない。

 逆に頑張らなくてもそれなりに点が取れる人だっている。

 出来損ないが1日のうち家や塾で勉強する時間が8時間だったとしよう。そいつは2時間で倍以上の点数を取る。

 それが自分だ。

 だからこそ何事も中途半端で終わる。点数も実際に頑張っている人や天才には敵わない。

 中途半端なのっていらなくね?と存在理由のなさを突きつけてくる。

 ネットで誰かが言っていた。


「そう簡単に死にたいとか思わないで、きっと何かが待っている。死ぬ間際には生きたいと神に祈るようになる」


 みたいなことを。

 その気持ちがわからなかった。父に殺害予告をされてもふーんとしか流せなかった。

 もっと本格的な恐怖を味わっていないからなのだろうか?

 どちらにしろ生きたいと思って毎日を生きることはできない。


 だからどうでもいいようなことを目標にしようと思った。

 いましたいことなどを書いたやりたいことリストを作った。

 思った以上に書くことがあって自分にもやりたいことってあるんだなと思った。碌でもないことでも。

 ピックアップするなら酒を飲みたい、タバコを吸ってみたい、タバコはタバコでも洋モクを吸ってみたいなどの寿命を短くするようなことばかりだ。

 信じてないが手相を見るとそこまで生命線は長くならしいから安心している。

 別にどんな終わり方でもいい。

 はっきりとした夢を持つならそれは死ぬことなのだろう。

 死があるからこそ生が成り立っている。

 

 不思議な話だ。


 馬鹿らしい。

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生存確認 あるかり @popotannpo

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